見出し画像

書いていいのか迷う「災害」や「戦争」の話



今日は、震災のあった日ですね。
あれから、十二年経ったのですか。時が経つのは、早いですね。
ちょうど、あれは確か金曜日で、たまたま、私は仕事が休みの日でした。
そして、長い地震が起きて、当時、私には、肢体不自由の障害のある兄がいて、近くの空き地に避難したのを覚えています。幸い、外壁に多少ヒビがはいったくらいで済みましたが、ほかの地域の被害の規模の大きさと被災された方の悲惨さを知り、愕然としたのを覚えています。
帰宅した時、突っ張り棒などをしていたので、倒れている家具は無かったのですが、本が随分飛び出していて、片付けるのが大変でしたが、そんなものは、笑いごと程度くらい、他の地域、特に東北の被害は酷かった。



その日、出勤だった同僚は、電車が止まってしまい、会社から戻ることができず、会社に泊まり込んだと聞きましたが、幸いそちらの方も怪我人や体調が悪くなる人はいませんでした。

私のリアルの知人も、そんなに酷い被害を受けた人はいませんでした。
岩手県の後輩も、高台に住んでいて、被害を免れました。しかし、職場は津波で跡形もなくなったそうです。職場で飼っていた猫は、見つからなかったとも言っていました。

災害や戦争のことは、物語であれ、普通の犯罪小説とは、犠牲者や理不尽さの規模が全然違います。そして、膨大な被害を実体験された方が今も生きていらっしゃるような、実際にモチーフがある事は、書いていいのかどうか、凄く迷うことがあります。大した被害に遭ったことが無い自分が描いていいのかどうか……

迷って書いた作品の一つが「植物に聞いてみた~イチョウ」です。
ネットで知り合った、やはり3人の宮城県の友人(一人は被災者)に読んで頂いて感想を聞いたのですが、「私は読んでいて、別に嫌な気持ちにはならなかったよ」と言ってくれて、「もう一人は良く書いてくれた」と言ってくれました。
いろいろな植物たちを擬人化して、植物たちと主人公が対話篇をするという話の一つです。ちょっと、長いのですが、被災地で実際にあった被災地にまで来た詐欺師たちの話や、吉浜の津波石のことなどを書いています。

また、いろいろ考えることがあって、戦争に関する話を書いたこともあります。
一つは、「植物に聞いてみた~キョウチクトウ」と「時長の玉~トキオサノタマ」という作品です。

「植物に聞いてみた~キョウチクトウ」も「戦争」と「虐殺」がテーマになっていて、「ナチスのT4安楽死計画」をご紹介しています。ナチスはユダヤ人虐殺については、よく知られていますが、「障害者に対する大量虐殺」については、あまり知られていません。
「健全社会を作る」という名のもと障害者を「最終治療」と称して万の単位で虐殺したのです。
私は、何年も病気を患って、日常生活がうまくいかなくて、今も気に病むことがあります。考えてはいけないことなのですが「自分が生きていていいのか」という妄想に取りつかれます。自分も苦しいけれど、「家族に物凄く迷惑をかけている」から。病気や障害のある人のケアは全然理屈を超えています。
それでも、自分以外の「病気や障害を持っている人」に対しては、そんなことは、まったく思いません。
治る見込みのない重病で、本人の苦痛があまりに苦しく、苦痛から解放されたいと言っている人なら、まだ、何らかの議論の余地があるのかもしれません。しかし、本人はなんとか生活しいて、死にたいとも思っていないのに、他人に対して、どうして、そんな傲慢なことができるのか。

神奈川県の障害者殺傷事件があったときなども、私の家には、まだ、重い脳の障害がある兄がいて(兄は病気で数年前亡くなりました)、何をしてくれたんだと、憤りと、その考え方にぞっとしました。
ただ、他人に対しては思わないのですが、自分に対しては「迷惑をかけている」とか「頑張れない」ということでやはり、自分を責めてしまうのです、そういう所を叱咤してもらう存在のために「キョウチクトウ」というキャラを考えて、このテーマで書いたのですが、これも、書いていて、自分の中に暗い怒りがあることに気付いて、とてもしんどかった。

これは、シナリオと音声作品とがあります。

https://note.com/nekonotsuuro/n/n828d67e2cb8f

https://youtu.be/GNdKluoh_GA

「キョウチクトウ」の声に関しては、私が書いている「アヤの妖怪シリーズ」の主人公「アヤ」を演じてくださっている小塚菖(こづかあやめ)さんに担当していただきました。こんなきつくて長い話を、担当してくださった菖さんには、その後も、大変お世話になっていて、感謝しかありません。

「時長の玉~トキオサノタマ」は、1960年代に起きた「キューバ危機」をモデルにしている戦争が出てきます。
現代に生きる思春期の子が、世の中があまりに醜く思えて「世界なんて滅んじゃえばいいのに!」と言ったのがきっかけで、彼女は、当時、どれだけ核戦争一歩手前のことが起きて、世界が滅亡に近づいたのか。どんなふうに、それを回避しよう尽力した人がいたか、核戦争が、なぜ運良く回避できたのかを追体験する話になっています。
これも書いていいのかどうか、凄く迷いました。でも、いろいろ考える所があったので、出してみようと思いました。

https://note.com/nekonotsuuro/n/n29268fc4d7a1

そして、今回。

宮城県のyayakoさんから聞いた「蛸を食べられなくなった話」です。
これは、物語ではなく、yayakoさんに聞いた震災の生々しい話を、ほぼそのまま紹介しています。
2年前に教えていただいた話なのですが、生々しい話なので、どう伝えたらいいのか、迷っていました。

そんな時に、知人のゆっくり民話チャンネルを配信されている黒猫チョビさんが「震災の話は書くべき」と言われたのです。

黒猫チョビさんは、民話や神話を研究して、それの考察をYouTubeで配信している方なのです。文献というか、論文も滅茶苦茶読まれて、興味深い考察をわかりやすく紹介されています。
そのチョビさんが、民話を研究するきっかけになったのが、
「みちびき地蔵」

という津波に関する昔話からで、災害についての記録は残すべき、とはっきり言われました。

気にしいな私は、それでも、見たくなかった、聞きたくなかったという方が出る可能性があると思って、どう公開していいか迷った話です。
SNSだと、ぽっと、聞きたくない人が、心の準備もなく、凄惨な話を見聞きしてしまうことがあるのです。
それで、URL限定音声で、お伝えすることにしました。

これだけ書いてまだ聞く人は、覚悟がある方だと思います。これも朗読してくださったのは、小塚菖さんです。

「蛸が食べられなくなった話」

https://stand.fm/episodes/640b129114053123246a27ab

震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。


■ その他の作品の目次


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?