感情表現の美しさに息を呑む
Note生活も一週間。
文章を書く、言葉を紡ぐ日々を送ることで、これまで気にも留めなかったものが気になり始めた。
歌の歌詞だ。
普段から音楽は聴くが、作業用BGMのようにメロディーだけのジャズやボサノバばかり。世間で流行りの音楽も、メロディーはわかるが歌詞は全く知らない。
私はそんな表面をなぞるだけのタイプの人間として生きてきたのだ。
それで不自由はしていなかった。
その日は、テレビを点けるとシンガーソングライターの星野源さんが出演されていた。
これから歌う曲は、ご自身の本気のラブソングだとか。
いつも一捻りしてしまうラブソングを、直球で制作したものらしい。
ふと思う、私が星野源さんだったら…恥ずかしくなってしまだろう。
好きな人だけに聴いてもらうのならまだしも、世の人々に自分の恋愛観や想いが公開されるのだ。自身の心の機微に触れられるようで、照れずにはいられない。
ソワソワ、モジモジとしている私の感情の整理がつかない内に、曲が始まった。
息を呑むとはこういう事だろう。
感情の表現の美しさに、言葉を失った。
恥ずかしい、照れてしまうと言い放った自分自身が恥ずかしいのは言うまでもない。
私はこれまで様々な曲の歌詞を真剣に聴いてこなかった事を後悔した。
ラブソングを聴いて、恥ずかしさではなくその美しさに引き込まれたのは、星野源さんが一つの作品としてその曲を制作したからだろう。
ご自身の経験かもしれないし、そうではないかもしれない。それはそもそもどちらでもよく、当たり前だがこの曲は一つの作品なのだ。
良い機会なので、一週間書き続けてきた自分の文章を読み返してみた。
私の書いた文章は、エッセイというジャンルで書き始めたことを踏まえても作品と言うには程遠く、ぐるぐるとした思考を文字にしただけのもので実に恥ずかしい。
いつの日か、私も表現者として文章を書くことができるのだろうか。それは続けてみなければわからない事だが、このタイミングで表現の美しさに出会えたのも何かの導きだと信じてみたい。
書き続けながら、自分自身の美しい表現というものを模索してみたいのだ。
きっと、いつから始めても遅くはないはずだから。
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