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私は幸せものだなあその2


 仕事帰り、ラインを開いたら、離れたところに住む親戚のおばさんからラインが来ていた。


 おじいちゃん(母方の祖父)の四十九日が無事終わったこと、おじいちゃん、遠くに住む孫が最期に夢中になって会いに来てくれたのが嬉しかったみたいで、安らかにお墓に入っていったこと、可愛くて優しい孫に会えて、おじいちゃんは幸せだったね、ということ。


 大号泣していた。


 何だか、最近ずっと、今日も自分を殺して、尊厳なんてものも忘れてしまったみたいになって働いてきて、自分で決めたことだし、特別……どうしようもなくしんどい、逃げたい、もうだめだ、みたいな感情や感覚があった、と感じていたわけでもないんだと、自分では思ってたんだけど。
 でも、何だかこんな無条件に大切に思ってくれる人がいて、思ってもらえる場所があって、自分って、こんなに無条件に大事にしてもらえる存在だったんだ、ってことが、急にぶわっとなって迫ってきて、それから、もう涙が止まらなくなった。



 私の、おじいちゃんとの一番の思い出は、おじいちゃんが、私が小学校に上がるとき、水色のランドセルを買ってくれたことだ。
 本当は赤を買うつもりだったんだけど、売り場で水色のランドセルに一目惚れしてしまった私は、どーーーーしても水色がいい!!と泣いて駄々を捏ねた。それで、「青かよ……」なんて言いながらも、おじいちゃんが水色のランドセルを買ってくれたのだ。
 今は、カラフルなランドセルが当たり前で何にも珍しくないけど、二十年以上前の日本の隅の隅みたいな田舎で、赤でもなく黒でもないカラーのランドセルを堂々背負う女の子が現れたなんて、革命にも等しいことだった。周りの女の子たちには、ずいぶん羨ましがられた覚えがある。
「本当は黄色がよかったけど、お父さんがダメだって」
「本当はピンクがよかったけど、お母さんがダメだって」
 いじめられたら、とか、何か周りから言われたら、とか、変な目で見られたら、とか、そういうことだったみたいだ。


 今思い返すと、おじいちゃんはいつも、私がやりたい!好き!って言ったことに、女だからとか、周りがどうだからとか、そんなの無意味だとか何にも言わずに……まあ時々、えー、とか言ってはいたけど笑
 私が好きなものを堂々一番に応援してくれて、どーん!とお金も出してくれてたんだよなあと思って、それがものすごくありがたかったなあと思う。
 おかげで周りの目なんて、それってなんのことだろう、みたいに我が道を行き過ぎる女がここに爆誕した気がして笑
……たまーに、そういう自分が、何だか生きづらいみたいに感じることも、ないわけじゃないんだけど。
 でも、やっぱりそうやって、尊重してもらって愛してもらったことがありがたかったなあと思う。私の財産だね。
 自分に子供が生まれたら、そうやって接してあげたいなあと思う。


(ありがとう)

本当はサムネイルサイズにしたかったんだけど、サイズ設定をミスって……。上手くサムネイルにハマらなかった。

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