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家のポストを覗くように、受信箱を開く楽しみがあった

#はじめてのインターネット

あれはもう、1998年のことだ。

カナダに留学して、英語のコースのカリキュラムに、パソコンを使う授業があった。

提出する宿題はすべて手書きではなく、パソコンのワードで作成したものしか受け付けないとの事で、皆にタイピングを練習もらおうというクラスであった。

英語だってままならないのに、キーボードで打つの…?Aがどこだ、Gはどこだ、とほとんどみんな指一本で探しつつやっていた。そんな原始人並みの私たちを見て先生は、5本の指を全部使って、手を左右に動かさずに、しかも画面のみを見て打つ方法を半ば強要した。小指が特に大変だった。けれども、慣れると逆に、指一本で打つことが出来なくなった。慣れって不思議だ。

では、インターネットも使ってみましょう、とのことで、打つ練習を兼ねて、まずは全員がメールアドレスを作ることになった。

瞬時にメッセージが送れるの?

私たちはみんな心が弾んだ。

しかし、時は1998年。

2000年に一時帰国した時に友人たちは「ねえ、インターネット始めた?」とかお互いに聞いている有り様だったので、一番メッセージを送りたい肝心の日本の家族や友人が、誰一人としてメルアドなんぞ持っていなかった。

仕方ないから、同じ教室内のクラスメートにメールを送る、なんてことをやっていた。

今みたいにヤフーだとか、YouTubeだとか、そういう娯楽のページなんか、ほぼ無かったと言っていい。

そんな中ある人から、自分の日本の友人がメールをやり始めて、海外に住んでいる人でやり取りできる人を探している、だからメール友達になってみない?との提案があった。ランダムにネットで見つけた訳じゃなく、友達の友達という事だし、練習にもなるから、面白そうと思って引き受けた。今で言う、知らない人とのチャットだ。

当時は、携帯電話こそ登場していたものの、まだまだ純粋な通話の機能止まりだったし、パソコンも電話線につなげたり、家になければ学校のパソコンルームに行く必要があった。

カナダ時代は、ほとんどのやり取りを手紙でやっていて、まだまだ文通の文化が残っていた。手紙は、出して日本に届くのに一週間。日本からこちらへ届くのに一週間。受け取ったその場で返事を書いて即座に出す人もいないと思うので、一回のやり取りに最低三週間はかかったものだ。毎日ポストをのぞいて、返事来てないかなぁ、と気長に待っていた時代が懐かしい。

インターネットが普及し始めた頃は、きちんとパソコンの前でネットを接続して「さあ、インターネットするぞ」と、ちょっと特別で、やるぞと意識してやる行為だったように思う。今ほど生活の一部ではなかったのだから。

私の場合は、家にパソコンがなかったため、学校でインターネットを使っていたのだけど、メールボックスを開ける時のワクワクは、家のポストを覗く時のワクワクにとても似ていた。しかも、返信は送ってすぐに来るものでもなかった。ポストを覗いて、あぁまだ手紙きてないな、といった、ガッカリなんだけども、待つという一つの行為にきちんと楽しみがあった。今みたいに携帯がご丁寧に受信の知らせをよこしたりして、時間構わず返信したり、既読とか言う字が出て、返事を待つイライラなんかもなかった。

インターネットの普及や、技術の進化は素晴らしいが、それと同時に、相手の時間も安易に奪ってしまうし、ワクワクで済んでいたことが、いつしか忍耐力が欠けてイライラに取って変わってしまった部分もあるように思う。

カナダ時代にやり取りした手紙は、今も手元に大事に取ってある。けれど、昔はメールも容量なんかが少なくて、古いメッセージがたくさん消えてしまったし、アカウントも使用しないでいたら、消えてしまった。

一番初めにメールのやり取りをしたあの子は、今どうしてるだろうか。


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