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年齢を重ねることは悪いことじゃないよ Thu.2022.6.9

こんにちは。長尾早苗です。

なんていうか、怒涛の日々を越えて(すごく楽しいことでいっぱいでしたが)まとめてみたいことがあったので、色々と。

青春っていつから?

いつからなんでしょうね。もちろん、10代とか20代にそういうのを迎えた人も多いと思う。
でも、わたしはちょっとだけ、違いました。
現時点で29歳。友達には母親になった子、起業した子、仕事を中堅として頑張っている子、たくさんいます。
大学生の時によいご縁があったおかげで、今のわたしは詩や文章を書いているわけで、でも、体が弱かったし、そのことを理解されなくて困ることも多かった。
脳のクセというか、習慣というか。
色んな生き方があっていいし、わたしとしては今、パートナーと共に暮らして、29歳にして初の夏フェスであったり、自作詩の朗読で2か月前から色んなステージに立たせていただきました。
それを遅いとは思いません。
確かに30歳というのは節目でもあるけれど、そればっかりじゃないと思う。
もう一度、自分の生き方を見直しながら生きていくこと。
それには遅すぎるとか早すぎるとかはなくて、ただ単に自分が「何をしたいか」「どういう人間なのか」「何をしていると面白いのか」「何をすると(されると)嫌なのか」……などなど、「己を知る」という期間が必要だったのかもなと思います。

大人げない大人でもいいんだ

大学時代の友人や先輩には、創作活動をしつつ、立派に働いているみんながいます。
でも、わたしはそういうことができませんでした。続けられないこともありました。遺伝的なやせ体質であったり、それに加えて、人より食べないと活動ができなかったり、糖分をものすごく脳と筋肉が使ってしまう、どこかでちょくちょく糖分やカロリーを取らないと活動ができなくなる。そういう体質だとこの数年で気がつきました。
パートナーと出会って、一緒に時間を作り上げていったり、暮らしというものとかをわたし自身が見つめなおす期間であったりもしました。
わたしと同じく「詩人」と呼ばれる人々、そして誰もが会えない期間、オンラインで会っていた人々。「いつか会いたい」と思っていた人々。
今、わたしは体力が持つ限り、その人々に会いに行くというチャレンジをしていました。うん、相当のチャレンジだったように思う。
わたしのここ最近の活動は、色々と重なってエネルギッシュに活動をしていたように思うのだけど、わたしが家事などに手を抜きすぎているくらいパートナーと協力し合っていました。それでも、なんとか生活ってまわる。本当に感謝しかないし、自分の身体も心も、暮らしていく中で変わっていきます。栄養をたくさんとって眠る。起きてまた歩き出す。少し止まる。そういうゆっくりとしたものこそが、わたしの穏やかさにつながっていたのかもしれないと思います。
それでも、わたしをまるごと受け入れてくれた場所。それが詩壇であったり、ステージであったりしました。
今日美容院でリフレッシュのため髪を切ってきて、2か月ぶりに振り返ってみたけれど、ある意味で詩は音楽だから、今までやってきたことは「長尾早苗」としての新たな表現の「ライブ」というステージだったのかもしれません。

あえて自分のもろさを人に見せていくこと

詩人とか表現者として生きていて一番よかったなと思うことは、他の人が聴いたり見たら「変」「エキセントリック」と思う事でも、作品や生活においては「天性のアーティスト」として支えてもらった家族のこと、パートナーのこと、相談に乗ってくれる友達、そういう人達に出会えたことでした。
誰もが何かを見出そう、見つけようとしている今、わたし自身はラジオやSNSで友人たちが何をしているのか、何に悩んでいるのか、そういうことをリアルタイムで知っていくことができました。
もろさとか弱さとか、そういうものをみせていかないと、人ってすごく疲れてしまいます。
みんなといると楽しいし、みんなと一緒に食べるごはんだっておいしい。
それでも、心のなかだけには、静かな部屋があったっていいと思うし、時々一人になっていることを、わたしは弱さとかもろさだとかとは違うと思う。
みんなと一緒に盛り上げていく、そういうことももちろん必要で、その中にいて楽しめることももちろん大事。
でも、「自分の芯」「ゆらがないもの」「決してゆずれないもの」を持っている人は、強い。
そういう人が発することばに、わたしはすごく勇気をもらったし、そういう中で表現をしていくことに、「もろさを発信してもいいんだ」「自由に表現していいんだ」という思いをもらった。
だからこそ、「わたしは人とは違う」ということを、誇りに思っていいとわたしは思うし、アーティストである以上、それは否めないのかなと思っています。

素を愛してもらうこと

「人と違うこと」をあまりに意識すると、自分の事でさえ直視できなくなるし、ある程度「みんな」に自分の素を受け止めてもらえたら最高ですよね。
それには相当の勇気が必要です。
わたしたちは赤ん坊だった頃があった。その時はそのまんまで、生きているというだけでわたしたちは認められていました。
大人になって振り返ってみると、欠けていることばかりです。「人と比べてしまう」ことがたくさん起こる。「自分が嫌だ」という気持ちだったり。
でもね。
その自分を、自分のままで許してあげたっていいと思うし、世界はわたしが思っている以上に面白かった。色んな大人がいて、色んな働き方があって、それでいいんだと思えました。
才能とかそんなの関係なく、子どもの頃ってみんな天才でした。
しがらみがたくさんついて、「汚れ」がついたから、中也はそのことを「悲しみ」に思ったのではないかなと思います。
しがらみから解放されゆくとき、わたしたちは本当の安らぎを得ることができるように思う。それは、年齢を重ねないとできないことです。

わたしは表現することをやめないと思うし、やめろと言われたって本を読んで何かを書いていると思う。
子どもの頃勉強していたものは、きっとあらゆる世界への扉の鍵を渡されたようなもので、知識というものはきっと、自分が自分らしくいるためのお守りのようなものであったのではないかな、と思います。
だからこそ、わたしを「詩人」として守ってくれた中高にお礼を言いたいし、ずっとわたしの文章を待ってくれていた先生や家族に恩返しをしたかった。だからこそ、この道を選んで、たくさんのご縁を結んでいった。
そして、心の静かな部屋でたった一人になる時間も含めて、
「それでも生きていくという意志」
を第二詩集に込めています。

長く生きていくのも悪くないと思うよ。
大人になるって、色々な選択がありすぎて迷うってことなんだよ。
それはとっても贅沢なことなんだよ。

第二詩集の『フレア』は太陽の光からとりました。
わたし自身が世界を変えるなんてことはできない。そして、本当の意味で人を救う、ということもできないかもしれない。
でも
わたしの詩をリーディングしていく中で、ちょっとだけその人の心の何かにひっかかるような、そういう作品を創っていたし、わたしが今のままというものを自分で幸せだと思うから、幸せだと思うものを書けていたのかもしれないなと思います。
絶望の淵に立っていた10代もあった。
それでも長生きしてやる、という思いは、どこから湧いたんでしょうね。
いつか、これまでのたくさんの涙が同じくらい幸せなこと・笑顔になれることに変わる、そういう思いさえあります。
いつか、光を放っていく。
そういう意味で、これからも活動していきたいと思います。

また、マスクなしで笑いたいな。
梅雨に入りましたね。どうかみなさん、
笑顔で明日の朝を迎えられますように。

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