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【日記・エッセイ】自分の人生自分が主人公なんだぜ的なモード 2024年8月13日 火曜

こんにちは。長尾早苗です。

ここ一週間ほど家族の用事が多かったので、家族とのかかわり方、仕事とのかかわり方、社会とのかかわり方、すべてにおいて勉強できた日々でした。

冠婚葬祭は日本独自の文化だと思っていますし、こんなにも「家」制度で悩むのは日本の文化なんだろうなとも思います。


家族とのかかわりの中で

最後になんでもやってくれる魔法使いがいる

と信じていました。それ誰だよと今になっては思うのですが、若いころなんてそんなもんです。

自分の思う通りにいかない!!
と悩み続けるのが人生ですし、わたしもいい意味でも悪い意味でも「姫」としてのびのび育ってきてしまったので、遅れを取り戻すように今苦労をしているような気がします。

自分の思う通りにってどういう生き方なのかというと、他人が自分のいうことをなんでも自分と同じように聞いてくれる、と思うことなんです。

そんなはずないでしょう!

自分と同じように考えて立ち回り、行動してくれる他人なんているわけないじゃないですか。

でもわたしも今になって、自分の人生は決して自分が主人公ではないということを学びました。

自分の人生自分が主人公なんだぜ的なモード

子育てしている友人や祖母たち、日々お年寄りと接している中で、彼女彼らが日々抱えているもやもやが、すべて
自分の人生は自分が主人公なんだぜ! 明日のことは明日の自分が考えるんだぜ!

ってうまく立ち回ろうとする子どもの考え方をずっと持っている家族や子ども、若い人とやってきたかどうかという点にあります。

冷静になって考えてみれば、自分の人生は自分が主人公なのは否めないですが、わき役に徹している人々の存在を忘れてしまってはいないかなということを常に考えることが大切なのではないかと思います。

この交通費は誰が払ってくれているのか?
この通信料は誰が払ってくれているのか?
この労力は誰がやってくれているのか?
この仕事に誰がかかわってやってくれているのか?

すべてにおいて必要な仕事の対価として支払われるのがお金だと今の知識の中では思いますし、今その経済を変えることは少なくとも人が一人でやれる仕事ではないように思います。

飲み屋でうまく立ち回れる人=仕事ができる?

この一週間、法事でしたが家族として、会食をしながらいろいろなことをふりかえってきました。

何をやっても許してくれる。
簡単に自分の仕事の対価を渡してくれる。

そんな甘えがどこかしらに自分にもありました。
……というか、作家として仕事をするということって、その「甘え」と真正面から向き直って文章を書くことだとも思います。

わたしは飲み屋でうまく立ち回れません。
社交的かもしれませんが、基本的に疲れている時は一人にさせてほしいタイプです。

飲み屋(居酒屋)ではその人の素の人となりが出ます。
わたしは持病も持っていて、家庭環境として本当に「お嬢様」としてのびのびやってきてしまいました。

どんな仕事も、最後に必ずまとめ役がいます。
そのまとめ役には誰にも心の底では裏切れないですし、まとめる仕事が一番難しくて重要だとも思います。
そしてそれはわき役に徹してきた仕事人のこころ意義だとも思っています。

「姫」はいつか「王妃」にならなければいけないので、シンデレラは物語の後本当に苦労したろうなと思うのですが、シンデレラになるってそういうことだよ。
……とも思います。

苦労は買ってでもした方がいいかもしれません、、、

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