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【エッセイ】わたしの仕事について。ひとりだけどひとりじゃないこと ~ゆっくりと走りながら~

こんにちは。長尾早苗です。

いやあめっちゃ雨だねえ。
それにしても、暑かったねえ。
なんてのほほんと言えるのは、いろいろなイベントを乗り越えたからで。
2023年9月24日のラヴァーグのnoteに、文学フリマ大阪11とポエケットの記事を書きました。このエッセイを書きあがった後追記します!
(追記しました!2023/09/24)



メリハリと暮らし

ここ最近、コワーキングスペースで人間関係ができるようになって、なんだか暮らしやすくなりました。
前はずっと在宅ワークだったので、生活にメリハリがつかなかったんです。
うちの人と一緒にいる時間も楽しいし、それでもお互いに仕事をしているわけだから、どうしても気持ちがかさばるときがある。

詩人は特に習慣もないし、ネガティブになったときはとことん何かにわたしは頼るのですが、そういうところがわたしにとっては「場所」でした。
なんで「場所」なんだろう、って思ったときに、ふと前職の図書館を思い出すことがあるんです。

わたしは本を読むことも業務で図書館新聞を作るのもすきだったし(早く読んでしまうくせはそのころ身についた、けど今になって後悔……)人が本を読んでいる顔を見るのもすきでした。

大学生のころから詩を書いて発表していたし、気が付けば周りによい先生たちが集まっていたから、ラッキーだったのかなって思います。

一緒になにかやりましょう!

よくフリーランスになってみると、個人プレーだなって思う時があって。でもそれを矜持とはわたしは思っていなくて、誰かを巻き込んで一緒になにかやりましょう! って思える「場所」がすきでした。

何かをしたくてたまらなくて、自分というものを考えあぐねていた若い友人も、何かを表現したくてその媒体が見つからない友人も、

自分やほかの人の「何か」を守るために一生懸命だった。

そういう人の顔は、いつでもうつくしいと思います。
いまいる場所は、いい意味でいろんな人がいます。世代も違えば、性別も、好きなものも職種も違って、それでもほどよい距離感を保っていられる。

だからこそ、そんな人たちがわたしとは違う土俵で仕事をしているわけなので、わたし一人が「特別」じゃなかった。

ジョギングと「特別」

作家だから特別って思われたくなかったし、いろんな職業そのものが「特別」だと思う。
不特定多数の人に放ったことばが、誰かしらの胸に届くとして、そしてその人の中でわたしが、わたしのことばが「特別」であればいいのだと思います。

だから、今いる場所での詩誌の活動であったり原稿の仕事であったり私家版を編集することだったり、はわたしにとってゆっくり走るジョギングでもあるんです。趣味と仕事の延長線上。
でも、ずっと走ってたらそりゃつかれる。だからインターバルをとる。
家族や友人はそんな時に、ほいってわたしに水とかタオルとかを渡してくれるような存在としてわたしはとらえていて、たぶんインターバルの顔は、わたしは「場所」が変われば違うのだと思います。

今日もスティックシュガー二本と、コーヒーとペットボトル三本の水とお弁当を持ってきました。低血圧で低血糖のわたしのことも、別に変とかじゃなく、ゆるりと構えていてもらえているのはありがたいなと思います。

走り続けるわたしにインターバルのタイミングを教えてくれたり、「余白の時間」の大事さを問うてくれる人がいることはありがたいし、いつか自分もそうなりたいと思っています。

だからこそ、詩人の読書記録日記は少しお休みしていました。
いつか紙媒体で発表するかもしれないし、自分だけで見てにやにやするかもしれない。そんな気もちでいいのだと思います。

今日はフリーランス仲間とまたしゃべれたらいいななんて雨のバス停からやってきました。
いつだって至福な午後を、メリハリのついた生活を過ごしていけたらいいなと思います。

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