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仕事とスポークンワーズ④(ブライダルMC)

※この記事は前回の内容「仕事とスポークンワーズ③(イベントMC)」の続きです。

婚礼司会者になった経緯(2012年〜)

イベントMCとして思いのほか機能し、充実した日々を送っていた俺ですが、あっさり仕事を失いました(笑)。クライアントである大手飲料メーカーの震災によるダメージが甚大で、CSR事業に予算を割くことが難しくなってしまったのです。その事業の企画・実施をメインの仕事にしていた勤務先は、従業員への給与が支払えなくなってしまいました。その時、感じたのは「収入を一つの何かに依存するのは怖い」ということでした。クライアントは大手でしたが、天災には敵いませんでした。

そこで、将来的に独立してMCをやっていきたかった俺は、イベントMCの残務をこなしながらも婚礼司会のスクールに通うことにしました。入学したのは以前勤務していた声優専門学校の社会人部 東京アナウンスアカデミー。ブライダルMCを目指すことにしたのは、年齢に関係なく挑戦でき、声優・ナレーターよりは安定していたからです。また、婚礼は土日祝日がメインの仕事なので、その他の仕事と組み合わせることができるというメリットがありました。スクールでは週末のみのレッスンを半年間受講。卒業時に行われる学内オーディションで複数の司会事務所から合格をもらいました。

以降、2012年から2021年までの10年間。俺は平日の勤務先・土日の司会業・ライブ活動、いわば「3足の草鞋」で生活をすることになります。足は2本しかないわけで、だいぶ落ち着きのない生活!

事務所に所属するということ

これまで演劇やライブの活動をDIYでやってきた俺は、事務所のマネージメントを受けたことがありませんでした。婚礼司会の仕事は、司会事務所に所属して事務所が提携しているホテル・ゲストハウスでマイクを握るのが基本です。生まれて初めて事務所に所属することになり、新鮮だった記憶。最初に入った事務所は都内の2箇所の式場の司会を専属で請け負っている小さなところで、デビューしやすいアットホームな環境が売りでした。ボスは元々地方局のアナウンサーで、民放ワイドショー内の実演販売コーナーでブレイクした年配女性でした。柔和で上品だけど叩き上げ感のある人。

初めて飛び込んだ婚礼の現場は、イベントの現場と比べてプレッシャーがありました。顧客が支払った多額のポケットマネーで動いているため、ミスが許されない上に、会場のプランナーやキャプテン(宴席を進行するリーダー)の仕事のスタンスに寄り添う必要がありました。自由度が制限されてプレッシャーがかかると、言葉は堅くなり、表情も固くなり、体も硬くなります。結果、最初はなかなか活躍できませんでした。ブライダルMCが女性中心社会だったことから、男性MCに回ってくるチャンスが少なかったことも一因です。

半人前であった俺は、社長のマンション兼稽古場でレッスンを受けるだけでなく、なぜかナレーションのワークショップにも事務所のお金で通わせてもらいました。ボスとしては親心でなんとか成長して欲しかったのでしょう。ヤクザじゃないですが、そういう「擬似家族」のような関係が事務所というものにはありました。

移籍するということ

最初の事務所では20回くらいは司会を担当しましたが、仕事の本数が月に1本程度では経験値が貯まりません。そこで、通っていたワークショップで一緒だった有能なお姉さん(別の事務所の司会者)に密かに仲介してもらい、別の事務所に移籍しました。移籍の際に新たな事務所のボスと面会したのですが、その場で課題を出されて司会のフリースタイルをやらされたのを覚えています。サクサクこなすと、一発合格。ボイスサンプルのRECも一発OK。その後は経験者と見なされ、レッスンらしいレッスンもなくバンバン仕事を入れてくれました。

結局のところ、自分にはブライダルMCとしての能力が備わっていたのだと思います。環境によるプレッシャーから機能していなかったのです。事務所が変わると視界がガラッと変わり、仕事が急増しました。東京だけでなく千葉エリアや横浜エリアのゲストハウス ・ホテルでも司会を担当しました。また、婚礼以外の(本来得意な)イベントMCの仕事も回してもらえるようになりました。

芸能事務所の移籍は、プロスポーツ選手のチーム移籍と同じくらい大きな意味を持つものでした。事務所によって抱えている仕事もスタンスも違うから視野が変わる。また、ポジションが被るプレイヤーがいなければ、チャンスは増えます。移籍後の事務所は移籍前の事務所と比べて3倍以上の数のMCが所属しており、10倍以上の数の会場と取引がありましたが、稼働している男性MCは俺だけでした(男性MCを希望する案件は全て俺に来る)。そういった面でも移籍は成功だったと思います。とにかく普通の会社員の転職よりもドラスティックに環境が変わったのを覚えています。

事務所のフックアップにより戦前から続く国内最大級の会場 東京會舘の案件も担当した
経験値を上げるべく打ち合わせなしの安価な二次会司会も多く担当した


ブライダルMCを通して学んだスポークンワーズ

ブライダルMCだけでなく司会者に必要なものは何かというと、自分の考えでは一つだけです。催しへの「当事者意識」。関わる催しを他人事にしないこと。当事者意識だけあれば良いといっても過言ではないと思います。
言葉を伝える際、当事者意識の有無によって響き方や届き方が全く違ってきます。当事者意識がある声は当然届くので、司会業以外でもリリックを書く時や人に何かを伝えたい時、俺はそこを意識します。社会運動を例に挙げると、ただ「イスラエルは虐殺を止めろ」と言うだけだと弱いのです。ただ言ってるだけ。届きにくい。こう言ったらまだ説得力が出ると思う。つまり「実感がこもった発信」になると思うのです↓

「実感がこもった発信」で場を掴むためにも、ブライダルMCはスキルだけでなく、「お客様の結婚」をいかに「自分事」にして当事者意識を持つかが大事です。単純に打ち合わせでお客様と仲良くなっちゃえば良いと思う。だから、結婚披露宴の司会はプロに頼まなくていいと思います。主役の二人のことをよく知る共通の友人こそ最も当事者意識を持つことができるからです。
この「司会は最終的には愛だ」という気づきは、5年前にnoteに書いた以下のテキストの結びにも詳しく書いています↓

そんなわけで、披露宴司会の件数が増えてきた俺は、2015年頃からライブ活動の現場でも司会を頼まれることが増えていきました。ライブイベントやポエトリースラムの司会の仕事を経験していくことで、自身のスポークンワーズのライブも変化していったと思います。曲間のMCに気を配り、初めて観る人でも楽しめるように、イベントの流れにうまくフィットするように自分のライブを乗っける。司会をしていない時にも司会のマインドはスポークンワーズを助けてくれるようになりました。ラッパーじゃないのに自分のことを時々MCと名乗るようになったのもこの頃だと思います。


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