素顔(心情)を化粧(技術)で伝えるMC
立春を迎え、寒さは厳しいものの晴れた日中はどこか春の兆しを感じるようになってきました。1月に観たライブで印象に残ったことがあったので、書き残しておきます。(その前にちょっと長めの前置きをしますね。)
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舞台を通じて知り合った友人達がやっている「胎動」というジャンルレスのライブイベントがあり、2017年に「胎動大学」という新企画にお世話になりました。この企画は珍しいもので、普段 胎動に関わるパフォーマー達が好きな内容で自由に授業をして良いというもの。これがきっかけで、猫道としてのソロライブ活動だけでなく、過去の日本の話芸について学ぶというライフワークができました(現在は胎動大学から独立して「演歌の猫道」というイベントを不定期開催)。「胎動大学」には3回登板し、1回目は「明治大正時代の演歌」、2回目は「江戸時代の路上芸能」、3回目は「軍歌とプロパガンダ」というテーマで授業を行いました。先人たちの詩を自分なりのアレンジでカバーし、合間に講義を挟んでいくスタイル。お金をもらってライブをする・授業をすることは長い間続けていますが、「授業をライブパフォーマンスに入れる」という試みは初めてで、めちゃくちゃ面白かったです。
日本の話芸や作詞についてディグってきた中で、特に惹かれたのは明治大正時代の演歌でした。演歌と言っても戦後に作られたものとは違って、自由民権運動の時代に主に路上で歌われた「演説歌」です。これは楽器の伴奏もなく、当初はおそらく旋律も定まっていなかったであろう原始的なスタイルの歌で、自由民権運動が政府によって締め付けを受けた時代に、演説の代わりに主張(国会を開いて民意を聞け)を歌に込めてパフォーマンスしたことが始まりだそうです。「壮士」と呼ばれた運動員達は街頭で演歌を歌った後、歌詞を印刷した冊子を手売りして活動資金にしていました。そんな演歌ですが、時代の流れとともに政治運動を第一の目的とする当初のものとは別の、庶民の心情や感覚を軽妙なタッチで(時には皮肉を込めて)描いた流行歌のようなものに変化していきます。その流れを作ったのが添田唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)という演歌師(演歌を歌うことを職とする者)であったと言われており、唖蝉坊の活動や演歌師の足跡は息子の添田知道(別名 添田さつき)の著作などによって後世に残されています。
添田唖蝉坊の演歌はYouTube上に三味線の弾き語りで再現されたものが多くアップされています。その多くは、添田知道の弟子であった故 桃山晴衣氏のパートナーであり、フリージャズのパーカッショニストとしても知られる土取利行(つちとり としゆき)氏によるもの。歌詞や楽譜を受け継いで再現しているそうです。そんな明治大正演歌の継承者、土取利行氏が添田唖蝉坊の演歌を弾き語るライブを行うと聞いて、演歌仲間と共に観に行ったのでした。(長めの前置き終わり)
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ライブが行われたのは2019年1月20日、会場は両国シアターX(カイ)。タイトルは「添田唖蝉坊・知道の浅草を唄い語る」でした。メインアクトは土取利行氏。トークゲストとして、浅草に長く住んでいたことでも知られる作家・タレント・ラッパー いとうせいこう氏の名前があり、どんな掛け合いになるのか楽しみに向かいました。
ライブは土取氏のフリージャズ過ぎる(=全くのノープランの)即興トークと弾き語りで進行し、いとう氏は話を聞きつつも土取氏の演奏の間奏に朗読やラップを挟んでコラボレーションするというものになりました。トークは明治大正演歌の基本知識がないと完全に置いていかれる内容…。満席の客席はおそらく常連の方達なのでしょう。しかし、ライブでは、トークの込み入った内容がわからなかった人でも印象に残るような素晴らしい瞬間が2度ありました。
1度目は、土取利行氏による【復興節】(添田さつき作 関東大震災から復興する東京を描いた応援歌)の演奏の間奏で、いとうせいこう氏が【廃炉せよ】という脱原発のメッセージを込めたテキストを朗読した時です。「我々は持続可能で平和な日本を作らなければならない。そうでなくて何故今の犠牲があるというのか。美しい山河を汚染されている悲しみは繰り返されるべきではありません。」というシャウト。自分の暮らす町や国土を愛している気持ちや前に進ませたい気持ちが大正と平成を自然に結びつけた感じがしました。
2度目は、土取利行氏がオリジナルのリリックで歌った【辺野古 数え歌】に添えられた、いとう氏のポエトリーリーディング【怒り】を聴いた時でした。「暴力と怒りを取り替えてならない」「怒りは純粋に怒りのままで燃えるのだ」「君が美しいのは怒りに燃え上がり、それを誰かに伝えている時だ」「君が美しいのは怒りを誰かと共有するからだ」「怒りは表されなければならない」など暴力と切り離された怒りの表明を讃えるリリック。土取氏が沖縄への理不尽な処遇に対して反対する意思を歌ったことへのアンサーになっていました。それだけではなく、オーディエンスが詩を聞きながら内容を自身のことに置き換えて考えることができ、おそらく100年後の聴衆にも伝わるであろうシンプルでストレートな言葉でした。この日のライブで最も盛り上がったと思います。
このように、添田唖蝉坊のカバーを聴くという目的で向かったライブでしたが、土取利行・いとうせいこうという、二人のミュージシャン・リリシストの表現姿勢に一番刺激を受けました。クラシックを持ち上げたり、そのまま実演することは簡単で、それを演ることで固定ファンからの一定の好リアクションは得られるはずです。ところが、彼らは明治大正の演歌だけではなく、堂々と平成の演説歌をかましてイベントを締めたのです。上記のいとう氏の朗読【怒り】を受けての土取氏の一言「浅草は滅んでいなかったね」で会はお開き。添田唖蝉坊が長く住み、演芸人の活躍するエリアでありつつ貧民窟や売春街もあった浅草。底辺(平民の目線)から浮世を斬った演歌師のアティテュードに似たものを土取氏はいとう氏の言葉に感じたのでしょう。
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さて、そんな素敵なライブを観て、自分はソロMCとして舞台表現や司会の仕事をどうしていきたいかを考えました。
【スポークンワードパフォーマー 猫道として】
まず、朗読作品や曲作りにおいては、いかにその時の自身の気持ちをストレートに表すかということを意識して作ろうと思いました。もちろん、詩を書く人ならいつだってその人の「今」が言葉に宿るわけですが、今後は100年後の人がこれを観た時に、自分という人間や時代の空気感が伝わるかどうかをほんの少しだけ考えて創作したいと思いました。その時の状況や心情というのは、時が過ぎれば自分の中で忘れていくし、ぼやけてしまいます。写真を撮るように今現在の自分を活写する。100年後の誰かと言わないまでも、10年後の自分が観てフレッシュに思えるようなものを創りたいです。例えば、書いた作品に10年後には使われていない現在の言葉が入っていたとしてても、そこにストレートな心情が綴られていれば、もはや史料的価値があります。土取利行氏、いとうせいこう氏のアクトを観て、歴史の一部として自分の気持ちを刻むという行為がしてみたいと思いました。
これまでも、自分の作品は「現実を模したファンタジー」または「心象風景」を綴ったものが多く、完全なフィクションは多く作っていませんでしたが、今後も現実(今の自分)をどう綴るかにスポットを当てて活動していこうと思います。心情をストレートに表すと言っても、むやみやたらに泣き喚くといったことではなく、自分の場合は「苦笑い」であったり、「滑稽な怒り」であったり、ある種の技術を用いてテキストに落とし込んでいくので、屈折していることがストレートな感情表現です。技術(巧さ)はそういったところに使おうと思いました。矛盾した変な喩えですが、素顔(心情)をより伝えるために化粧(技術)を使うという感じ。技術があれば初見のオーディエンスに親しみやすいし、何より対価として木戸銭をいただいて芸を魅せるわけですから、いただくお金と出し物がより釣り合うのではないかと思います。技術の使い方を面白いと思ってもらえるMC、そして何よりも巧いけど実直でチャーミングなMCになりたいです。
【司会者 猫道として】
また、仕事でやっているブライダルMC・イベントMCについてもある種の「素直さ」がポイントになってくるところがあるので、気持ちをストレートに表すというのは今一度意識しなければならないと感じました。気持ちがある人はまず声のトーンからして違ってくると思いますし、そのトーンはおそらく気持ちのある人と共鳴するのではないかと思います。トーンとか共鳴とか抽象的に書いてしまいましたが、単純な話です。お客さんを愛せばよいのだと思います。昨年、中高時代の旧友の披露宴を担当した際、職場の面々から新郎が信頼されているのを感じて誇らしく思いました。ありえないことに、マイクを持つ手に力が入り、お開き後は汗ばんでいました。20年以上舞台に立っていて、司会になって5年以上経ってもそういうことがある。単純にお客さんの人生の一部でマイクを握る当事者意識があったからだと思います。その日は親族やゲストの皆さんからも好評で、よい仕事ができました。
また、披露宴司会で大事なトラブル対応についてもお二人に寄り添う素直な気持ちが必要です。例えば、披露宴で余興をされるご友人が泥酔した状態で間延びしたパフォーマンスをしてしまい、途中でやめてしまったとします。個人として素直に気持ちを表せば、(俺は短気なので)それこそ「怒り」になってしまうかもしれません(笑)。そこを「〇〇さんは大変親しくされているご友人と伺っております。お二人を祝福したい!ということで今日はおおいにお酒を召し上がられたと思いますが、〇〇さんのお気持ちはお二人に届いていらっしゃると思います。皆様、お二人とご友人に大きな拍手をお送り下さい!」とフォローすれば、おそらく場の空気はある程度回復するでしょう。こういった対応ができるかどうかも、新郎新婦(愛すべきお客さん)が望む方向を一緒に向いているかにかかっている気がします。いとうせいこう氏の詩【怒り】とは真逆の対応ですが、怒りを凌駕する愛情があれば言葉は変わってきます。依頼人への愛を込めて技術を使うMCになりたいです。
そんなわけで、新年早々よいライブを観たことで一人のパフォーマーとして、司会者として、気持ちを新たにしました。そろそろ3月から7月までのライブ日程が固まってきました。司会業も新しい会場での仕事が入ってきたりと正念場。以上のことを念頭に、新しい季節を始めたいと思います。
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