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つかみを怠けない~読書・恋愛・パートナーシップ②(三宅香帆さんゲストイベント書き起こし)

※この記事は文化系のためのオンラインマッチングサービス「猫Match!」のトークイベント『読書・恋愛・パートナーシップ』(ゲスト:三宅香帆さん)より、一部を書き起こしたものです。

語り手:三宅香帆(書評家)
聞き手:あじさい(文化系恋愛アドバイザー/猫Matchマネージャー)
    マヤ@文学淑女(猫Match!スタッフ)

<前回>




【具体例を挙げる】

三宅:で、私は深堀りしたあと書評を書いたりとか、好きなものについて書く場合は具体例を挙げるのすごい大事だなと思ってるんですよ。なぜかっていうと、具体例をあげないと結構なんかふわっとした全体への感想、ありきたりな感想になりがちだなというふうに思ってるんですよ。
この小説が面白かったっていう、例えば「恩田陸の『光の帝国』っていう小説がすごい良かった」みたいなのってやっぱりこうなんかふわっとしすぎて、魅力が伝わるものも伝わらないなっていう風に私は思っていて。じゃあ『光の帝国』の中のこの短編が良かったとか、このセリフがしっくりくるんだっていうような具体例を上げて感想にするとこう伝わりやすいですし、かつ自分の中の解像度もすごい上がるなって。
パートナー探しの話に戻ると、好みみたいなものもやっぱり具体的であればあるほどいいんじゃないかなと私は思っていて。友達と話したりしても、好きなタイプは「話してて居心地がいい人」みたいに言われても紹介しようがないじゃないですか、ふわっとしすぎてて。やっぱり自分の好みを伝えて、友達紹介してもらおうとかアプリで探そうとかでも、話してて居心地がいい人っていうのはどういう人なのかっていうのを出来るだけやっぱり形にしていかないと他人には伝わらないなと私は思っているので。

あじ:何食べたいって聞かれておいしいものっていうぐらいの感じですよね。

三宅:(笑)確かに確かに。なので、具体的な例を挙げるって好きという感情においては大事なのかなと思いますね。好きだったら全部肯定したくなるけどあえてそこを具体的に挙げるみたいな重要性っていうのがあるのかなと思ったり。

あじ:例えば 三宅さんが好きになった人の中で、この人のここの部分が好きだったとかそういうものって覚えてらっしゃいますか?

三宅:それこそ、去年結婚したんですけど今のパートナーが四、五年ぐらい付き合いがある…っていうか付き合っていて結婚したんですよ。それで一番いいなと思ったのが、あんまりその人の成功に嫉妬しないところがいいなと思って。そこかよって感じなんですけど、他人がいいことあった時にそれと比べて嫌な気持ちになる人の方が世間は多いんじゃないかと私は思っていて、自分もやっぱり自分の調子が悪かった人の成功をなかなか喜べなかったりとか、喜んでいてもどっかでこう自分は…って卑屈になったりとかマイナス思考になることって多いんじゃないかと思っていて。そういう人が昔の彼氏とかで多かったんですよね。それだったので今のパートナーと付き合いだした時に「そういうのが全然ない! めっちゃ楽!」ってそういう点がいいなと。割と具体的にそこはあんまり他の人にない美徳だなという風に思ってたりしますね。


【弱ってる時の自分を知っておく】

あじ:嫉妬するのも結構少年漫画的世界観ですよね。もっと強くなりたいみたいな。

三宅:確かにそうかもしれない。まあ女性もやっぱり多かれ少なかれ他の人を見てモヤっとするみたいなのがやっぱりあるのが普通なのかなと思ったりはしますけどね。

あじ:それがないっていうのはすごい素敵ですね。調子が悪いと人のこと気になりますもんね。

三宅:そういうものではありますけど、それにこっちが影響を受けちゃうとやっぱりちょっとうまくいかなかったり。

あじ:自分の話で恐縮なんですけど、僕の場合調子悪くなってくると中二病がどんどん高まってくるんですよ。

三宅・マヤ:(笑)

あじ:世界が間違ってるみたいな気持ちにどんどん。

三宅:それはやっぱりこう、世界滅べみたいな方に行くんですか?

あじ:自分が今認められてない状態だと、こうなんか世間一般の尺度じゃなくて自分だけが理解できてるみたいなものに対してすごい価値を見いだしていくっていう。ニッチなところでなら勝ってるみたいな 。で、調子が戻ってくるとどんどん恥ずかしくなってくるっていうか。

三宅:それが精神の安定バロメーターなんですねー。面白い。

マヤ:なんとなくわかるって感じ。

三宅:私もそういうの出てくるとなんかすごい面倒くさがり全て省エネになるので、そういう意味でバロメーターになるものって人それぞれあると思うんですけど、それが結構他人に向いちゃうとちょっと大変になったりしますよね。

あじ:それも自分を掘ることっていうか。

三宅:確かに弱ってる時の自分を知っておくってめっちゃ大事。

あじ:伝えておくのも大事ですよね。弱ってるとこういう風になっちゃうかもしれないけどあんま気にしないでくれとか。

三宅:自覚してるんだってわかると伝えられた側も楽になりますもんね。

あじ:逆に自覚がないとちょっとしんどいかなって感じ。

三宅:確かにーこれを聞いてる皆さんは是非自分の辛い時のことを。

あじ:辛い状態の時自分がどういうことをするかっていうのを言える範囲で伝えられるように。


【誰でもいいからモテたいっていう感じになってると逆に誰にもモテないみたいな】

三宅:書き方の話になるんですけど、深掘りして具体的にまで行ったところで、じゃあアウトプットをどうするのかみたいなのがあると思うんですけど。それで結構大事な文章の書き方というか、文章術みたいなのがこれも大事な三原則があると思っていてですね。私的に文章で一番大事かなと思っている、普通に書評とかだけじゃなくてコラムとか本書くでも論文書くでも何でも一番大事かなと思ってる三つなんですね。

<「伝わる文章」の大原則>

・ターゲットを明確に
・文章はつかみが命
・なによりも大切なのは、軸

ちょっと具体的に喋っていくんですけど、これもやっぱり結構パートナー探しにつながるのではと思っ ていて。パートナーを探してる時に…文章を書くってやっぱり自分のことを読みたいと思わせることが私はすごく重要だと思ってて。とりあえず最後まで読んでもらう、何かいいものを持ち帰ってもらうっていうのがやっぱりすごい大事かなと思うんですけど。
パートナー探しをしてる時もやっぱり自分の良い面をプレゼンして、その上でなんか素敵な人だったなって思ってもらおうみたいな。さっきまでの、深掘りするとか具体的に考えるみたいなのが自分の深掘り・自分側の好み探しみたいな話だとしたら、こっちは結構アウトプットというか、デートにこぎつけるからじゃないですけど、そういう時に通じるのかな? くらいの、本当にこれが絶対正しいって言ってるわけじゃなくて、私が思うってぐらいに受け止めていただけたらと思うんですけど。

文章って不特定多数に読まれるものじゃないですか。時に誰に向けて書いてるかをはっきりさせるのって大事だなと思っていて、基本的に文章ってやっぱり誰が読んでるかわからないので、読書感想文を書くにしてもその本を知ってる人に向けて書くのか、知らない人に向けて書くのかとかでは伝え方が変わってくるなと。その意味ではちゃんと誰に向けて書くのかっていうのを明確にした上で文章を書き始めるっていう。それを意外と忘れやすいなっていうふうに思うんですよね。

やっぱりその本を知らない人に向けてプレゼンするのと、知ってる人に向けてプレゼンするのとでは言葉の使い方が全然違ってくるじゃないですか。
でも文章って誰が読んでるかわからないから、今誰に向けて書いてるのか意識せずにぼやっと書いちゃうみたいなことが私は結構やっぱ失敗例としてはすごいあるので。そういう意味でも、ターゲットをもうここって決めちゃって、そこに向けて一番いいように思ってもらえるように書いていくっていうのが大事かなというふうに思っております。

あじ:気を抜くと自分が書きたいものっていうか、自分が言いたいことを言ってて相手に伝えることを何も考えてなかったり考えられなくなってたりしますよね。そういう理解で合ってますか?

三宅:合ってます、なんか読者を意識せずに、相手がいるっていう事を忘れて喋っちゃうとか書いちゃう事ってすごいあると思うんですよ。なので、どういう人が読んでそうかなとかを考えて、喋りたいことばっかり喋るというよりは出来るだけ聞いてもらいやすいように喋るとかそういう感じですかね。なのでありがちなのが、読者は誰でもいいから読んでほしいと思って書き始めちゃうんですけど、それではもう誰にも伝わらない文章になるっていう
この矛盾、パラドックスが私的にはよくあるので、やっぱり誰でもいいから聞いてほしいじゃなくて、出来るだけ誰に向かってっていうの定めた方が逆に聞いてもらい やすい読んでもらいやすいなっていう風に思うんですよね。これもやっぱりパートナー探しにも通じるものがあるのでは? はてな? と思ってて。誰でもいいからモテたいっていう感じになってると逆に誰にもモテないみたいな。モテないって言うとちょっとあれかもですけど、自分が結局どうありたいのかよくわかんなくなってくるみたいなのが恋愛迷走あるあるだと思ってるんですけど。そういう意味ではどういう人がいいのかってちゃんと考えるみたいなのは大事だなって思いますね。

あじ:みんなに好かれようとするのが一番嫌われるみたいな言葉もありますもんね。

三宅:確かによく言いますよね。難しいですけどね。逆に誰でもいいから好きになってほしいみたいに思ってる時ってだいたい精神がちょっと疲れてる時じゃないですか。

あじ:荒廃してる時ですね。

三宅:そういう時はちょっと一回冷静になって、疲れを取ってから考え直すみたいな。文章も何事も結構一緒だなあと。

あじ:実際その時は誰でもいいからって思ってるけど、本当に誰か来たらそれはそれで嫌だったりするんですよね。

三宅:確かに! 誰でもいい時には誰でもいいわけじゃない

マヤ:(笑)

三宅:めちゃくちゃ真理(笑)そうなんですよね。自分の中で思ってるのが、恋愛したい欲みたいなのと、自分の仕事…文筆家業をやりたい欲みたいなのってだいぶ同じところにいるなと思って。大学生の時とかは恋愛もうちょっと好きだった気がするんですけど、仕事しだしてからなんかそっちに意識が向かなくなって。それってやっぱり何でかって言うと私の中で多分同じことしてるからなんだろうなと思ってて。 こういう人に向けて読んで欲しいからこういう文章を書く、みたいなプロセスと、なんかこういう人を見つけたいからこういう感じでいるみたいな、なんか恋愛の何だろう…やり方が多分同じなんですよ 。

あじ:三宅さんにとって文章を書くっていうことが、好きな人にとってエネルギーを放出してる時と同じ。

三宅:だいぶ同じ箇所なんですよ。なのでこういう思想になってしまうので。人によるとは思うんですけど、そうだなーっていう風に今回の資料を作りながら思っておりました。なので、全然文章の書き方としても聞いてもらえたらと思います。そういう意味で、誰でもいいみたいなのはあんまり思いすぎない方が文章もというか、発信というか、自分をこう出す・表現するっていう意味ではどれも同じなのかなと思ったりしますね。


【つかみを怠けない】

三宅:あとやっぱり文章ってすごいつかみが大事だなと思っていて。「つかみ」って言うと私がよく書いてるインターネットという場においてはですね、みんな忙しいっていうのが大原則だと。そういう意味では最初に何を読んでもらうかってすごい大事で、かつ最初の二、三行を読んであんまり面白くなさそうな文章ってみんな閉じちゃうじゃないですか。本でも一緒だと思うんですよね、最初の方をパラパラっと立ち読みして面白くなさそうだとどうしても読むのをやめちゃうみたいなところってあると思うので。やっぱり文章のつかみをちゃんと怠けずにちゃんと意識するっていうのが読み手に対する優しさかなというふうに私はすごい思ってるんです。
で、パートナーシップで考えると最初に何のインプレッションを植え付けるかというのが大事かなと。今回思い出したのが、大学の時の男友達の恋愛相談にみんなで乗ってて、アプリでまあいい感じになった女の子ととうとう対面で初めて会うみたいな話を聞いてたんですよ。で、どこをデート場所にするのがいいのか、そのアプリでメッセージだけやり取りしてた子との初対面の場にするのがいいかみたいな話をしてて。男性陣が…っていうか、まずその男の子が(関西なので)奈良の公園はどうかみたいな話をしてて。鹿がいっぱいいるんですよ奈良公園って。鹿に上げる鹿せんべいとかも売ってて、春日大社とかもあって、まあまあアウトドアというほどアウトドアでもないですけど結構遊べる感じの場でいいんじゃないかみたいな話をしてたんですけど女性陣からは不評で。
それは別に鹿に興味がないとかいうわけじゃなくて、奈良公園ってちょっと街中からは遠くて一日かかるんですよ、遊ぶとすると。でご飯とか入れると半日は絶対使うじゃないですか。アプリでメッセージしてるだけの人に休日の半日はちょっと重くないかみたいな。多分女子はやっぱご飯だけ食べてその後買い物にも行ける街中の方がいいのではみたいな話になったっていう思い出を思い出して。やっぱり最初はみんな忙しいことを認識して、短時間でなんかいい時間を過ごせるようなところがいいんじゃないかみたいな話を。

あじ:2時間くらいで終わった方が。

三宅:いいです。忙しい中でどうやって時間作ってもらうかみたいなのを文章も何事も一緒だなあと。 

あじ:みんな忙しいっていうのをついついやっぱり忘れがちになると思うんです。

三宅:忘れますよね。自分も忙しいのに。社会人だとほんとう時間作るのも一苦労というか。

あじ:会ってくれたりお電話してくれたりしたら「時間を使ってくれてありがとう」っていう気持ちで。 

三宅:長い時間一緒に楽しく過ごせるのももちろん重要だとは思うんですけど、一方でやっぱり相手の忙しさをちゃんとわかるみたいなのも愛情の一つだったりもしますしね。難しい塩梅なんですが本当に。

マヤ:読書というかその本を読んでもらうことを伝えていらっしゃる三宅さんならではの視点だなって今聞いていて思ったんですけど、三宅さんの書評というか本の紹介を読んでいると、紹介している本も実際に読みたくなるんですよね。紹介しているものをもっと知りたいと思ってそれに対して時間を取りたいって思うので、なんかなるほどーと今のお話を聞いていてすごく思いました。

三宅: そうだと嬉しいなと思ってて。私は本の中でもあんまりあらすじとかも紹介しないようにしてて。紹介することを求められるような媒体だとまた別なんですけど、そうじゃないフリーというか本とかそれこそ好き勝手書いていいものだと最低限にしてて、それは何でかって言うとあらすじはググったらわかるじゃないかと思っていて、どっちかっていうとそのググりたいと思わせることの方が大事だと思ってるんですよね。なので好きなものについて書くときはその好きなもの自体を紹介するというよりは、好きなものをわかりたいと本当に思ってもらうように仕向けるみたいな感じに考えて文章を書いてるので。初めてはデート的なものも、長い時間かけて知ってもらうっていうよりはいかに知りたいと思わせるかみたいな。その知ってもらうこと自体というよりは知りたいと思わせることに注力するみたいな…抽象的な言い方なんですけど、なんか大事な気がしちゃいますよね。

あじ:なんか自分の面白さの片鱗みたいなものを、面白いを前面に出していくとやっぱりうまくいかないんですけど、自分といると楽しいことがありそうですよっていうのを小出しにしていくのがいいっていうか。

三宅:それこそありきたりですけど共通の物を見出すとか言うじゃないですか。ここに共通点があるよっていう、趣味なり出身地が近いとか。みんな近さを言うのって結局親近感を沸かせることによって、距離が近くなっていいかもって思わせるみたいなことだと思うんですけど、情報自体が大事っていうよりはその「あっ、いいかも」って思わせるっていう…もっと知りたいって仕向けるのがすごいなんか大事だなと思うので…って言うとちょっと私の恋愛スタンスが露呈してくるんですけど(笑)私は結構何事も思っちゃうので、各自のスタイルにもよりますけどね。それもまた手かもしれない。

あじ:この三行読んだらもう今後こんなに面白いことが書いてありますよとか、こんな役に立つことが書いてありますよとかそういう意味のつかみ。

三宅:なんとなくいいものでありそうな感じを出すみたいな。自分がなんとなくありそうな感じとか雰囲気って、やっぱり文章を読む時なんかもその情報を知りたいと思って文章を読むかもしれないんですけど、結局はその情報と一緒に出される「なんかこの先いいものがありそうな気がする」とかその雰囲気的に自分のテンションが上がりそうな気がするとか、そういう感情の部分がふわっと気持ちよくなるのが情報以上に大事だと思うんですよね。そういう意味で人間も、友達とかもそうだと思うんですけど。なんか単純に情報としての「お金がありそう」とか、情報としての「いいところがありそう」っていうよりは、やっぱり感じとして「仲良くなれそう」とか「気が合いそう」とかの雰囲気にみんな惹かれていくんだ と思うので、そういう意味では何を提示するかっていうのはちょっと抽象的な話ですけど、本当は大事なのは感情なんだみたいなのは、すごい自分でも思ってるところですね。

<続きます!>

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(猫Match!もどうぞよろしくお願いします)

<8月のマッチング読書会>
8/9(水)39歳以下限定 青山美智子『木曜日にはココアを』
8/18(金)45歳以下限定 稲田俊輔『食いしん坊のお悩み相談』



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