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自分の言葉を好きにはなれないけど

先日、『ミステリと言う勿れ』という映画を観に行きました。ドラマを見ていてハマった作品なのですが、何より主人公である久能整くんの言葉が大好きです。

少しそれますが、私が何か好きだなと思う基準は「言葉」だなと最近気がつきました。これまで好きになったドラマは、つい口に出して噛みしめたくなるような言葉がたくさん出てくる作品が多いです。『ミステリと言う勿れ』はそのうちの一つで、他にも『ごめんね青春』『初恋の悪魔』『Silent』が好みです。マッチングアプリをしたときも相手の写真はもちろん加味しますが、何より自己紹介をどんな言葉で表現しているのか、やり取りに使われる言葉が心地よいかを重要視していました。

百人一首を始めとする古典がなんとなく好きなのも、言葉が綺麗だなと感じているからだと思っています。

ただ、私は言葉を紡ぐのが上手ではありません。言葉を「上手」「下手」で表すのは何だか気が引けるのですが、自分から出てくる言葉をどうも好きになれません。他の方たちから出てくる言葉はとても面白いし、もっと聞きたいと思うのに、自分の言葉はその魅力に欠けている気がしています。「また上手く伝えられなかったな」と日々、勝手に罪悪感を感じて反省しています。

※以下、映画『ミステリと言う勿れ』のセリフが登場しますのでご注意ください。

どうしてこんなにも自分の言葉を好きになれないのか、日々悶々としていた時に映画『ミステリと言う勿れ』を観ました。そして、作品の中のある言葉を聞いてじんわり心が温まりました。

「本当に下手なときは自分が下手だとも思わない。下手だと思った時こそ伸び時です。」

正確な言い回しまでは覚えていないのですが、この言葉を聞いて「私も伸び時なのかもしれない」と思えました。だからと言って、これからどう伸びていくかと言われると困ってしまうのですが、心がフッと軽くなる感覚を覚えました。

もう一つ、心が軽くなった言葉があります。

「誰もが弱くて当たり前だと思えたらいい。」

本当にその通りだと思いました。自分が強くいなきゃ、しっかりしなきゃと思いすぎている。自分も含め、似た感覚を持っている人は多いと思っています。強くいるのはかっこいいけど、そうじゃなくてもいい。この言葉を私は「みんな弱くいるべきだ」というより、「強くいるか、弱くいるか、選択肢を持っていても良いんじゃないか」というニュアンスで受け取りました。

久しぶりに映画館で大号泣しました。映画に感動したのはもちろんなのですが、最近の自分のモヤモヤが一気に解かれて涙が溢れ出したという感覚でした。

自分の言葉が好きじゃないと常々思っているんですが、それはそれでいいのかもしれません。無理に好きになろうなんてするから空回りして、苦しくなっているのかもしれません。

上手くなくていいから、下手でいいから、誰かに届く言葉を紡ぎ続けていきたい。



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