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おかーさんはねこかもしれないというお話

数年前に、公園にいるところを保護された子猫の兄妹を家族に迎えしました。
前の年に自分の分身のような先代猫を亡くして、他の子は考えられないと思っていました。でも助かる命が一つでも増えるならと思い直したのです。
そしてこのふたりに出会い、兄妹が離れずすむようふたり一緒に引き取りました。

お兄ちゃんがブんブん、妹がぷんぷんです。
いつも一緒にいます。

前の子はひとりだったので、たぶん自分が猫だという自覚はさほどなかったんじゃないかと思います。鏡にも興味を示しませんでした。でもこのふたりはお互いの姿を知っているし、鏡も見ます。わたしに隠れて、何やらコソコソ話をしているときもあります。ふたりの猫社会が成立してる気がします。なのでわたしは、その姿を側で見せてもらってるような感覚があります。入っていけない世界を感じたりするのです。それは、ふたりでお迎えしてよかったなと思う部分でもあります。

よく、猫は人間を「大きな猫」だと思っている、と聞きます。
はたして彼らは、この毛のない大きな生き物を、猫だと思ってくれているのでしょうか。
自分は猫だというアイデンティティと、おかーさんは人なのか猫なのかどっちなんだ?という疑問のせめぎ合い。
「ねこかもしれない」は、人と猫の永遠のテーマを描く壮大な一大スペクタクル漫画です。(ウソです)

猫にしろ、人にしろ、おかーさんだと思ってくれてたらいいなと願います。
しあわせだと思ってくれていますようにと、本当に願います。
同時に、僭越ながら猫を愛するみなさまの気持ちが報われたらいいなという願いも込めています。
そんな気持ちで描いております。読んでいただけたら嬉しいです。


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