美術展雑談『モネ展』
『印象、日の出』が京都にやってきた! ということで、初日の朝イチに行ってきました『マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展「印象、日の出」から「睡蓮」まで』です。
人気のモネなので混んでいたらイヤだなーと心配していたのですが、予想外に空いていて肩透かしを喰らいました。しかしこれはこれで許せません。もっと盛り上がらなければ印象派の巨匠に対して失礼です。みんなで謝りましょう。どうもスイレンませんでした。(私の訪れた時間帯がたまたま空いていただけで、その後は賑わっていたようです。そりゃそうですね)
ともあれ目当ての『印象、日の出』をじっくりかぶりつきで見ることができたのはラッキーでした。展示では図解も用いて丁寧な解説があり、卓越した構図や技術を知ることもできました。なにより印象派の名前の由来といわれる名作を前にして、私なんぞは恐れ入るばかりです。しかし予想以上に小さいです。そして予想以上にぼんやりしています。ともすればできそこないだとスルーされかねない、危険で挑戦的な作品です。描いたモネ自身はもちろん、そんな作品を新時代の一品と評価した人たちも称えるべきでしょう。
実際『印象、日の出』は当初は不評で、とくに1874年の展覧会では批評家のルイ・ルロワ氏に酷評されたと、私もずっとそんな知識を抱えておりました。
しかしどうやらそれは誤解であるとの説もあります。当時のルロワ氏の記事をウィキソースで読み返してみると、展覧会に並ぶ新進の画家たちの作品をヴァンサン氏とかいう架空のアカデミー派の画家の口を借りて確かに小馬鹿にしているわけですが、明らかにボケた角度から評してくるヴァンサン氏にルロワ氏がツッコむという漫才形式で書かれていることがわかります。さらにヴァンサン氏はモネやセザンヌの画風についていけず、ついには錯乱して踊りだす始末です。アクションが派手すぎて漫才といってよいのかどうか、上沼恵美子さんからコメントをいただきたいところです。
つまりルロワ氏は古典主義の(というより、石頭の)大家連中には新時代の作品の価値などわからんだろうという少々ひねくれた話法で、のちに印象派と呼ばれる若手たちを持ち上げているといえるでしょう。これもフランス人らしいエスプリというやつですね。知らんけど。
『印象・日の出』に対して「描きかけの壁紙のほうがマシ」と言ったのもヴァンサン氏の方で、ルロワ氏は「じいさん、わかってねーな」と反論しているくらいです。それが人伝えになってゆくうちに、ルロワ氏の発言と誤認されてしまったようです。伝聞なんてものは尾びれ背びれがついてゆくもの。現代でも石田純一さんが「不倫は文化だ!」とパンツ一丁で叫んだと思っている人もいますが、誤解です。ズボンは履いていました。履いてなかったのは、靴下です。誤解は怖いですね。
さて本展は約90点ものモネ作品が若い頃からの時系列に沿って並べられ、彼の生涯をたどれるような構成になっています。
とにかく睡蓮をこれでもか! と描き続けたことで、私のような単純なヤツは「睡蓮が好きやったんやなー」くらいにしか思っていなかったのですが、同じ睡蓮の池でもそれらを並べて鑑賞すると、そこに見え隠れする光と風を追いかけて描き出そうとしていたモネの情熱が伝わってきます。どこまでも絵画に真摯に向き合い、自身の限界を超えたかったのでしょう。静かにモチーフと格闘しているかのようです。評価が高まるようになっても、心はブレイク寸前の青年画家のようだと感じました。
対照的に晩年になってから描き続けた柳は、力強く風になびきます。白内障になり、見たいものが見えなくなったからこそ、心のままに筆を走らせたということでしょうか。ほぼ抽象画のようになって、もはや柳なのかなんなのかわかりません。まるでただひたすらに表現を渇望しているようです。あるいは生への執念なのかもしれません。ただただ、圧倒されるばかりです。
また、モネの描いた幼い息子の肖像には、彼のとても優しい眼差しが感じられます。彼が不遇の厳しい時代を乗り越えられたのは、きっと家族が心の支えになってくれていたからでしょう。
睡蓮はいわずとしれて、浄土の象徴です。日本趣味のモネももちろん、その意味を理解していたはずです。二番目の妻アリスと子どもたちのおかげで得られた幸せを喜ぶ反面、貧困の中でなくなった先妻カミーユへの鎮魂の思いとある種の贖罪として、モネはひたすらに睡蓮を描き続けたのかもしれません。
いつか、あの日傘の女性の三枚の絵が並ぶ日がありますように。画家が見た光と風と愛する女性のあの景色に、いつか触れる機会がありますように。カミーユへの彼の思いを想像し、私も散歩しながら待っています。