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映画雑談『ゴジラ -1.0』

圧倒的な絶望が、怪獣の姿で襲ってきます。それは問答無用で人間の命や生活を奪い、文明の産物を根こそぎ瓦礫にします。人間ごときの事情なんて気にしてくれません。英雄も天才も富豪も大臣も、等しく虫けら扱いです。みんな食いちぎられ、踏み潰され、吹き飛ばされるだけなのです。誰も抵抗できません。為す術はありません。一縷の希望すら見つけられません。我々人間に残るのは、果てしない無力感のみです。
不条理なバケモノ、絶望の別名、それが、ゴジラです。
『ゴジラ-1.0』はそんな絶望と、それでも戦う映画です。
(以下、ネタバレあります)

とにかくゴジラが怖かったです。過去作品のゴジラは恐怖とともに神々しさだったりカッコよさだったり可愛さだったり、なんらかの要素が加えられていたと思うのですが、今回暴れるヤツはひたすら怖いです。怪獣映画を観るときは大抵「いいぞ、もっとやっちまえー!」と無責任かつアホみたいなはしゃぎ方をしているこの私ですら、さすがに今回は、もうやめてくれと祈るばかりでした。
まずゴジラという巨大怪獣の質感が極めて自然に表現されていて、目の前で暴れている迫力がリアルに伝わってきます。寄れば踏み潰される恐怖、引けば吹き飛ばされる恐怖を感じました。
熱線もえげつなかったですね。エネルギーチャージなのでしょうか、背ビレが順にガンガンと飛び出してゆくさまは絶体絶命へのカウントダウンのように思えて、恐怖心がますます煽られました。熱線そのものの迫力もさることながら、直後の、爆発! きのこ雲! 爆風! 黒い雨! といった凄まじい畳みかけは、もう絶望そのものです。このあたりをより効果的に体感するためにも、やはり大きなスクリーン、大音響の映画館で観るべきでしょう。いや、必見です。

そんなゴジラと戦う主人公は、元特攻隊員の敷島さんです。彼が立ち向かう決意をしたのは、勇敢さや愛国心やヤケッパチからではありません。典子さんや船の仲間たちとの関わりを経て、失われたもの、守るべきものへの愛情に突き動かされ、心に巣くう絶望感を乗り越えて、為すべきことを為さねばならないと思うに至ったのでしょう。ゴジラは彼の心を支配する絶望の権化でもあるのです。抗わなければなりません。そしてその彼の心の動きこそが、実はこの映画の主軸になっています。
かつて戦争から逃げ、大戸島のゴジラ(呉爾羅)から逃げた彼は、ただの小さく弱い人間に過ぎません。自責の念に苦しみ続ける等身大の人間です。つまり私のような、平凡な一市民です。けれど口先で勇ましいことを言っているだけの人より、彼のように無力感を抱えて生きている人のほうがよっぽど人間らしくて、私は感情移入できます。どうか絶望に負けないでくれと願いました。

大きな絶望に小さな人間が挑むという無謀な戦いの中で、知恵が集まり、連帯が生まれます。やがて奇跡のような大団円を迎えます。
一見、ハッピーエンドのように思えます。しかしラストで病室の典子さんの首筋に見えたものは、なんだったのでしょうか。彼女が驚異的な回復力を見せたことから、やはりゴジラの細胞、いわゆるG細胞が影響しているということでしょうか。
私は最初、原爆症を想起し、たとえこの場で助かっても絶望の芽が消えてはいないことを暗示しているのだろうかと思いました。振り払ってもまとわりつく、永遠の呪いのようです。
またそれは、科学全般を象徴しているのかもしれません。戦後の復興を実現し、現在の繁栄を築き上げた科学は、人類の救いです。しかしそれは同時に、人類を滅亡に追いやる脅威にもなりかねません。
なんにせよ絶望の恐怖は常に近くに身を潜めているといえるでしょう。そしてある時突然姿を現し、理不尽な牙をむくのです。予告もためらいもなしに。
ああ、本当に恐ろしいです。絶望という怪獣は怖いです。逃げ出したいです。けれどどんなに辛くても悲しくても、あきらめたら終わりです。私は非力な人間だからこそ、せめて前を向いていたいです。そして心で叫びましょう。「生きて、抗え!」

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