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自己分析をしたい大学生による自分史 ー友達と吹奏楽部とオタクへの第一歩、小学生編ー

このnoteに出会ってくださった貴方様こんばんは。
大学一週目で妙に疲れてずっと虚無、ねこほんと申します。

後期が始まり大学から就活関連のお知らせが勢いを増している。
明日が暑いか涼しいかすらわからない私には一年半後の自分など知る由もない。がしかしどんなに頑張っても天気予報を自分の力で覆すことなどできないのと違って自分の将来の方がまだコントロールのしがいがあるものだろう。「未来は自分の手で切り開く!」実にありきたりなセリフ。ポジティブな言葉を羅列することが得意だと(あくまでも羅列するだけ)自己PRしてもいいものか。

ほったらかしにしていた自分史を進めようと思う。お世辞にもドラマチックとは言えない私の人生をいかになんかいいかんじに語れるかに注目である。

今回は私史上最高の友達数を誇った小学生時代の話。

友達が多い。今では考えられない事実。あの頃の私は常に周りに誰かがいて一緒に明るく笑うという我ながら素直な女子小学生であった。…今は?……大事なのは数ではなく関係性だろうが??
閑話休題。就活の自己分析らしく、最も印象的だった出来事を挙げるならばそれは間違いなく吹奏楽部への入部だ。

クラリネットは楽しい。豊かな音色で全体のメロディーを奏で、キラリと踊る連符、クラリネット同士の重厚な和音。漆黒に染まりながら小さなベルのフォルムがかわいくてしかたがない。大好きな楽器。
小学三年生のとき、部活勧誘で教室に演奏しにきてくれた上級生が吹くクラリネットを今思い出した。思えばあれはひとめぼれだったか。

クラリネットパートは部内で最も人数が多く、わちゃわちゃとした仲の良さと1st争いの激化(高音を担当するため当時の私たちには1st=上手いという印象が拭えなかったのである。それがステータスだった。)でいびつな関係性だったと言える。

私は昔から争いの渦中にいる人物たちの中立に位置しようとしてうまくいかず右往左往するポジションだったように思う。
小学五年生のとき、私の親友と、同じパートの友達・先輩とで冷戦が始まった。互いに何かが気にいらなかったのか尋常でないほど仲が悪かった。
そこで私がしたのは、卒業した二個上の先輩に電話をかけ争いを平定してもらうように取り計らうこと。どこまでも他人任せな人間である。
結果表面的には仲直りという雰囲気にはなった。(裏面的にはま~ぁめちゃくちゃ気まずい。)
このように書いてみると、そうか私にぴったりな職業は人材派遣ダ、、!となりかねんがいやまて違う。違う違う。ちょっとは自分で動けるようになってから次に人を動かせとまずはそこからである。
(ちなみにここで話に出た親友は今でも私史上最も友達歴の長い友達として名を馳せている。私の中で。)

そんなこんなで少しは回復した人間関係のなかコンクールに向けて日々練習していた。多くの金賞をもらい、友達と喜び合う経験を小学生のときからできたのは幸福だった。

同じ部活の人間が多かったこともありクラス内でも毎日多くの友達と笑い合う平和な生活を送っていた。厳しく怖い顧問の先生(しかし吹奏楽と部員への愛を持った良い先生だった)や今でもたまに思い出しては黒歴史庫行きとなる理不尽に怒られまくった担任の記憶などそれなりに闇はうごめいていたものの、小学生のときが一番精神安定して楽しく過ごしていた。
もう一度言うがこれ、今では考えられない。。。

私が今良く言うと素直(悪く言うと超単純)で、愛想がないよりは愛想よく、基本的には人に対して明るく対応できているのは小学生のころの自分が確かに存在していたからだと思う。あのときより交友関係は狭くなりネガティブに暗くインドアな人生ゲームとなったとはいえ、あのころの自分が他人だったという認識にはならない。よかった。

ここで総括呼びかけ
「ともだちがおおかった!」\\\小学生時代~~!!///
「そのなかでいまでも自信をもって友達だといえるのは!」
\\\ひとりだけ~~!!///
「それでも確かに楽しくて大切な思い出!」\\\吹奏楽との出会い~~!!///
「そして!小学六年生で出会った運命!オタクの道の第一歩!」
\\\\某テニスのプリンスたちのアニメ~~!!////

以上が雑な小学生期の記録である。
(最後に何か聞こえてきたとしたらオタクによくありがちな幻聴であろう)

ここ数日気分が乗らない日々を過ごしているが、ネガティブのネの字も知らなかった小学生のころの私を少しは見習って、「はやく〇〇(大抵ここに学校行事が入った)にならないかなぁ!」という呪文のもと、もうちょっと、もうちょっとは、明日からに期待を込めて生きていきたい。


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