見出し画像

勇気を持って辞めることが必要な時もある

私は以前、ある日突然ダーツを始めたことがあった。
友人に連れられて行ったダーツバーがキッカケで、ちょっとした運動にもなり、ダーツボードに当たった時の音や場の雰囲気が好きになった。
何か大会などを目指していた訳ではないが、上手くなるために週に3〜4回通った。
ダーツ仲間と呼べる人もでき、コミュ障卒業かと思われた。

ダーツ仲間にしきりに言われたことは、「マイダーツを買えばもっと上手くなる」ということだった。
ただ私には、そこまでの情熱はなかった。
ダーツがこれ以上上手くなっても無意味だと考えていたからだ。
ダーツに人生をかけている人ほど上手くはなれなかったし、そこまでの熱量を持って練習に挑めるとも思えなかった。

しかし、ダーツ仲間に背中を押されて、私はマイダーツを買いに行くことになった。
「選んであげる!」と言われたが、ただでさえ半強制的なのだからせめて自分で選ばせてくれと思った。

チップやシャフトなどと呼ばれるパーツを一つ一つ決め、自分だけのオリジナルダーツを15000円ほどで購入した。
当時金欠な日々を過ごしていた私には正直痛い買い物だった。

購入した日から毎日購入したことを後悔するようになり、結局そのマイダーツを持ってダーツバーに行くことは二度となかった。

思えば、居心地の良かった空間がそうで無くなったことがキッカケだったのだと思う。
ダーツを買ったこと以外にも、本気で大会を目指そうという空気感になっていたことや、ただ楽しみたいだけの私がそのメンバーの中に知らない間にエントリーされていたこと。
様々な理由からフェードアウトを決めた。

私は元々、挑戦し諦めたってなんの問題もないと思っているタイプだ。
選択肢は一つではないし、むしろ勇気を持って辞めることが最善の時もあると考えている。
むしろその選択こそ、後に自分にとって有益なものになると信じている。

ダーツバーで出会った仲間とは本当に良い友人になれたかもしれないが、一つの物事にこだわり固執する事は、他の未来ある選択まで手放してしまうに等しい。
私はダーツに勤しむ時間よりも、家で撮り溜めたお笑い番組を観て大笑いしている時間の方がよっぽど有意義に感じていたし、今でもそうだ。

人間関係を壊したくなくて嫌なことを続けるなんておかしな話だ。
逆に言えばその程度の人間関係だったとも言える。

物事は考え方一つで深刻なものになることがある。
その考え方一つを辞めれば解放されるというのに、これほど勿体無いことがあるだろうか。

私は今後も、好きな人か嫌いじゃない人としか付き合わないと決めている。
現在、快適な人間関係を築けられているのは、この小さな選択の集積の賜物だと思っている。

nekogaki



この記事が参加している募集

私のストレス解消法

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?