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【掌編小説】もし猫になったら

――もし私が猫になったら、お昼寝とかひなたぼっこするより、ずっと鏡の前におるわ。
 そんで自分のかわいい姿を眺めんねん。どのポーズがかわいいか、いろいろ試すん。
 お昼寝はそれからやな。大好きな飼い主の膝の上で寝たいなあ。最高やなあ。
 私、猫になりたいなあ。
 もし私が本当に猫になったら、それでも勇気は私と一緒に暮らしてくれる?

「当たり前やんか。ちなみにどんな柄の猫になるん?」

――勇気はどんな柄が好き?

「茶トラ」

――茶トラはオスが多いって言うで?もし私がオス猫になったらどうしよう。

「いや、おれはさつきがオスでも好きやから大丈夫」

――じゃあ茶トラになろ!あ、個人的に白ハチワレの茶トラが好きなんやけど……。

「オレも好きやな」

――じゃあ私は茶白猫になる方向で。

「でも、さつきが猫になったら、オレさみしいな」

――なんで?

「猫の方が寿命、短いやんか。オレはな、さつきと一秒でも長く一緒にいたいんや」

――わあ、ほんまやなあ。ギネス級でも三十年くらい?短いなあ。やっぱり人間がええかなあ。

「ああ、人間がいいよ。長生きしよな」

 返事をする代わりに、目の前の恋人の唇が笑みの形になった。そっと頭をなでる。温かい。窓から薄く差す光の中、しばらくそうしていると、人をなでているのか猫をなでているのか分からなくなってくる。

「なあ、さつき。どっか行こか、遊びに。ぱっと思いつかへんけど、どっか遠くに。そんで、おいしいもんいっぱい食べよ。きれいなもんもいっぱい見てなあ。二人で笑って」

 さつきの唇がわずかに開く。ゆっくり耳を寄せる。

――仕事、あるからムリや。

「そんな……そんな!」

 お前をこき使ってボロボロにした会社、辞めてまえ!!

 すんでのところで言葉の嵐を飲み込む。
 丸いすに座り直し、鼻からすううと息を吐く。腹の底にたまった、マグマのような怒りとともに、腹がへこんで痛くなるまで吐き出した。

 ベッドに横たわるさつきの顔色は、シーツと同化するかのように白い。血の通わない、生気のない……そんな表現がしっくりくるような、弱々しい姿だった。

 こんな状態になっているなんて、気づかなかった。

 一緒に暮らしているのに。

 こうなった原因ははっきりしている。さつきは去年、部署を異動になった。彼女の希望が通っての異動だったが、仕事は多忙を極め、さつきはおれより遅く帰宅し、早く家を出なければならなくなった。

 たまにタイミング良く顔を合わせると、外に猫がいたとか、自動販売機におしるこが登場したとか、取り留めのない話をした。さつきは笑っていた。しかし思い返せば、その笑顔には力がなかった。覇気がなかった。

 睡眠時間は足りているか、大丈夫かと問えば、決まって「大丈夫」と返ってくる。

 うそだった。さつきは過労死の一歩手前まで追い込まれてしまった。

 追い込まれたのか?気づいてあげられなかったおれもさつきを追い込んだんじゃないのか?

「なあ、さつき。猫って基本寝てるやん?休憩ばっかやん?」

 暖かな春の日に見た、日だまりの中で眠る猫の姿が頭に浮かぶ。ぽかぽか陽気の中、その猫は“幸せ”という言葉を体現しているかのように、幸福そうに見えた。その猫と、さつきとの落差に、胸がぎゅっとなる。

「猫にはな、休憩が必要なんや。さつきも、猫目指すんやったら休まなあかんと、おれは思うんや」

 丸いすを下り、ベッドの横にひざまずく。さつきと同じ目線の高さになる。うつろな目に、にっかり笑いかけた。果たしてうまく笑えているのか。

「おれが昔ちょっとだけ住んでた場所、不便なとこやねんけど、猫スポット、結構あってんな。普通に散歩してるだけでめっちゃ猫に会えんねん。さつき、きっときゃあきゃあ言うと思う。今度一緒に行ってみーひん?」

 さつきの唇が再び、ほんの少し開く。

 おれは耳を近づけた。


――……にゃー。


 承諾なのか、拒絶なのか。

 分からない。そのか細い鳴き声を聞いた途端、涙が堰を破ってぼろぼろこぼれ出した。止まらない。止まらない――顔がくしゃくしゃになる。

 さつきも静かに泣いていた。彼女の額に額をくっつけ、目を閉じて、二人でにゃーにゃー鳴き合った。お互いの耳にだけ届くくらいの、小さな声で。

 しばらくそうして猫になり、ゆっくり人間に戻って、それから二人でふふっと泣き笑いした。

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