令和6年の心境の変化

皆さんどうお過ごしでしょうか。日々様々な情報に触れたり、経験が積み重なっていく中で、最近自分の中に心境の変化を感じる瞬間が増えました。今回はそれについて書いていこうと思います。


テレビ

年末年始は久しぶりに結構テレビを見てたんですけど、自分がいかに世の中の流行りに置いていかれてるかわかりました。置いていかれてるというか、去年は鬱病対策としてあえて流行りの情報を追わない、デジタルデトックス的なことをしてたので仕方ないんですけど、それでも「世間を騒がせたニュース」や「○億回再生された楽曲」みたいな年間総まとめを見てもほとんど知らないって事実は結構キツイものがありましたね。WBCも紅白も何見てもわかんない……。

加えて松本人志の騒動による活動休止も大きい。僕にとって彼は本当に「神様」くらい大きな存在で、影響を受けまくり彼に憧れて芸人になろうとした時期もありました。近年はテレビのオワコン化が叫ばれていたけど、松本人志関連の番組はなんだかんだ話題になるものも多く、一定の人気があったので、テレビ業界を首の皮一枚繋げてるなと思ってました。ダウンタウンが引退する時「笑っていいとも!最終回」のような奇跡的な面白さもあり得るかも知れない。そう思って新しいテレビと録画機を買ってみようと予定していましたが、残念です。ただ、ストレスはあるものの衝撃的でもなかったし、そこまで落ち込みもしませんでした。前からジャニーズや宝塚など芸能界の不祥事は続いてて栄枯盛衰を感じて身構えていたこともあるし、ダウンタウンは元々過激な芸風なので時代のコンプラで厳しい立場に立たされてることも感じていたので、想定外ではなかったんですよね。もちろん騒動の真相は不明の状況なので文春記事を肯定してるわけじゃなく、飽くまでも個人的に芸能界はもはや何が起こっても不思議じゃないなと前から勝手に覚悟していたわけです。活動休止から復活もあり得ないわけじゃないけど、あったとしてもかなり先になるだろうし、テレビの体力がそこまで持つのかなって感じ。

テレビ業界の凋落は元テレビっ子としてとても悲しいですが、もう現実を受け入れて諦めようと思うようになりました。


オタク文化

去年までVtuberに感情を掻き乱されていましたが、割とどうでもよくなりました。自分でnoteに記事を書いてフィードバックを得られたこと、そしてこの記事が流れて来たことが大きい。

これを読むと自分が感じていた変化はやはりある程度正しかったし、単純に自分はもうメインターゲットから外れて別の趣味を探す年齢になっているのだなと割り切ることが出来ました。


去年、自分も弱者男性(ユニコーン)問題に刺激されてnote記事を書いたけど、今はもうそんなことどうでもよくなるくらい、界隈が荒れているのを感じます。とある人の炎上が大きいけど、別にそこは掘り下げません。どこが震源地か判らないけど「スパチャ」に対する意見も急に厳しくなってきましたね。ついこの間まで全肯定が当たり前のように見えたのに、インターネットの掌返しは怖いものです。記事を書いたのは去年と言っても2ヶ月ほど前なのですが、流れが早すぎる。

自分の中で「平成のオタク」と「令和のオタク」は切り分けました。それによって自分が好きなのは「平成のオタク」だと認識してスッキリしました。

もう無理に若者の流行りに合わせて感覚を調整しようともがくより、自分の世代の文化を擦り倒して楽しむ方がいいかもなと思い始めました。なんだかんだで「インターネット老人会」や「作品のリブート・リバイバル」も多いし、その辺追うだけでも充実するんだから、余計なことに病まない方が効率がいい。もちろん昔の作品だからといって昔と同じように楽しめなかったり、不祥事で台無しになることもあったりはするんだけど、そこはリアルタイムを生きてる実感として割り切って苦味も味わっていこうかなと。


SNS

Xがいつまで持つかわからないので、昔Twitterで繋がっていた・一方的に見ていたアカウントを検索してみました。人間関係トラブったり、過激すぎて見てられなかったり、そんな感じで離れていたので鬱のトリガーになるから避けていたんですけどね、どうしても気になり始めたので。すると様々なパターンが。

アカウントが消えて消息不明になってる人もいれば、結婚して健常者ルート(偏見)に入った人もいる、時代の空気を読んで投稿が減ってしまった人、そんなことお構い無しに以前と変わらず又は以前より過激化して誹謗中傷を繰り返してる人……

年月経ってるんだなと実感しましたし、時代や属性だけで判断出来ないなと思いましたね。

僕はインターネットに救われたり壊されたり振り回されてきた人生で執着も強かった。だけど僕が憧れてきたインターネットで輝いていた人達の意見や動向を見ても「最近のインターネットはもうわからん」「インターネットから距離をとります」「Xはクソ」みたいな感じで、もう誰もインターネットを楽しんでいないように見える。テレビと似たような崩壊を辿っている。もう昔のことは思い出にするしかないって感じ。

Xがあまりにもメチャクチャなので、他の新興SNSに移ろうという大きな動きがありまして、僕自身もnoteとは別名義ですがアカウントを作り、少しMisskey.ioを触ってみたりしました。正直に言うと、あんまり馴染めそうもないかなといった感じです。たしかにえっちなイラストには優しいし、Xより気兼ねなく投稿され盛り上がってる感じはします。だけどXを叩く割には結局「表現の自由」関連で政治語りしちゃってる人も目につくし、難しい問題について考えようにもスタンプ爆撃で目がチカチカして思考能力奪われるので、Xとはまた違った面倒さを感じましたね。古のTwitterの「ふぁぼ爆」ノリに近い。インスタンスを変えればいいのかも知れませんが、他のインスタンスを含めて表示にしてもピンと来ませんでした。
そもそも社会の大きな動きってSNSを乗り換えたから避けられるものでもなく、初めから期待もしてません。結局使ってるの現代人だし、金と性の問題は絡んでくる。えっちなイラスト見る時に絵師のイライラまで見せられてもな……って感じ。他人の事言える立場じゃないんですけどね、僕がnote始めたきっかけだって表現規制や垢BANのストレスだから。でもあの頃と違って「インターネット・SNS」というものに対して期待しなくなったこの状態こそ「心境の変化」です。

AI関連、実写化、街おこしなどイラスト・漫画・アニメ界隈も争いが勃発しまくり殺伐としてきました。去年イラストを描こうとパソコンを人生初購入したんですが、開封しないままモチベーションが下がっています。

個人的にはSNSとオタクコンテンツの結び付きから揉め事が起こったり不便になったりするのが嫌で、紙媒体の世の中に戻って欲しいとすら思うこともありますが、まあ厳しいでしょう。僕も部屋に本が増えて困ってるし(苦笑)。ググってると「紙の雑誌とか本当に売れてなくて出版社もかなり厳しい、ペーパーレス社会は加速していく」って話を目にします。どうしようもないので、どうすることもなく成り行きを見守ろうと思います。


数字

色々と心境の変化を書きましたが、本当に一番大きかったのは現実的な数字を突き付けられたことです。

「令和6年」「3×歳」

年始に具体的に今何年で、自分が何歳なのか確認した時に現実のスピード感に気付きました。(あ、無理だこれ)と思いました。

オードリーの若林正恭が「父親の死で斜に構えていたら人生すぐ終わると気付いた」的な話をエッセイで書いてた気がします、ちょっとうろ覚えで申し訳ないけど。結構エッセイに共感する部分多いですね。まあ若林さんは成功者だしニートぼろかす言う動画見てからあんま見れなくなっちゃったけど……。

鬱病抱えながら歳をとり、平成から令和の激動に揉まれているうちに、結局自分が動きたいように動ける健康と環境と最低限のお金が重要だなと考えるようになりました。どれもありませんが……。まあ理想通りにいくことなんてないから、その都度対処していくしかないって感じ。理想よりも現実主義になりました。自分の出来る範囲でやっていこうと思います。ここまで読んでくださりありがとうございました。最後におまけ載せて終わります。

おまけ(参考になったYouTube動画)


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