右手に銃を構えて怒れ
三十代に入ってから、周りの友人がバタバタと休職し始めた。
久しぶりに仕事仲間とテーブルを囲むと、五人中三人が休職経験者だと気づく。
昨年も友人の一人が休職した。
SNSの投稿が減ったと思ったら「実はさぁ、休職中なんだよね」と打ち明けられてしまった。
こういうときは何て言えばいいのだろうか。「寝れてますか?」と「食べれてますか?」を繰り返すことしかできない。
「もう、仕事はほどほどでいいかなって」
へにゃりと笑う彼と、目が合わない。
肯定するように無言で頷いたのは半分本当で、半分嘘だった。
仕事なんかより、生活を大切にしてほしい。でも悔しい。
いつも突飛なアイデアで私たちを振り回してくれた彼が「ほどほど」だなんて。人が変わってしまった瞬間、いや、変わらざるを得なかった瞬間を目の当たりにした。
できれば今すぐ、彼の上司を蹴っ飛ばしに行きたい。でもそんなことはできないから、私は右手をテーブルの上に出した。
「会社、あっちの方ですよね?」
彼の会社がある駅の方角を指差す。
「ん? うん」
「山下さんを休職させるような上司、嫌いです。懲らしめてやりますよ! バン!」
輪ゴム鉄砲を撃つように手を構え、オフィスの方角めがけて撃つ真似をする。
「酷いことしやがって! バン!」
大まじめに、怒りを込めて、一発一発真剣に撃つ。顔も知らぬ上司よ。絶対に許さないからな!
テーブルで繰り広げられる奇行を見ていた彼は「なにそれ〜」と吹き出した。
悲しさをごまかす為のため息のような笑いではない。身体をのけぞらせた、彼のいつもの笑い方だった。
「俺のオフィス九階だからさ。上の方狙ってね」
「任せてくださいよ」
「それさ、撃たれるとどうなるの?」
「うーん。Tシャツを着ると、絶対に脇に汗ジミができる身体になるとか?」
「ふっ、あはは。辛いなそれ」
私は怒るのが苦手だ。自分のためでも、人のためでも。
ひどいことを言われて反射的に言い返したり、怒りを態度に現わせる人が羨ましい。
悪意を向けられると、怒りより先に恐怖がやってくる。あの時もそうだった。
「クラリネットパートさぁ。足引っ張ってるんだよね。わかる?」
部活の終了時刻が近付く。音楽室へ向かう途中で私を呼び止めたのは、吹奏楽部の同級生だった。
振り向いたまま固まる私に向かって、彼女は的が止まったと言わんばかりに続ける。
「後ろで聴いていてイライラするんだよね。リーダーのあんたも下手だし。邪魔だよ」
あ、これは。
注意とか指摘とか、そういうものじゃない。
悪意がねっとりとこびりつく口調が「傷つけ」と言っていた。
彼女の手元で光るフルートしか記憶にないのは、怖くて顔を上げられなかったからだろうか。「うん」とか「ごめん」とか言ったのか。もう思い出せない。
自分がもっと上手ければ。
その一点が引け目となり、心の奥底でグラグラと揺れる悲しみや怒りを押しとどめてしまう。
話を聞いてもらうくらいはいいだろうか。同じ楽器を担当する友人を呼び止めたのは、翌日だった。
「何それ! なんでそんなこと言われなきゃいけないの!」
弾けるように立ち上がった友人の髪とスカートが、目の前で揺れる。真っ先に「後悔」の二文字が浮かんだ。
まずい。このまま教室へ殴り込みに行きそうな勢いだ。
なんで。なんでそんなに怒るの?
分かっている。
友人は私の代わりに怒っていた。
怒鳴り声も、震え出しそうな手も、本当は私のものであっても良かったはずだ。
しかし、昨日の彼女と同じかそれ以上に、目の前の友人が怖い。
私は二つの怒りの間で怯えていた。
もういい。止めて。怒らないで。
あぁ。私は本当に「怒り」が苦手なのだ。
矛先が誰でも、何の為でも、破裂する感情そのものが怖くて仕方ない。
自分は怒りを味方にさえできないのだと思い知った。
それでも、この世には理不尽で、悲しく、やりきれないことが多い。
その中で自分や友人のために精一杯できること。それがふざけた右手の銃なのだ。
怒りに新しい恐怖はいらない。
微笑みながら、淡々と、立ち向かう術が欲しい。
ただあなたの味方として、寄り添って前を向ける怒り方を、私はまだ探している。
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