私が海士町に行く理由
いやいや、「行く」理由もなにも、
もう無事海士町に「来て」1ヶ月経ちます。
そう、実はこれ、移住前に途中まで書いた記事であり
あれよあれよと3月→4月が経過。
ものすごく下書きフォルダに寝かせた記事でございます。キジ=「生地」なら「熟成」といっても良いかもしれん。発酵して、腐敗しないうちに、今ならまだ賞味期限ギリで提供します。
さて、私なりに人生の大胆な選択を決意した経緯について吐露してみます。転職や何か変えたいと悩む方のほんの少し共感や刺激になると嬉しいです。
相変わらずまとめる能力ないので長いです。
あの頃のワタシ…
青年海外協力隊3ヶ月して、一時帰国となり、
2か月後に職場復帰した2020年の夏まで遡ります。
悔しいのか、不完全燃焼か、やり場のないもやもやを感じつつ働いた。
でも、自分の生まれ育った町をもっと元気にできるかもしれないこの仕事が誇りだし、ここで町の人たちと話しながら考えさせられながら、繋がっていくことも楽しくて好き。ただ役場なので事務仕事も多く、その割合が多い時期が続くと「あー、この仕事向いてないな…」と自己肯定感サゲサゲにもなるけど、こうでもなきゃやらないだろう学びもあり、支えられた仲間や先輩がいる。結論、これ以上の職場環境はないと思っていた。
そもそも地元に新卒で保健師として正職員で採用され、定年退職以外の選択肢はないと思っていた。父のように、1本芯を通して仕事でやりきることがかっこいいと思っていた。
海士町が先か、変わりたいが先か
①「海士町に行きたいから、環境(仕事や生活)を変えるのか」
②「環境を変えたいから、海士町に行くのか」
どっちも心の中にはありました。
海士町は、まちづくりやコミュニティデザインの本や研修に必ずと言っていいほど名前と事例を見聞きして、「いいなぁ、いつか行ってみたいな」と憧れていました。ただ、旅行で行ってもそこは近くで見れないし、住むしかないのか?ってぼんやり思っていました。
正解としては(誰もクイズ感覚でやってないか笑)
思いが行動に変わったのは、②「環境を変えたい」がきっかけ。
そう思った1つになるのは、青年海外協力隊・パラグアイの生活に触れて、私の意識が変わった。
「もっと自分の過ごしたい時間、自由な時間を増やして良い」のだと思えた。
この先も人生の3割近くを仕事に充てるのだから、自分を活かせず自己肯定感低くなるくらいならもったいない。
じゃあ、その意識を持ったまま今のこの生活を定年まで本当に続けられるか…?ということが不安になってきて、悩み始めた。
保健師としてレベルアップもしたい、結婚もしたい、できるかわからないけど子どもも欲しい、また協力隊再派遣にも行きたい、、、
30歳を超えてたくさんの人生設計の選択肢が湧いていた。
どれかは切り捨てきゃいけないのかな、優先順位なんて決められない。
悩みに悩み、誰でも何でもいいからここから引っ張り出してくれ〜〜って、とりあえず何でもやっていた時期もあった。
資格取ろうとしたり、占いに行ったり、ボクシングジムに通ったり、彼氏ができたり。いろいろあったけど、これも大切な経験たち。何か変えたくて足掻きまくっていた時期。
どうやって変化が起こったか
自分が何をしたいかわからないとき
地域おこし協力隊をやっている友達の活動を近くで見たり、弟が酪農で独立を決意していたり、たくさんの刺激があった。
自由に自分で決められる人生ってうらやましいなと思った。そういえば、私は今までの人生(進学就職など)を選択する上で、
自分の意志<<<周りの気持ち・人の意見
重視で決めていたことにも気づいた。協力隊以外。
まずは、自分が何が好きなのか、何をしたいのか、
自分で人生選べるとしたら、何を軸にしたいかを考えた。
ここまで出るのに、友達や先輩、JICAの進路相談にたくさん相談したから、こうして文章にできる。
そのあとは、少し行動した。ポータルサイトに登録してみたり、保健師コミュニティと繋がってみたり、色んな地域調べたり。
それもまた足掻き期なんだけど、その時期にオンラインで出会った方々も影響が大きい。
ある日、ポータルサイトから海士町のオンライン説明会に誘ってもらい、参加した。その後も悩んでいることを聞いてもらい、決してグイグイではなく、現状維持の選択肢も含めて、一緒に悩んでくれ、意見をくださった。
そこで繋いでもらった、「半官半X」こそ、上記に述べた(この堅苦しい言い方以外思いつかなかった笑)自分がしたい働き方に近い魅力的な先に着地した。何より海士町の人たちがオンラインでも伝わるほど人の良さが滲み出ていて好きになった。
転職するなら、ここがいい!というのは心に決めた。
だいぶ選択肢は絞れてきた。
海士町半官半X or 地元の役場 or 青年海外協力隊
▼半官半Xの記事で、私が好きなのはこちら。
もう毎日毎日そのことばかり考えた。でもだんだんこの悩みも、こんな価値観がトップに躍り出てきた。「やらない後悔をずっと握ってるよりも、やって後悔しても恥ながら戻ればいい。」
忘れもしない、12月の決意した日
お昼
職場の先輩たちとランチをしてずっと私の話を聞いてもらい、選択肢を親身に悩んでもらった。同じ職場というのに、海士町の選択肢(=退職)も尊重してくれた。
夕方
オンラインツアーに誘ってくれた方とテレビ電話。
多分当時の私にとって、悩みのボールが、多数あるホール(選択肢)のうち、一つのホール🕳スレスレまでいってたんだろう。(幕別町発祥パークゴルフ⛳️の感覚で)この親身なひと押しでカコン!と入ったんだと思う。
このとき、えいやっ!の感覚で、「よし決めた!行きます海士町!」と決意したのは、とても覚えてる!
そして声に出すと、心拍数が高まって
「はー!私決めちゃった!」
「よし、やっと決めた!嬉しい!」
と高揚と安堵の気持ち。
夜
両親と焼肉屋へ外食をしたので、決意を報告。
元々、悶々と悩んでいたのは知っていたと思うんだけど、父からの「その歳で、そんなエネルギーがあるのはすごいことだよ。行っておいで!」と後押しがあって、さらに肯定的になれた。
母も心配だったと思うけど「まぁ、パラグアイより近いし!」と。
反対がなく、やりたいことをやろうと思える、そして後押ししてくれる両親の元に生まれたことが、本当にありがたく思った。
この日は、自分の決意以上に、親身で思いやりのある人たちに恵まれたことに胸がいっぱいになった。焼肉で乾杯した時に飲んだビールは本当に最高で感極まって泣きながら飲んだのも忘れられない。
そんなこんなで緊張ながら職場にも報告し、新たな海士町へも決意を伝え、面接などを経て、今ここにいます。
ガラスのハート、頑張る。
一番迷惑をかけたな、と思うのは職場。
コロナワクチンの仕事も立て込む中、さらに機構改革もある中、一番忙しくて、人の足りない時に退職するのは本当に申し訳ないと思っている。
私1人抜けようと仕事は変わらず回るとは思うけど、少なくとも変わらず回そうとしてくれる人に負担がある。
なんか8年分の恩を仇で返してしまっているような気持ちにすらなった。
本当に辞職を宣言してからの3ヶ月間は申し訳ないのと、父の病気も重なり、胃が痛い日が続いた。とは言え、コロナワクチンの仕事で溜まった代休を捨てるのも癪だから消化したい。休みながら出勤したけど、それもまた自分の首を絞めた。
気にしい?マイナス思考?のせいで、必要以上に悪く考えてしまい、仕事の引き継ぎも含めコミュニケーションがうまく取れず、仕事が満足に遂げれなかったのは、最後の心残りです。
今は罪滅ぼしのつもりで、新たな職場の保健師セクションで力になれるよう頑張ろうと思っている。
行くまで不安!来てみて前向きになれる!
ある日、海士町長が、
根岸が来て歓迎だけれど、やはり幕別町にお詫びしたい気持ちもある。根岸は、海士町の中で目一杯やりたいこと挑戦して、それを自分の地元に還しに帰ったらいいよ。
と言った。(根岸解釈も含まれているかもしれない)
そんなことを言える、人口減少待ったなしの町の町長いる?!?!
一応私は未婚女性。(人口減少は未婚女性がキーとなるというのを本で読んだ。)
よし定住定住、となる町が普通なのかなって思っていたので、そこも驚いた、というか、感動した。
きっと我が町に自信があるんだなという察しと、きっと町長自身が地元を大切にしていて、町への愛があるからこそ、私が地元が好きで大切にしたい気持ちもわかって、そう言ったのかな、と解釈した。え、いや、単純に帰れって話か??笑
今の私は、いつか幕別町に帰るか、海士町に骨を埋めるか決めてはいない。でも心にはずっと北海道・幕別町を置いて、繋がり続けて活動することが私の活力になる。と信じて、この先(2ヶ月目以降)も頑張っていこうと思う。
この選択が正解か間違いか
死ぬ時の走馬灯によぎって初めて「あぁ、人生よかった」と思えるかどうかよね。
ただ、悩んで悩んで決めたことだからこそ、今こうして、見れる景色、出会える人、経験、地元と違うくて考えること、全てが尊くて大切に思える気持ちもひとしおなんだろう。
「自分で納得して出した結論ならきっとうまくいく」って、根拠なさそうだけど、こう言う感じなのか。苦労して生み出した選択ほど、我が子のように愛おしく思うから、ここで起きたどんな経験も受け入れる、みたいな。
この1ヶ月の新鮮な気持ちを忘れないで、海士町で頑張って生きていきたい。そして、私にとって人生2度目の決意と挑戦。楽しさもしくじりも歓喜も、海士町の皆さんとたくさん共有して過ごしていきたいです。
ここまで長くなりました。
最後に、私もしてもらったように、誰かの悩みの一つが弾ける助けになればと思います。よければいつでも相談してください。
ありがとうございました。
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