見出し画像

「サッカーと音楽」をテーマにみんなで書いてみた!【OWLオムニバス】

OWL magazineのオムニバス記事企画が3か月ぶりに復活しました!

前回は、「高校サッカーの思い出」というテーマでした。

この企画では、普段OWL magazineに寄稿しているメンバーだけでなく、読者を中心としたコミュニティOWL's Forestのメンバーにも書いてもらっています。

OWL's Forestでは、オムニバス記事への参加以外にもメンバー間の交流や、ラジオ番組の作成など様々な活動を行っています。

是非、一緒に悪だくみをしましょう!

興味を持たれた方は、下のページと記事をクリック!

さて、今回書いてもらうテーマは「サッカーと音楽」です。果たしてどのような作品が生み出されたのでしょうか。

それでは、今回のお品書きです。

・『2020年、埼スタと「聖地」駒場に流れるもの』 ほりけん
・『穏やかなフットボールクラブのサポーターが響かせる、優しい歌。』 結城康平
・『ストイコビッチと逃げなけりゃ 代表になれるカモ前監督』 さかまき
『J’sTHEME (Jのテーマ)』 さとうかずみ@むぎちゃ
・『僕らの道の先にはいつも「ガチサポ」ショスタコーヴィチがいた』 
つじー
・『世界の小澤征爾vs鹿島アントラーズ』 中村慎太郎
『スタジアムに流れる音楽とサッカー旅』 中村慎太郎


2020年、埼スタと「聖地」駒場に流れるもの

ほりけん

「サッカーと音楽」と聞いて、一番に思い浮かんだのは、スタジアムで流れる楽曲である。

試合を観に行くと、ウォーミングアップ、スタメン発表、選手入場など、様々なタイミングで色々な曲が流れる。サッカーの、エンターテイメントとしての側面を強調する要素だろう。

これが「歌」だったら、 思い浮かんだのはチャントだったと思う。

「歌」には詞がある。チャントの場合、原曲があったとしても、メロディは二の次で、そこに乗せる言葉や思いにこそ意味がある。

一方で、「音楽」は純粋に音の調べだ。スタジアムに流れるのも、その多くはオリジナルではなく、既存のアーティストの楽曲である。歌詞が付いていたとしても、それ自体に意味はなく、あくまでも曲のノリや雰囲気の方が重要だ。

しかし不思議なもので、足繁くスタジアムに通うと、次第に曲と感情とがリンクしてくる。しまいには、スタジアムではないところで聴いても、感情が掻き立てられるようになる。

おかげで今では、スタジアムで流れる曲を順番通りに並べたプレイリストを作るまでになった。重要なプレゼンがある日など、勝負がかかった時に聴いて、気持ちを高める。

通しで聴く時間がないときは、一足飛びにスタメン発表から始め、Two Steps from Hellの"Strength of a Thousand Men"から"Archangel"、そして"First Impressions"を流し、一気に気合いを入れる。

7月22日、Jリーグ再開後初めて、埼スタに試合を観に行った。

クラブからの要請もあり、2時間ほど前にはスタジアムに到着していたので、スタジアム音楽も、漏らすことなく聴くことができた。

Woody Van Eydenの"Together"が流れ、選手たちがウォーミングアップに出てきたとき、「ああ、サッカーが帰ってきたんだな」と、しみじみと感じた。

そんな中、耳馴染みはあるが、"場違い"な音楽が聴こえてきた。Kelly Clarksonの"My Life Would Suck Without You"である。

これにはいささか驚いた。ノリが良く、スタジアム向きだが、女性シンガーなので、浦和レッズの硬派なイメージとは一線を画す。通常のラインアップには入っていない。

実はこの曲、普段は「聖地」浦和駒場スタジアムで流れている。現在の駒場は、なでしこリーグ1部を戦う浦和レッズレディースの本拠地であり、"My Life Would Suck Without You"はレディースのホームゲームのメイン楽曲だ。

覚えている限り、この曲を埼スタで聴いたのは初めてだった。この日、どんな経緯でこの曲を流すことになったのかはわからないが、こうしたクロスは面白いと思う。

中断期間にテレ玉GGR(テレビ埼玉の浦和レッズ応援番組)がやった"Stay Home Talk"も新しい試みだったし、LINEの浦和レッズニュース(クラブ公式)、REDS PRESSや浦レポなどの専門メディアでもレディースの記事が増えている。

そして実はもう1つ、今年、埼スタと駒場の双方で流れているものがある。

我らがメインスポンサーであり、創業150周年を迎えた三菱重工とのコラボ映像「育むこころ篇」である。

数年来続いているコラボだが、今年はレディースやスクールの映像も入れ込んでおり、出来が素晴らしい。雨の中、菅澤優衣香選手がエンブレムを叩くシーンなど、鳥肌が立つ。

男女のトップカテゴリーにチームを持つクラブとして、こうした取り組みはぜひ続けて欲しいと思う。

ほりけん
浦和レッズサポーター。OWLでは「インテリ系浦和サポ」と呼ばれるが、普段友人には「レッズの話をしだすと途端に知能指数が下がる」と言われる。
主な執筆記事:『サッカーに焦がれて沖縄へ 浦和レッズのキャンプとBリーグの試合に行ってきた』『オーストラリアのスーダン人コミュニティとは? 浦和レッズの新戦力トーマス・デン選手のルーツから多文化共生を学ぶ
note Twitter

穏やかなフットボールクラブのサポーターが響かせる、優しい歌。

結城康平

爽やかな緑色の風が頬を撫で、穏やかな歌声が聞こえる。

古都エディンバラでは、スタジアムに集結したサポーターがラブソングを歌うクラブがある。

イングランド北部に位置するスコットランドには、2つの大都市がある。エディンバラとグラスゴー。港湾都市グラスゴーは工業化で栄えた労働者の街として知られ、かつて中村俊輔が所属したセルティックとレンジャーズが「欧州屈指の激しさを誇る」オールドファームダービーでぶつかり合う。

観光都市エディンバラの、フットボールというスポーツへの向き合い方は少し特別だ。ダービーと呼ばれる試合は大抵、同じ街にあるクラブが宗教や階級を代表して激しくぶつかり合う。異なる価値観の相克は、スポーツという爽やかな言葉だけで表すことは難しい。実際にオールドファームダービーの日には、普段よりも多くの警察官が配備される。

一方、エディンバラという街においてフットボールは「全て」ではない。彼らは良い意味で距離を取り、フットボールを娯楽として楽しむ。エディンバラをホームとする2チーム、ハイバーニアンとハーツの場合、家庭内で2チームのファンが共存することすらある。今回はそんな穏やかなクラブ、ハイバーニアンFCを象徴するラブソングについて紹介したい。

スコットランドでは、スタジアムの周りに「特定のクラブをサポートするファン」のためのパブがあることも多い。熱狂的なファンが集まるパブは、当然クラブのカラーである緑に彩られている。高級感のある内装と白黒の写真は、クラブの長い歴史を象徴するものだ。彼らはチームの話をしながらグラスを合わせ、「スタジアムで会おう」と去っていく。酒場は、紳士達の社交場だ。

結城

結城2

音楽を愛するエディンバラの人々は、スタジアムですら優雅に唄う。彼らのお気に入りは、2人組のProclaimersが唄う名曲 “Sunshine on Leith”。意訳すれば、「リースの日差し」といったところだろうか。エディンバラの一地域であるLeithを舞台に、同名のミュージカル映画が作られたこともある。我々がチャントとしてイメージする、戦場へ赴く戦士達を鼓舞するような勇壮な曲調ではない。落ち着いたメロディーと哀しげな歌詞を、試合後にスタジアムの全員が唄う。「私の心は壊れてしまった」という悲しい歌詞からスタートするバラードは、ピッチで闘った選手を癒すように降り注ぐ。

結城3

結城4

ハイバーニアンFCは、優勝から100年近く遠ざかってきた。2016年に国内カップ戦を制覇した試合後は、当然サポーターが声を合わせて“Sunshine on Leith”を奏でる。その安らかな雰囲気は、彼らの紳士的な生き方とフットボールへの深い愛情を感じさせた。

欧州にも甚大な被害を与えたコロナウイルスが蔓延する中でも、この曲は注目を集めることになる。イギリスの国民医療サービスであるNHSの人々を労おうと、エディンバラの人々がこの歌を合唱したのだ。スコットランドの女性首相ニコラ・スタージョンの「コロナ禍の混乱は、我々の世界がどれほど脆いものかを思い出させると同時に、大切なものを明確にする。それは、健康、愛、結束なのです」というコメントに応えるように、エディンバラの人々は医療の前線で闘う人々を労うラブソングを送った。

エディンバラの人々にとって、フットボールと“Sunshine on Leith”は切り離せないものだ。彼らのコミュニティが共有する価値観こそが、哀しげで穏やかなラブソングに秘められているのだから。

結城康平(ゆうきこうへい)
ライターとして複数の媒体に記事を寄稿するかたわら、何でも屋的な立ち位置でサッカー界に関わっている。
著書:『欧州サッカーの新解釈。ポジショナルプレーのすべて』『“総力戦"時代の覇者 リバプールのすべて
note Twitter

ストイコビッチと逃げなけりゃ 代表になれるカモ前監督

さかまき

ふざけたタイトルだ。さかまきはオムニバス記事をなんだと思っているのか。

そう思われても無理はない。しかし、これ、実は歌詞なのだ。嘉門達夫の「ワールドカップだぜい!」という曲の一フレーズだ。

さかまき家では、私が3歳の頃から家族でドライブに出かける時のBGMは嘉門達夫の「鼻から牛乳」とチャゲアスの「SAY YES」だった。当時の車はマークⅡ。父の実家のある仙台まで帰省するときには嘉門達夫のベストアルバムが追加されるのだが、その中の一曲がこの曲であった。

それにしても、幼少期にこのBGMは完全に情操教育の面で失敗だったと言わざるを得ないだろう。その後さかまき少年は嘉門達夫のラジオのハガキ職人になるとともに、ハードコアパンクに傾倒することになる。

さて、話を曲に戻そう。そんな思い出深いこの曲は日本がW杯に初出場した98年3月にリリースされている。W杯初出場だというのでこれ以外にもたくさん便乗曲が出たのだろうか、なんとも呑気な時代である。歌は意中の女性に振り向いてもらおうとする男が主人公。デートに誘って告白するも振られ、家に押しかけてみたら彼氏が出てきてショックで涙を流す。憔悴しながらもいつかチャンスは来ると信じて待っていると、その後なんと別れてフリーになったらしい。意を決して再度告白すると今度はOKをもらえ、大団円という内容だ。

内容はともかく、自動車ショー歌のように当時の日本代表選手、試合会場や対戦相手国などが織り込まれていこれが今見返すとなかなか懐かしい。

あの娘のバストは ワールドカップ
ヘディングした様な 一目惚れ
速攻ハートに シュートしたい
きっとチャンスは アルゼンチン
カズ打ちゃ当たる ゴンといけ
ところがなかなか クロアチア

歌い出しから欲望爆発なのが清々しい。今だったらコンプライアンス的にアウトだろう。

最初の登場する選手はキングカズとゴン中山。ご存知の通り、カズは最後の最後に代表から落選するのだが、この曲が出るタイミングでは知る由もないだろう。後半では北澤も登場している。

あの娘に電話を スルーパス
ボランチ一緒に イハラです?
明日ふたりはオフサイド

ランチとボランチ、いかがと井原をかけているという解説は蛇足なのでやめておく。98年当時ボランチという言葉は一般的だっただろうか。そして、言葉遊びとは言え井原とボランチという言葉の違和感が強烈だ。やってたことあるっけ?

ドリブル震えて告白したら
ナント返事はパスさせて
心はドーハの悲劇だよ

ナントは第二戦クロアチア戦の舞台。この試合に敗北して日本は早々に予選での敗退が決まる。一方のクロアチアは初出場ながらベスト4と大健闘した。ドーハは何かとかかっているのかなと思ったけれど、単にかショックだったのだろう。ドーハ級の失恋ということは、結構いいとこまで行ったけど最後でダメだったのかななどと意味のない想像をしたりする。

序盤からこんな感じだ。全曲紹介するにはオムニバス記事では文字数が多すぎるので各自調べて欲しいが、その後も「苦労がダイナスティカップ」やら、「彼女のハートをツールーズ」など懐かしい大会や地名が登場したり、「ナナミダ出てくる ジョージョーと ソウマらハットリ 言ってくリヨン」やらかなり強引な引用があったり、「気持ちはラルキンスタジアム」とジョホールスタジアムの名前が登場したりと賑やかだ。

挙げ句の果てには「しつこい男はヤナギサワ」と柳沢敦が無意味にとばっちりを受けたりする。なんて悲しい男なのか。柳沢。

そんな初出場の熱狂からフランスW杯からもう20年以上が経とうとしている。日本はその後W杯の常連となり、キングカズはJ1に舞い戻り、嘉門達夫はイタリアから帰国した本田圭佑とそっくりという心底どうでもいい話題でサッカーと接点を保ち、さかまき少年はおよそ20年の時を経て今ラジオのパーソナリティをしている。そのラジオの内容はサッカーがもっぱらだ。
音楽は記憶のポストイット。幼少期の思い出が今につながっている。

さかまき
東京武蔵野シティFCサポーター。stand.fmで「キャプテンさかまき」として『旅とサッカーを紡ぐラジオ OWL FM』を配信中。
主な執筆記事:『「キャプテンさかまき 深夜の馬鹿力?!」 OWL FCのラジオパーソナリティ、はじめました!
note Twitter

J’sTHEME (Jのテーマ)

さとうかずみ@むぎちゃ

私は35年間、メジャーデビューしてからずっと、夏バンドTUBE のファン。15歳からずっと片想いしっぱなし。

サッカーファンなら誰しも耳にした事があるでしょう曲。

TUBE ギタリスト、春畑道哉の産み出したJ’sTHEME (Jのテーマ)。

1993年Jリーグ発足。5月15日、オープニングセレモニーで披露されたのを覚えている人はどれだけいるであろうか…。

(その際のまだサッカーのサの字もない、ただ大大大好きなTUBEの前ちゃん♡(前田亘輝)の国家独唱を聴くためだけに、あのレアな場所にいたまだ若かりし頃の私のエピソードは、中村慎太郎氏の『恋する主婦サポーターさとうかずみの物語 サッカー界には彼女を表現する語彙がない!』に綴られている。こちらもぜひ。)

ちなみにこの時の前田亘輝氏の君が代の国家独唱はスポーツに関するセレモニーでは日本初のことだったそう。今では当たり前ですが…。パイオニア!流石、老舗バンド!(褒めてます。)

春畑道哉氏に、Jリーグ公式テーマソングとして楽曲製作依頼あったのは、1992年のこと。当時は町田出身の彼もサッカーとは接点がなかった。

初代チェアマン川淵三郎氏から、

「Jリーグが続く限り永遠に流れる曲だから」

と熱い想いを聞かされ作曲に取り組んだそう。

そして1992年リリース、1993年公式ソングとして一般世間にも知れることとなる。

画像6

Jリーグ25周年となる2018年には、J’sTHEME~Thanks25thAnniversary ~としてリアレンジされ、毎試合のたび、各スタジアムで流れている~♪~

25年も経てばサッカーに縁のなかった春畑氏も、「春畑道哉と言えば町田ゼルビアサポ」となっており、プライベートでも時々、野津田に観戦に訪れ、リアレンジCD のプロモーションビデオ、フォトセッションも町田のホームスタジアムで行われた。

リーグ開催にも春畑氏のトークショー&イベントが開催され、当然、私、行きましたよ…。

大好きなアーティストの曲が大好きなJリーグサッカーと共にある。どのJリーグ試合でも、どこのスタジアムにいっても流れる。この上ない悦びである。

Jリーグが続く限り共にある曲、素晴らしいじゃないか…!

ハーフタイムに流れるJ’sTHEMEを聴いては、心の中で「皆!この曲TUBE の春くんよ!カッコいいでしょ!」とニヤニヤしているわけだ。

皆さんは、明日から、J’sTHEMEを聴いたらニヤニヤする私とTUBE を思い出してほしい。

そして、どこの誰の曲かは知らないが、スタジアムでいつも聴くと、目の前の試合いに感奮興起する…と自然にサッカーと共にある曲として誰かの心踊らせていたら、TUBE ファンとして誇らしい。

永遠に続け J’sTHEME...♪

永遠に続く J’sDream...♪

画像6

  
J’sTHEME~Thanks25thAnniversary~

01. J'S THEME(Jのテーマ)25th ver.
02. J'S Serenade(Jのセレナーデ)
03. BORN TO WIN
04. J'S BALLAD(Jのバラッド)
05. Going For Goal!
06. J'S THEME(Jのテーマ)
07. Future Of J
08. J'S Suite(Jの組曲)
09. J'S THEME(Jのテーマ)25th ver. -Guitar less track- 

さとうかずみ@むぎちゃ
ヴィアティン三重、栃木SC、そして船山貴之のサポーター。OWL magazine代表の中村慎太郎に「サッカー界には彼女を表現する語彙がない。」と言わしめた。
主な執筆記事:OWLオムニバス記事『高校サッカーの思い出』内の『私がPK戦恐怖症になったワケ』
Twitter

僕らの道の先にはいつも「ガチサポ」ショスタコーヴィチがいた

つじー

今から80年前、世界は第二次世界大戦の真っ只中でした。そんな時代のサッカーファンはどのようにサッカーを楽しんでいたのでしょうか。実は80年前と現代でサッカーファンの楽しみ方は大きく変わらないのです。

80年前、サッカーの虜になっていた人物にドミトリイ・ショスタコーヴィチがいます。20世紀を代表するソ連の作曲家です。日本では、彼が作った交響曲第5番や第10番が岡田准一主演のドラマ『SP』の劇中曲に使われていました。

生み出された数々の傑作は、サッカーなしには生み出せなかったといわれています。彼がいかにサッカー好きだったかを見ていきましょう。

仕事の合間、時間さえあれば彼の足はスタジアムに向かいます。1940年の5月から10月にかけて15試合をスタジアムで観戦した記録が残っています。特によく見に行っていたのは、応援するディナモ・レニングラードや、ゼニト・レニングラードの試合です。

この両クラブは、今もFKディナモ・サンクトペテルブルク、ゼニト・サンクトペテルブルクとして存続しています。特にゼニトはロシア屈指の強豪クラブとして有名です。2019/20シーズンのロシア・プレミアリーグでは優勝を果たしました。

当時住んでいたレニングラード(現・サンクトペテルブルク)を離れて観戦に行くこともありました。今でいうアウェイ遠征です。列車に一晩乗ってモスクワに行くこともあれば、何日もかけてキエフ(現在のウクライナの首都)やトビリシ(現在のジョージアの首都)まで足を運ぶこともありました。

仕事で外国に行けば、そこでもサッカーを見に行きました。1935年にトルコで23公演のコンサートに出演した際は、合間をぬってコンサート仲間を引き連れてサッカーの試合を見に行ったことが記録に残っています。

彼の観戦スタイルは、叫び声をいっさいあげず、感情を外に出すことなく、一瞬たりともボールから目を離しません。じっくり試合を見た後、必ずノートに詳細な試合レポートを書きます。ノートにはレポートだけではなく、彼なりにアレンジされたサッカーの統計記録も記されていました。今彼がいたならば「戦術クラスタ」と呼ばれていたでしょう。

彼が残した膨大な量のサッカーノートのおかげで、ソ連のサッカー史の研究が進んだと言われています。

彼が友人と交わした多くの書簡が残っています。あの選手がよかった、この戦術がよかったなどその内容はサッカーの話が事細かに書かれていました。とにかくサッカーのことが語りたくて語りたくて仕方なかったのです。

面白いことに、彼のサッカー友達に音楽の関係者はまったくいませんでした。仕事とプライベートでの交友関係にはっきりと線引きしていたのでしょうか。 

また、好きが高じて審判の資格を取ろうともしていました。仕事の都合でそれは叶いませんでした。しかし、近所の子供たちがサッカーしているところには泥だらけになりながら審判をつとめる彼の姿がありました。

いかにショスタコーヴィチがサッカー好きだったか伝わったでしょうか。彼は、暇さえあれば近くのスタジアムに足を運び、アウェイ遠征に出かけ、サッカーの分析に精を出し、友人と思う存分サッカーを語り合い、審判の資格も取ろうとしていました。

こう書いてみると、現代の僕たちサッカーファンの楽しみ方は既にショスタコーヴィチが実践していたとも言えます。僕たちの仲間が80年前にもいたんだ!

世界大戦を乗り越え80年間も変わっていないということは、今後もサッカーの楽しみ方の本質は何ら変わりはないのかもしれません。いつの日だろうとサッカーファンの考えることは、一緒なのです。

参考文献:驚くべきショスタコーヴィチ(ソフィヤ・ヘーントワ)

つじー
北海道コンサドーレ札幌サポーター。stand.fmで『コンスレンテつじーのサッカーお悩み相談室』を配信中。
主な執筆記事:『札幌サポ、韓国の要塞でACLに出会う
note Twitter

世界の小澤征爾vs鹿島アントラーズ

中村慎太郎

サッカーの試合はまるでクラシック音楽のようだ。時には穏やかに、時には壮大に。時には弱々しく優しげで、時には激しく凶暴に。

そうやって試合そのものの音楽性を見いだす試みも面白い。クラシック音楽というのは、人間の感情や感覚などの抽象的なイメージを音楽に変えたものらしい。そういう意味ではサッカーの試合は、クラシック音楽そのものだとも言える。

しかし、クラシック音楽とは全然違うという見方も出来る。

ここから先は

2,752字

¥ 300