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オーストラリアのスーダン人コミュニティとは? 浦和レッズの新戦力トーマス・デン選手のルーツから多文化共生を学ぶ

2020年2月6日。約1か月にわたる沖縄キャンプの終わりが近づいてきた頃、浦和レッズに、ひとりの選手が合流した。

トーマス・デン(Thomas Deng)

東京オリンピック出場を決めたオーストラリアU-23代表キャプテンで、フル代表にも選ばれたことのある若手DFだ。前所属はAリーグのメルボルン・ビクトリー。本田圭佑や、浦和に在籍していたアンドリュー・ナバウトと同僚だった。

土田尚史スポーツ・ディレクターによると、1月にタイ・バンコクで行われたAFC U-23選手権にスタッフを派遣し、プレーを確認した後にオファーしたとのこと。チームとしては「ずっと情報を集めてい」たようだが、巷の話題には全くなっていなかったので、少なからず驚いた。

加入のリリースは1月28日に出たが、何せ情報がない。しかし幸いなことに、翌日にはタグマ(フットボール・ダウンアンダー)に記事が出て、その直後には浦議に電話インタビューが出た。

これらによると、クラブのリリースではケニア出身とあるが、ナイロビの難民キャンプで、南スーダンからの難民の家族に生まれたようだ。6歳の時にオーストラリアに移住し、最初はアデレード、14歳からはメルボルンで育った。そして、多文化共生の国にあって、「新しいオーストラリアを象徴する選手」(フットボール・ダウンアンダー)と評されている。

調べた限り、これまでJリーグに在籍したオーストラリア出身選手はおよそ40人。しかし、その中でも、アフリカ系の選手は極めて少ない。タンド・ヴェラフィ選手(2016~17年に湘南ベルマーレ在籍、父親がジンバブエ人、母親が日本人)と、ジェイソン・ゲリア選手(2018年からジェフユナイテッド千葉に在籍、ウガンダ系)の2人だけ。

南スーダンにルーツを持つのは、デン選手が初めてだ。

正直に言って、デン選手が移籍してくるまで、オーストラリアにスーダン難民がいることすら知らなかった。そこで今回は、デン選手のルーツである、オーストラリアのスーダン人コミュニティについて学ぶべく、専門家に話を聞いた。

インタビューに応じていただいたのは、神奈川大学の栗田梨津子先生。文化人類学がご専門で、オーストラリア学会の理事も務められている。

栗田梨津子 准教授(神奈川大学 外国語学部 英語英文学科)
▼専門は、文化人類学、民俗学、オーストラリア研究。
▼オーストラリアの多文化社会とマイノリティ集団をめぐる諸問題について研究を行ってきており、近年は先住民とアフリカ難民の集団間関係に着目。
▼2019年より、オーストラリア学会の理事を務める。
▼主な著書・論文
・『オーストラリア多文化社会論』(共著、法律文化社、2020年)
・『多文化国家オーストラリアの都市先住民』(明石書店、2018年)
・「オーストラリアのアフリカ人難民をめぐる「社会統合」に関する一考察――人道支援の与え手と受け手の関係に着目して 」(2019年)
・「古典的人種主義と新人種主義の狭間で――オーストラリアにおける先住民およびスーダン人の「ブラックネス」をめぐる考察」(2018年)
・「メディアにおける先住民とスーダン難民の描写に関する考察 : アデレードを事例に」(2017年)

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異文化を理解する 文化人類学の醍醐味

――はじめに、先生のご専門やオーストラリアとの関わりについてお伺いしたいと思いますが、そもそも文化人類学というのはどういう学問なのでしょうか?

文化人類学は、人間について、文化という概念を中心に、自分達とは異なる社会を観察して、考察する学問です。異なる社会、異なる文化について知る方法はたくさんあり、最近であればインターネット等を通じて学ぶこともできるかもしれません。

しかし、文化人類学者は、必ず現地に赴いて、最低1年から2年は滞在して、身をもって異文化を体験するところに大きな特徴があります。また異文化を学ぶことで、自分達の文化を相対化し、自分達にとっての常識を疑おうという、内省的な学問でもあります。

オーストラリアには、2008年に初めて現地調査に入り、それ以降1年に1~2回訪れています。元々は、難民ではなくて先住民(アボリジニ)の研究をしていました。アデレードの先住民コミュニティを対象に、多文化社会に住まう、都市の先住民のアイデンティティについて研究していました。

ただ、ある時期から先住民が住んでいる地域や通っている学校に、スーダン難民が増えてきました。なぜかと思って調べてみると、都市の中心部に住んでいたスーダン難民が、先住民が住んでいるような郊外に引っ越すようになったという話を聞きました。それをきっかけに、スーダン難民、特に先住民とスーダン難民の集団間関係についても研究するようになりました。

オーストラリアによるスーダン難民の受入れ

――トーマス・デン選手は、2003年、6歳のときにナイロビからアデレードに来たようです。その頃、オーストラリアによる難民の受入れはどのようなものだったのでしょうか?

2000年代の初頭から半ばが、アフリカからの難民の数が一番多かった時期です。その中でも特に、スーダンからの難民が優先的に受け入れられていた時期でした。

当時スーダンでは内戦が起こっていて、難民キャンプで生活する人達がたくさんいました。ただ、難民キャンプでの生活環境は劣悪で、人道的な見地から支援しなければいけないという意識が世界中で共有されていました。オーストラリアは1951年に国連の難民条約に加盟しているのですが、難民条約に加盟している他の西洋先進国、アメリカやカナダなどと共に、オーストラリアでもアフリカからの難民を受け入れようとしたのが2000年代でした。

ただ、2007年に、当時の移民大臣が、「アフリカ難民、とりわけスーダン難民は、これまで受け入れてきた他の地域からの難民と比べて教育レベルが著しく低い」「難民キャンプでの生活が長期に渡っていたため、オーストラリアの社会への適応が困難である」「もうこれ以上のアフリカから難民を受け入れることはしない」という宣言をしました。

この発言の背景には、オーストラリアで、スーダン人がどのように受け入れられていたかということも関わっています。スーダン人は、当初一般的に可哀想な難民として、同情的に受け入れられていたようです。しかし、しばらく時間が経って、メディアでスーダン人による暴力事件や犯罪が報道され、そのような暴力行為の原因が、母国や難民キャンプでの苦難やトラウマの経験と結び付けられました。そして、一般市民の間でも、過酷な状況で育ったスーダン人は暴力的であると徐々に認識されるようになりました。

特に、2007年にメルボルンで、19歳のスーダン難民の少年が殺害された事件は、アフリカ難民の受け入れ数削減の決定に影響を及ぼしました。この事件の犯人は、殺害された少年と交友関係のあった白人の少年であったにもかかわらず、当初、警察は別のスーダン難民の若者による犯行と推測し、メディアでもそのように報じられました。その結果、スーダン人コミュニティは、社会の秩序を脅かすトラブルメーカーとしてのレッテルを貼られたのです。

さらに悪いことに、2005年にニューサウスウェールズ州にあるマッコーリー大学の教授が、アフリカ系の人々と犯罪率の高さを結びつける発言をしました。特にスーダン人は犯罪者集団に他ならないと述べて、オーストラリア政府にスーダンからの難民の受け入れを廃止するように要求しました。この教授は後に処分されたのですが、当時の政府はこの見解を受け入れて、アフリカからの難民の受入れを大幅に縮小することになりました。

アデレードのスーダン人コミュニティとは?

――デン選手の出身地であり、栗田先生がフィールドワークをされているアデレードについてもお伺いしたいと思いますが、スーダン人コミュニティは、どれくらいの規模なのでしょうか?また街の中で、スーダン人はどのように暮らしているのでしょうか?

アデレードのスーダン人コミュニティは、オーストラリアの中では小さい方ですね。メルボルン、シドニー、ブリスベン、パースにもコミュニティがありますが、メルボルンやシドニーに比べると規模はかなり小さいです。

最新(2016年)の国勢調査によれば、オーストラリア全土では、人口(約2500万人)の0.1%程度にあたる、約2万7000人のスーダン人がいますが、アデレードのある南オーストラリア州では約2000人です。

スーダン人は、最初は難民支援組織の支援を受けながら生活していたので、アデレードの中心部に住んでいました。しかし、ある程度オーストラリアでの生活に慣れて、職を得て経済的に自立すると、住宅の値段が安い、北部郊外、北西部郊外に移住するようになりました。先住民を含め、低所得者層が多く、私もよく調査に訪れている地域ですね。

ただ、アデレードでは、特定のエスニック集団が特定の地域に集住するといったことはありません。そのため、スーダン人も相対的には北部郊外に集中しているものの、アデレード全体に分散して居住しています。

――そうすると、コミュニティと言っても、スーダン人地区のようなものがあるわけではない、ということですね?

はい。ただ、アデレードなどの都市には、スーダン人の自助組織があります。オーストラリアでの生活における様々な問題、とりわけ経済的な問題に直面した際に、自助組織の中でお金を貸したり、冠婚葬祭のために寄付をしたりします。このような緩やかなネットワークのことをコミュニティと呼んでいます。こうした自助組織は、クリスマスや南スーダンの独立記念日などにイベントを催して、アデレード全土のスーダン人が集まって交流できるような場も提供しています。

もうひとつ、スーダン人が集まる場としては、教会があります。南スーダン人の大半はキリスト教徒ですが、当初は白人が通う教会に一緒に通っていました。しかし最近では、スーダン人の中から神父が出てくるようになり、日曜日に自分達の母語で礼拝を行っています。白人が所有する教会を借りて、午前中は白人のための礼拝、午後からはスーダン人がアラビア語やディンカ語で礼拝をすることも良く見受けられます。

オーストラリア社会におけるスーダン人の地位

――デン選手が浦和に来る前のインタビューを聞いていると、スーダン人コミュニティに対して勇気を与えたいというメンタリティを強く感じました。オーストラリアでは、スーダン人はどのような社会的な地位にあるのでしょうか?

オーストラリア社会の中で、最下層に位置すると考えて良いと思います。長年、先住民が最下層に位置していましたが、先住民と同等か、それよりも低い位置付けだと思います。

それを示す指標のひとつとして、失業率が挙げられます。2016年の政府統計によると、オーストラリア全体の失業率は5.7%でしたが、スーダン人の失業率は 26.8%、5倍近い差がありました(ただし、地域によっても違いはあります)。そのため、平均収入も非常に低く、一般のオーストラリア人の半分程度です。

スーダン人でも労働意欲がある人はたくさんいますし、大学に進学して学位を取る人もいます。しかし一方で、高校をドロップアウトして、未熟練労働に従事せざるを得ず、意に反して、社会福祉サービス(日本で言う生活保護)に依存せざるを得ない人もいます。

また、現地のスーダン人と話していると、たとえ高学歴であったとしても、実際に雇ってもらえるとは限らないようです。医療や福祉の分野だと就職は比較的簡単だと聞いていますが、それ以外の分野ではなかなか雇ってもらえないという話はよく耳にしました。

周りの大人がそういう状況なので、若者は、将来に対して希望を見出しにくい状況にあります。そのため、中には、アルコールやドラッグなどの問題を抱えてしまう若者も存在します。

メディアはそういう若者だけに焦点をあてて報道するので、オーストラリア社会では、アフリカ系の若者は皆がそうなのだというイメージを持たれています。そうしたところから生じるステレオタイプや偏見に日々晒されているというのが、スーダン人コミュニティの現状かなと思います。

――過去のインタビューで、デン選手も、メディアなどの、スーダン人に対するネガティブな見方には苦言を呈していました。メディアの影響は大きいのでしょうか?

一番大きいと私は思います。例えば、メルボルンでは、2010年頃からスーダン人の若者集団による盗難や強盗などの事件が連日のように報じられ、スーダン人の若者の中には組織化された犯罪集団がある、というような認識が広まりました。

それ以前にもスーダン人による犯罪に関する報道はありましたが、あくまでも個人レベルでの犯罪として扱われ、スーダン人の若者全体が犯罪者集団として描かれることはありませんでした。実際にそういう犯罪組織というのは存在しないにも関わらず、メディアがそういったイメージを作り出してしまいました。

それによってメルボルンのスーダン人の若者は、普通に町を歩いているだけで警察から職務質問をされる、正当な理由がないにも関わらず逮捕されるということが日常茶飯事で起こるようになりました。それ以外にも、レストランやショッピングモールへの立ち入りを禁止されるなど、社会生活の色々な面で制約を受けるようになりました。

アデレードのスーダン人はそこまで露骨な差別は受けてはいないようですが、警察との関係に関しては、やはり職務質問を頻繁に受けたという話は聞いています。そういうところから、スーダン人の多くが、社会から受け入れてもらえていない、という意識を強く持っているような印象を受けました。

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▼スーダン人?南スーダン人?アフリカ系オーストラリア人?
▼オーストラリアが辿った多文化社会への道
▼多文化共生への要諦は、ホスト社会の理解
▼ポート・アデレードFCに学ぶ、フットボールクラブの可能性

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