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めんどくさがり屋のひとりごと⑰「柳の如くしなやかに」

※この投稿は、本当は半年前にしようとしてサボってしまったものである。
それを踏まえて読んでください。

早速ではあるが、1問人物当てクイズを出したい。

私が最初にその名前を眼にしたのは、9年前の朝ドラだったように思う。
その際は出番もそんなにあるわけでもなく、私も「こんな子いるんだな」程度の認識だった。
その数ヶ月後に別のスペシャルドラマにてヒロインを演じて「あの可愛い子は誰だ!?」と話題になるも、その時も私はそのドラマを観ていなかったので、「あぁ、あの朝ドラに出てた子か」とニュースを観て感じた程度であった。
それが深夜ドラマで主役を張ったりと名前を見かける機会が増え、そこから2年くらい経った後、完全にその人物を認識するような機会があった。
その時の演技が妙に心に残り、そこからその人物の仕事に注目していって、現在その活躍の目覚ましさを目の当たりにしている状態に至る。
果たして、これは誰であろうか。

「9年前の朝ドラ」とは土屋太鳳ヒロインの「まれ」、「スペシャルドラマ」とはフジテレビの「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」、そして「その人物を認識するような機会」とは映画「君の膵臓をたべたい」のことを指す。
ここまで来れば分かるだろう。
その人物とは、俳優の浜辺美波のことである。

何故このタイミングで彼女のことを書こうかと思ったのは、昨年大団円を迎えた朝の連続テレビ小説「らんまん」でのヒロイン・槙野寿恵子の演技を通じての雑感をここに記してみたくなったからである。
言ってしまえば、「やっと、心のくすぶりが消えてくれた」という一人のファンとしての気持ちが、私の中を駆け巡ったのだ。

「キミスイ」(君の膵臓をたべたい)以降の浜辺美波の主な活動を挙げると、「賭ケグルイ」(主演・蛇喰夢子じゃばみゆめこ)や「ドクターホワイト」(主演・雪村白夜びゃくや)に代表されるような「器量の良さ」にフォーカスを当てたような役柄や「やがて海へと届く」(主演・卯木うつぎすみれ)や「シン・仮面ライダー」(ヒロイン・緑川ルリ子)に代表されるような「薄命の儚さ」にフォーカスを当てたような役柄が多かった。
きっと、制作側が「キミスイ」のイメージに引っ張られてそういう役柄を多くオファーしていたのだと、こちらでは邪推している。
それらのような「器量」「薄命」そして「探偵」(「ピュア!」「アリバイ崩し承ります」「屍人荘の殺人」など)――これがこれまで浜辺美波の俳優人生を語る上での大きなファクターであると思う。

私も彼女の出演した作品を全て観たわけでは無い。
ただ、「キミスイ」以降の出演作品に対する一ファンとしての印象は、「重さが無い、もっと何か衝撃を受けるようなシリアスさが欲しい」と言うものが強かった。
それがどれほど上から目線で偏見に満ちたものなのかは承知している。
ただ、同世代の女優たちが色んな大物や大作に出演する中で、浜辺美波の出演作はどこか似通っていて、こちらに衝撃を与えるようなものが無い、個人的な物足りなさを感じさせるようなものが続いていて、勝手な心の燻りを感じていた。
このままでは同じような作品に出続けて、「ただの綺麗な人」で俳優人生を送って行ってしまうのではないか――そんな心配を、この数年テレビやスクリーン越しに思っていた。

そんな中で訪れた、朝ドラ「らんまん」でのヒロイン抜擢である。
演じるのは、主演の神木隆之介演じる植物学者・槙野万太郎の妻・寿恵子という、数少ない男性主人公の作品のヒロインで、夫の活躍をあの手この手で支えてゆく役柄となっている。
朝ドラヒロインと言うのは、その後の俳優人生を歩む上では大きな手札となる役柄であり、色んな方に名前や役者としての力を半年間通して披露することの出来るまたと無いチャンスである。
その反面、ストーリーなどに難があったりすると視聴者からの冷たい視線や言葉を矢面に立って一身に受けることになる、精神的なリスクを伴う仕事でもある。
今回は主演が神木隆之介で多くの朝ドラとはポジショニングが異なるとは言え、ヒロインであることには何ら変わりは無い。選ばれたことは誉れであると同時に、半年間の国民の標的でもあるように思える。それほどに、この朝ドラヒロインを務めることは色々と試されている、と私は考えている。

そんな大役を浜辺美波が務める――そのニュースを知った時、本人の演技力に不安は無かったが、その役柄にはとても不安を感じた。「推しの活躍が観られるのは嬉しいが、また似たような役柄だったらどうしよう」、と。
「夫をあの手この手で支える」と聞くと、真っ先に浮かぶのは「内助の功」や「糟糠の妻」という言葉である。
どれも印象としては、「夫を陰から支えて、自分を出さずに少し後ろから夫についてゆく」という慎ましいイメージがそこはある。
描かれる時代は明治から昭和にかけてなので、「貞淑な妻」という存在が社会には当たり前に鎮座していた時代である。
そのような存在として、朝ドラでも描かれるのではないか――そう思っていた。
そして放映が始まり、第三週から寿恵子が登場し、やがて結婚・子育て・そしてその後の活躍と観てゆくうちにある印象が生まれた。

「浜辺美波はたくましい役者である」というものである。

それは、脚本の長田育恵氏の描く槙野寿恵子と言うキャラクターが、「糟糠の妻」というカテゴライズに収まらなかったことに起因すると思う。
モデルとなった牧野富太郎の妻・壽衞子もたくさんの子供(史実では13人)を育てながら、夫・富太郎の研究によって発生した借金返済のために待合茶屋を経営して繁盛させることで家計を助け、果てには待合茶屋を売却してそのお金を元手にして練馬・大泉の地に家を建てるという行動まで起こす、まさに「軍師」のような人物だったことが知られている。
その為、モデルからして「数歩下がって慎ましい妻」と描かれるには相応しくないような逞しさを持っていた。だから、創作における寿恵子の人物像は自然と「芯の強い逞しい女性」というものになっていたものと考えられる。

ただ、史実と同じような人物にすると貧乏生活や多産、「スエコザサ」のエピソード(命名が壽衞子の死後)などの色が強くなってしまって、「ダメ夫に苦労させられながら消費されて命を縮めてゆく妻」という印象が生まれてしまう。
「らんまん」における寿恵子がそういうキャラクターにならなかったのは、本編に一貫していた、「〈推し〉に対する熱量」がそこにあったからである。
万太郎が植物、姉の綾(佐久間由衣)が酒、相棒の竹雄(志尊淳)が槙野姉弟、親友の波多野(前原滉)がイチョウ、藤丸(前原瑞樹)が菌類……とにかく、この作品には「推し」が溢れている。苦難に消費されないために自分の心の拠り所や癒しを持つことで、それが日々の生活のエンジンとなってい行く――現代生活にも通じるような心持ちが、この朝ドラの世界には満ちていた。
寿恵子もその御多分に漏れず、『南総里見八犬伝』ひいては曲亭馬琴をこよなく愛する人物であり、今で言う「オタク女子」に近いようなキャラクターである。
根津の菓子屋・白梅堂の看板娘として、母のまつ(牧瀬里穂)や職人の文太(池内万作)と店を切り盛りしながら、部屋では父の遺した『南総里見八犬伝』の読本の世界に耽り、「八犬伝」のような大冒険に憧れを抱いている――それが、寿恵子が本格的に物語に登場した時の描写である。

かつて、浜辺美波は日本テレビのドラマ「ウチの娘は、彼氏ができない!!」(主演・菅野美穂)にて、筋金入りのマンガ・アニメオタクである主人公の娘・水無瀬空みなせそらを演じており、コスプレも披露していた。そして浜辺本人も大のマンガ好きで知られ、演じる本人が「推し」がいることの幸せを享受している人物でもある。
そこに「推し活」文化が根付きつつある、今日この頃の世の中の空気が合わさってシナジーを生み、そこに「西村寿恵子」(旧姓)という一人の女性の輪郭がくっきりと現れたのだった。

そんな寿恵子が植物の研究に邁進する万太郎と出逢い、やがて恋に落ちて結婚することになるのだが、何かを愛することの喜びを知っている人間が他の何かを愛する人間のことを好ましく思うことは当然のことわりのようにも思える。
愛する対象は違うけれど、その愛するモノに対する真摯さはどんなオタクにも標準として備わっている。それが分かっているからこそ、寿恵子は次第に万太郎に惹かれたのだ。
それに加え、一生を懸けて日本中の植物の名を明らかにせんとする万太郎の姿に、盲目になりながらも息子の妻に口述筆記してもらうことで『南総里見八犬伝』を完成させた推し・曲亭馬琴の姿を視た。――そして思った。この人なら、まだ見ぬ世界への「大冒険」へ私を連れて行ってくれるのではないか、と。

似た者同士の夫婦という意味のことわざに「割れ鍋に綴じ蓋」というものがある。オタクとオタクの組み合わせの槙野夫妻は、まさにそのことわざ通りの夫妻だったのだ。
その二人が巡り逢い、互いに手を取り合い、横に並んで大冒険へと踏み出してゆく――その過程を神木隆之介と浜辺美波の二人が丁寧かつ繊細に、そして時に大胆に表現してくれたのだった。

そこからの寿恵子の活躍は、とても目覚ましい。
万太郎が故郷で発見した新種の植物を世に発表するために図鑑を出そうとした時には、万太郎の実家が持たせてくれたお金を元手にして国産の石版印刷機を自宅に購入して少しでも夫が睡眠を取れるように一計を案じたり、万太郎が研究のための本を購入するために重ねた借金の返済を先延ばしするために、借金取りを相手にして歌舞伎や曲亭馬琴のエピソードを用いたやり取りを重ね、果てには夫の将来性を担保として更なる貸付を取り付けるということまでやってのける頭の回転の速さと胆の太さを見せている。

その当時、万太郎は定職に就かずに大学に出入りして植物学研究をしたり、自分の落ち度で大学を出禁になった後は各地の植物に関する問い合わせに無償で答えるなどひたすら研究の日々を過ごし、食い扶持は専ら寿恵子の内職や私物の質入れに頼っていた。文章で言えば相当なダメ夫に聞こえるが、そこは脚本と主演の神木隆之介の演技の妙がそれを「好きに邁進する塊」へと変化させているように思えた。
夫は無職、子供は三人、そして借金まみれ。それでも、寿恵子は立ち止まらない。むしろさらなる前進を続けて「槙野家の大黒柱」へと変貌を遂げてゆくのだった。

図鑑の売り上げを借金の返済に充て、生活はいつもギリギリ、終いには寿恵子の愛する『八犬伝』を質入れするところまで来てしまった槙野家の家計。寿恵子は、叔母のみえ(宮澤エマ)の勧めでみえの経営する料亭で仲居として働くことになる。そこで客人としてやってきた三菱財閥当主の岩崎弥之助いわさきやのすけ(皆川猿時)が菊の品評会を行うと語り、寿恵子は万太郎に相談を持ち掛ける。万太郎が薦めたノジギクは他の菊よりも華やかさには劣り、品評会では選ばれることは無かったものの、寿恵子は万太郎への信頼と持ち前の胆力で岩崎の心を掴み、岩崎にそのノジギクを買い取ってもらうことに成功する。その一方で、万太郎は東京帝大教授となった徳永(田中哲司)からの呼び掛けで植物学教室の講師として雇用されることになり、槙野家の家計が少しずつ回り始めることとなるのだった。

借金取りや岩崎に対する物怖じしない姿勢は、その後の展開でも効力を発揮する。料亭の手配する芸者がやって来るまでの場繋ぎとして、賓客に講談もどきの『八犬伝』の場面を語ってみせて盛り上げたかと思いきや、新しい印刷機を買うため、かつ「自分なりの横倉山」を作ろうという冒険のために、当時はまだ農村だった渋谷の地を歩いてリサーチを行い、その上で空き家を買い取ってそこに待合茶屋を開くということまで行ってしまう。そして、関東大震災後に渋谷の街が栄えてゆくのを見届けるかのように待合茶屋を売却、そのお金でまだ自然豊かな練馬・大泉の土地を買い、そこに家を建てるということまで成し遂げることになる。これを「逞しい」以外の言葉でどう表現したらいいのか、私には判りかねる。

ここまで寿恵子を突き動かしたのは、「夫への好奇心」――これに尽きる。
生活も困窮して、この先どうすればいいのか判らない状況に陥ったとしても、寿恵子は決して諦めなかった。それは「万太郎が必ず自分たちをまだ見ぬ景色へと連れて行ってくれる」という信頼と、「まだ見ぬ景色」をただ待つのではなくて自分が動いて援護射撃をすることでその道筋を作ろうとするそのバイタリティが絶えずそこにあったからに他ならない。
事実、史実の壽衞子夫人もそうであったのだから、槙野寿恵子がそうなるのも自明なのである。
そこにオリジナルのオタク要素が加わり、槙野寿恵子は「冒険を恐れない挑戦者」となったのである。

そしてこの役を半年以上通して経験したことによって、演じる浜辺美波自身も段々と役者としての逞しさ、深みを蓄えたのではなかろうか。
本人自身、デビュー当時レッスンで周囲の同期より演技やダンスを上手くこなせず、劣等感を抱いていた経験を持つと多くの媒体で語ってきているように、今のキャリアを得るまでに苦い経験をしてきたはずだ。だから自ずと逞しさは本人の中で醸成されていたのではないかと思う。それが、「槙野寿恵子」というキャラクターを通して世に放たれた、ただそれだけの事なのかもしれない。
また、主演作品を多数経験して役者として年輪を重ねる時間を過ごし、その度に切り替えるスイッチの数も増えていたかとは思う。ただ、どこかのインタビューで「妻や母親、こんなに長い期間同じ役を演じるのは初めて」と耳にしたことがあるので、この作品は本人にとって役者人生の中でのターニングポイントの一つになったのではなかろうかとも思える。
個人的に、大河や朝ドラのメインキャストを演じ切った役者の顔つきはその前より味わいを深くさせると思っているので、浜辺や主演の神木隆之介を始めとしたキャストの顔つきが、その後どう円熟味を増して変わってゆくのか楽しみである。

最後に余談を。
このドラマの放送中に映画「ゴジラ-1.0」のキャストが発表され、主演とヒロインが神木隆之介と浜辺美波であり、撮影が「らんまん」の前であると報道された。
先輩・後輩として「屍人荘の殺人」で初共演して以来、恋人未満の「ゴジラ-1.0」を挟んでの「らんまん」で夫婦と関係性が縮まる形で共演を重ねたからこそ、あの槙野夫妻の空気感は生まれたのだと、視聴者たちはそこで思ったに違いない。
事実、「らんまん」と「ゴジラ-1.0」は概ね高い評価を得、いくつもの賞を獲得することとなったのだから、これは言えるだろう。
また、その関係性は役以外のところでも影響を及ぼしたのか、2023年の紅白歌合戦やブルーリボン賞、日本アカデミー賞授賞式でもネットで「夫婦漫才」と評されるような丁々発止のやり取りを繰り広げている。
本人たちは「次の共演は8年後」と言っているが、上記のイベントに加え、先日「らんまん」の演技で橋田賞を両名とも受賞したので、その授賞式があればまたそのやり取りが観られるのかもしれない。

朝ドラ以降、民放の連続ドラマから遠ざかっている二人ではあるが、次に二人をテレビドラマで観られるのはいつになるだろうか。
日曜劇場か、火曜ドラマか、月9か、はたまた大河ドラマか。
ゴールデンコンビの活躍に、まだまだ目が離せない。

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