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運命が動き出すときーーー女性らしくふるまうことを、自分に許していますか。

女性らしくふるまうことを、自分に許していますか。


先日から運命の人について、手探りながら書いているのだけど、学生の頃はほんとに恋愛に縁がなかった。

好きな人が出来ないわけではないけれど、恋愛というものはなんだか得体が知れなかったな。友達が次々と彼ができたり、濃厚な恋バナに花を咲かせているのは羨ましいと同時に不思議な光景だった。長い間女子校で暮らしたせいもあるかもしれない。

でも、今振り返れば、本質的な理由はひとつで、それは、自分の中の"女性らしさ"と"女性性"を自分に許していなかったからだと思う。


ここでいう女性性というのは、エネルギーの性質のこと。
受け取ることや調和、直感。そんな受動的なエネルギー。

反対に男性性は、行動することや拡大、思考。そんな主体的なエネルギー。


ジェンダーとしての女性らしさと男性らしさ。
エネルギーとしての女性性と男性性。
パートナーシップというのは、その二つの軸を二人でバランスよく共有していくもののような気がする。


男性も女性も、今は同じような教育を受け、同じように仕事をすることができ、等しく扱われるべき社会になってきた。そんな時代を生き、そんな社会に出ていこうとしていたわたしは、自分の中の女性らしさや女性性を使うことが何だかいけないことのように感じてた。

同じ女性でも、男性性を使った方が生きやすい人もいるんだろうな。でも私の場合は、男性性を使って何かを得ても、いつも苦しかったような気がする。自分のほんとうに行きたいところに辿り着けていないような。


女性らしくふるまってもいいんだ。

そう思えたのは、社会人になる準備をしていたころだった。女性らしさや女性性を存分に使って生きている女性の本を色々読んでみたのだ。
彼女たちは一見トリッキーだけど、女性として生まれたことを大切にして生きている。女性という性で産まれたことそのものが既にギフトなんだと気付いた。


だからといって、いかにも女性らしく行動すればいいのかといえばそうじゃない。女性という役割に撤するというのも、ちょっと違う。

大切なのは、
女性らしくあることを、
女性性のエネルギーを使っていくことを、
女性として扱われることを、
"自分が自分に許している"こと。




自分が自分をそのように扱ったとき、周りからの扱われ方も変わりはじめる。

オードリー・ヘップバーンが主演した映画「マイ・フェア・レディ」の中で、こんなセリフがある。

レディと花売りの違いは、どう振る舞うかではなく、どう扱われるかです。

自分からの自分の扱われ方。
周りからの自分の扱われ方。
その両軸が変わったとき、自分の皮が一枚分厚くなる。強固になる。

まるで球体のように、自分には様々な面があっていいんだ。

そんなふうに自分を許したとき、ようやく、運命は動き出す。


▫️続編
それぞれの女性らしさ

▫️運命シリーズ

運命の人ーーーとはいえ、わたしはきっとこの人とずっと一緒に生きていくんだろうな

運命のサインーーーささやかで、ともすれば見落としかねないような。


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