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運命の人ーーーとはいえ、わたしはきっとこの人とずっと一緒に生きていくんだろうな

運命の人がいるのなら。

優しくて頼りになって、いつもわたしを肯定してくれる、少女漫画に出てくるような人かな。

少なくともわたしが出会った運命の人は、そんな感じじゃないな。

優しくて、変なところで頑固で、こたつの中に靴下を脱ぎ捨てて、わたしが見つけると「てへ」という顔をするのがとても上手い人。


仲は良いけれど、喧嘩は恒例行事。

お互いの気持ちを言った挙句、大抵わたしは泣いてしまう。そんなわたしと居た堪れないのか、夫は大きな喧嘩になると家出する。

はじめは、びっくりしたし、腹が立つし、悲しくて一人泣いていた。
今もびっくりするし、涙もろいわたしなのでたくさん泣くけれど、腹は立たなくなった。

腹が立っていたのは、「家に帰ってくるべきだ。常識だ。」という考えがあったからだけど、確かに常識ハズレなことなのだけど、常識なんてそれぞれの思い込みだし、もし夫が家出しなければ、わたしだって、実家に帰ったり、ルージュの伝言のように何処かに出かけないとも限らない。


最近、結構大事なことで喧嘩して、三日帰って来ない日があった。
あまりに帰ってくる気配がないので、そういう時は義母に電話する。
義母は了承して夫に連絡をとってくれ、しおらしく帰ってくるかと思えば、「帰るけど、口はききたくない」とメールがあり、夫はまるで石炭を焚いた機関車のように、憤然として帰ってきて寝室に閉じこもるのだった。

口をきかずに過ごして数日経ったある日。
仕事終わりに夫から回転寿司に行こうと連絡がある。回転寿司屋で落ち合うと、緩んだ顔をした夫がいた。
そして夫から先に悪かったと謝ってくれ、わたしも自分の悪かったところを謝り、いつものように仲良くお寿司を食べた。

帰って来なかった数日はどのように過ごしていたのか聞くと、車で他府県まで行き、山登りをしていたらしい。自然を感じながら、精神を落ち着かせていたのだと。

このことを、ある友人に話をしたことがある。大抵の女友達はわたしに同情して一緒に怒るか、心配してくれる。わたしも愚痴を言ってスッキリしつつ自分を省みることが多い。けれど、その友人は、わたしにこんな言葉を投げかける。

「こういう話を聞くと、じゃあ別れたらええやんって思う。」

その友人に、旦那さんの愚痴を友達に言ったりしないのかと聞いたら、「嫌なところは本人に言うしな~」とのこと。全くその通りだ。


恋人のときから、夫とは飽きるほど喧嘩をしてきた。その都度、自分とは合わないのでは、という考えが全く頭に過ぎらなかったのかといえばそうではない。

けれど、いつも最終的にこう思う。

「とはいえ、わたしはきっとこの人とずっと一緒に生きていくんだろうな」


運命というのは、もっとロマンチックで輝かしく強固なものだと思ってた。ときめきでいっぱいで、喧嘩もなく、お花畑のような。
もちろん、そういう運命で出逢う人たちもいるんだろうな。

けれどわたしの運命の人はこんな人。

そんなふうに思うとき、それは少しすっとんきょうで、幸せなことだ。



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