【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑧籠田公園~材木町(寄り道:空襲の碑、秋葉神社常夜灯、岡崎城信濃門跡、東海道・岡崎二十七曲りの生みの親 田中吉政公の像)
はじめに
「東海道・岡崎二十七曲り」を歩き切って早2か月強。
記憶が覚めぬうちに……と思いつつ、双月。時間が過ぎるのは早いものだ(遠い目)。
諸般の事情でなかなか執筆が進まないが、とにかく完走はさせたい。
(確定申告がある方、がんばりましょうぞ)
今回の旅の概要
前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。
今回の旅を以下のとおりにお示しする。
今回の旅の始点は籠田総門角常夜灯
今回の旅は籠田総門角常夜灯(旧:岡崎城外郭)から始める。
「籠田公園北西」の信号を名古屋方面に向かって道なりに東海道を進む。
連尺町と東海道岡崎城下二十七曲りの碑
道なりに200m弱歩くと左手に三菱UFJ銀行・岡崎支店が在る。
その歩道沿いに「連尺町と東海道岡崎城下二十七曲り」の碑がある。
連尺町は東海道が栄えた時代から”特に”商業で栄えた町だ。
東海道を先に進む。
「本町通1丁目」の交差点をまっすぐ名古屋方面に進む。
ちなみにこの交差点を右折し1キロ強ほど北上すると徳川家の先祖が建立し、徳川家光公が造営した「伊賀八幡宮」が在る。
個人的に睡蓮の花が開花する夏の朝の参拝がおすすめだ。
交差点を直進しシビコ(複合的?ショッピングセンター)の壁に見つけた現代の岡崎を象徴するグループの花押。
旅の目印”と”
どうやら籠田総門角常夜灯から350m歩いたようだ。
「旅の目印”と”」に接する。
「旅の目印」が示すとおりに道を行く。
【寄り道】岡崎藩校允文・允武館跡、岡崎空襲の慰霊碑、秋葉神社の常夜灯
「旅の目印”と”」を少し(50~100m程度)進むと史跡がある。
岡崎藩校允文・允武館跡。
允文允武。允文と允武。今の言い方では学問・武芸。文武両道を目指した学校があったということかーー。
慰霊碑の横に過去にあった秋葉神社の常夜灯が在った。
旅の目印”ち”
住宅街の小道を80m進むと「旅の目印”ち”」に行き当たる。
向かいの歩道に御影石の旅の目印も在る。
旅の目印が示すとおり、名古屋方面に向かって歩く。
旅の目印”り”
100m進むと「旅の目印”り”」。
「材木町1丁目」の信号を北上する。
旅の目印”ぬ”
150m道なりに進むと「旅の目印”ぬ”」に辿り着く。
ここまでは曲りが多い。
ここには御影石の旅の目印も在る。
この曲りを「旅の目印」が示すとおりに名古屋方面に道なりに進む。
今回の東海道・岡崎二十七曲りを歩くはここまで。
【寄り道】岡崎城信濃門跡
「旅の目印”ぬ”」を目印の反対側(東京方面)に向かって50mほど歩くと「岡崎城信濃門跡」がある。
正確に書くと、「能見通1丁目南」の交差点に行き当たったところで、伊賀八幡宮方面に(左折)向かい道なりに歩むと直ぐに碑がある。
ここは岡崎城の外郭・門跡地だ。
下記、PDFリンク。
『岡崎城跡の概要』ー岡崎市役所が公表しているデータの模様
城跡についてかなり詳細に記載されている。お時間があればぜひ。
https://www.city.okazaki.lg.jp/1300/1304/1332/p011770_d/fil/okj-02syou02.pdf
【寄り道】御旗公園ーー材木町・秋葉山常夜灯、田中吉政公の像
「旅の目印”ぬ”」を40mほど北上すると「御旗公園」がある。
天保年間に創建された秋葉山常夜灯が在る。
シビコ広場前にあった常夜灯と関係があるのかは不明。
上記の常夜灯の逆サイドに「東海道・岡崎二十七曲り」の生みの親、田中吉政公の像が在る。
近くに外郭などの看板も。
田中吉政公にかんしては、元々は籠田公園近く・東海道沿いの目立つ場所で旧東海道を見守っていたと聞いた。
都市開発の影響で東海道から離れた公園に設置され直されたと。
東海道・岡崎二十七曲りの生みの親の扱いとして、これは些か寂しすぎる。
まとめ
東海道・岡崎二十七曲りを整備した田中吉政公の御高名や功績がもっと市内外にアピールされてほしいものだ。
家康公が成し遂げたことは本当に素晴らしいこと。それは間違いない。
しかし、そこに注視するあまりおざなりになっていることが多々ある。
地域に今なお根付いている風習・生活/交通基盤を整備し、岡崎という街を守ってきた多くの先人に敬意を払う街になってほしいと心から思う。
今回はそれを痛感する旅路だった。
最終改定: 令和6年1月31日(1回目)タイトル番号誤りの訂正
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします
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