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人工衛星がスポーツにもたらす変革 選手や馬の動き、位置を測定 ケガの低減にも

北米プロスポーツ史上最高額でドジャースへ移籍し、日々その動向が報じられているメジャーリーガーの大谷翔平選手。今年1月にドジャースの公式SNSで大谷選手のトレーニング姿が公開された際、胸部に見慣れない黒い器具を装着しているのが注目を集めました。

こちらは「デジタルブラジャー」とも呼ばれる器具で、アメリカのGPSを含むGNSS(Global Navigation Satellite System、測位衛星システム)を使って選手の走行距離や最高速度などさまざまな指標をリアルタイムで計測できるものです。

ここ10年近く、さまざまな競技において選手の身体能力やパフォーマンスが、測位衛星も加わったことでより一層“見える化” され、トレーニングや試合にいかされるようになってきました。スポーツ界における人工衛星の活用事例を紹介するとともに、未来を見つめていきます。

マルチGNSSによって測位の誤差が1m以下に

 
スポーツに測位衛星が活用されるようになった背景には、「マルチGNSS」による衛星測位の向上があります。

もともと測位衛星といえばアメリカのGPS(Global Positioning System)が有名です。複数の測位衛星から同時に発信された信号を、地上の受信機で受信することで位置情報や時刻をリアルタイムに把握するGNSSの1つで、1989年に初の実用機の打ち上げが成功。1995年には24機の衛星が6本の軌道上に配備され、民生利用への無償開放が開始されたことで、多くの国で利用されるようになりました(2024年3月現在、31機が周回中)。

しかし、日本では衛星が上空を通らない時間帯があったり、都市部や山岳部において電波の屈折や反射による障害が発生しやすかったりと、GPSだけで24時間、世界中の地域を高精度で測位するのは難しいです。

そこでロシアのGLONASSに加え、近年は欧州のGalileo、中国のBeiDou、インドのNAVIC、日本も2018年11月から準天頂衛星「みちびき」を4機体制で運用開始するなど、各国が独自に測位衛星を打ち上げてGNSSを構築するようになります。そうした複数のGNSSを同時に使う「マルチGNSS」技術を適用することで、高精度かつ安定した測位が可能となりました。

例えばGPSだけだと精度が10m程度になってしまう場合でも、マルチGNSSを利用することで精度が約1mまで向上し、さらに「基準局」の補正データを用いることで、誤差1~5cmほどにまで精度を向上させることができるといいます。

 

ケガのリスクの低減に、パフォーマンスの最適化

 
地上の物体がどう動いたか、宇宙から誤差1m以内でリアルタイムに測れるようになった――この先端技術はスポーツ分野にも応用されていきます。 

その筆頭が、冒頭で取り上げたデジタルブラジャーです。タンクトップの背中あたりのポケットに内蔵したGNSS受信機で選手のパフォーマンスを計測できるもので、「スポーツ向けGPSデバイス」「GPSパフォーマンストラッカー」など呼称はさまざま。日本では2019年のラグビーワールドカップで、日本代表チームがトレーニングや試合でマッチ箱程度のGNSSデバイスを身につけたことで注目を集めました。

Catapult社のパフォーマンス分析機器(Catapult公式ブログより)

市場をリードしているのはオーストラリアのCatapult社で、同社の装具では走行距離、走行スピードのほか、加速・減速、体の傾き、さらに地磁気センサーを搭載する場合は方向転換なども検出できます。アイルランドのSTATSports社製品では、30人以上のプレーヤーから同時に毎分50万以上の数字を得ることが可能だといいます。

サッカーではレアル マドリード、チェルシー FC、FC バルセロナ、バイエルン・ミュンヘンといったビッグクラブなどが採用。このほかバスケットボールにアメリカンフットボール、ホッケーに陸上競技など様々なスポーツに使われています。

選手の動きを測定する主な目的は、「ケガのリスクの低減」と「選手のコンディションの管理」、そして「パフォーマンスの最適化」です。

選手の運動量から、疲労がきっかけになりやすい肉離れの発生を予測して、練習を休ませるといった予防が可能に。このほか選手の動きからどの筋肉に負荷がかかっているかも解析でき、例えば走行距離が長いと腰や膝、スネに影響がありますが、速いスピードでの走行距離はハムストリングス(太ももの裏側)、加速・減速は太もも、股関節などに負荷がかかるため、それぞれの指標と選手の体調にもとづいて練習量を調整できます。

日経クロステックの記事によれば、ケガが原因で試合に出られない選手の合計数が少ないチームほど合計の勝利数が多くなる統計があるらしく、NBAのトロント・ラプターズのようにGNSSデバイスの導入前はリーグでケガが最多だったチームが、導入後に最小になった事例もあるといいます。

また、フィールド上の選手が特定の場面でどのようなフォーメーション、動きをしていたか分析することで、試合での戦術の振り返りが容易になったり、個々人の練習メニューの組み立てにも役立てられたりしています。

 

競走馬を宇宙から測位 部活動にも衛星が

 
測位衛星の活用はほかのジャンルの競技にも広がっています。 

2023年10月から、日本中央競馬会(JRA)ではGIレースを対象に競走馬の位置情報を可視化する「トラッキングシステム」を本格的に導入開始しました。競走馬のゼッケンに受信機を装着して位置情報を計測することで、それぞれの馬がどの地点で、ほかの馬とどういった位置関係で走っているのかを中継映像にリアルタイムで表示できます。

トラッキングシステムのグラフィックデザイン(JRAニュースより)

馬券を購入した馬がどこを走っているかわかりやすく映像化できるため、初心者やライトファンの獲得も期待できるとのこと。移動距離と経過時間から、先頭馬の速度も算出して表示しています。

育成年代・高校生層への普及も進んでおり、サッカーの本田圭佑選手が開発に携わっている日本発のGNSSデバイス「Knows(ノウズ)」は、Jリーグのユースや市立船橋、流経大柏といった高校サッカーの強豪校、大学のサッカー部、女子チームなど約120チームが活用(2022年8月時点)。

THE ANSWERの記事によれば、デバイスは体調管理やパフォーマンスの向上だけでなく、監督と選手たちとのコミュニケーションにつながっているとのこと。監督自身の分析とデバイスが示す数値は実はそこまで差がなかったとしても、具体的なデータを示すことで選手側の意識が変わり、意思疎通が円滑になったといいます。

 

中田英寿にイチロー データ主義に疑問の声も

 
人工衛星による“見える化”は、科学的知見にもとづくあらゆる進化をスポーツ界にもたらすかもしれません。一方で、過剰なデータ主義に疑問を示す声もあります。 

サッカーの元日本代表である中田英寿氏は、DAZNの番組『22YEARS』で元イタリア代表のトッティ氏と対談し、現代のサッカーはデータ主義によってフィジカルを重視すぎるあまり、ファンタジックなプレーが観られなくなってしまった、とコメントしています。

トッティ「もう今はテクニックじゃなくてフィジカルなんだ。すべて機械で」
中田「どのくらい走れてどのくらい速いか強いか……」
トッティ「GPSを使って100キロ走ったとか100回ダッシュしたとか……サッカーと走ることは別物だ。(中略)そうさ。サッカーは楽しい。ただそれだけだろ? 楽しいから試合を見に行く。行けば素晴らしい選手のすごいプレーとかオーバーヘッドキックなんかを観られる。ところが今はどうだ? 走って走って……めちゃくちゃだよ」
中田「ファンタジーあるプレーはもう観られない。その通りだ。だから俺はもうサッカーは一切観ない」

また、GNSSデバイスについてのコメントではありませんが、元プロ野球選手のイチロー氏も現役時代の2017年に、打球の初速や角度までもが数値化される大リーグのデータ主義の流れに対し、次のように発言しています。

「2アウト三塁で、僕なんかはよく使っているテクニックだけど、速い球をショートの後ろに詰まらせて落とすという技術は確実に存在する。でも今のMLBの中での評価は、チームによってはそこで1点が入るよりも、その球を真芯で捉えて、センターライナーのほうが評価が高い(※編注:打球の初速が評価される)。馬鹿げてる。ありえないよ、そんなこと。野球が頭を使わない競技になりつつあるのは、野球界としては憂うべくポイントだわね」

(Sportsnavi「後半は打率3割超のイチロー 前半戦と打撃の違いは?」より)

数字だけでなく芸術性や多様性も重んじるべきだという意見は、興行の側面を持つスポーツだけでなく、今後社会であらゆるものが人工衛星によって数値化されていくなかで持っておきたい視点です。
 
GNSS機器を利用できるハードルは今後ますます下がり、小中高の部活動で自分やチームのパフォーマンスを衛星で見る、なんてことが日常になるかもしれません。データを有効活用しながらも、そのスポーツの魅力はどこにあるのか、競技を通して何を享受しようとしているのか。本質を忘れずにスポーツを楽しんでいきたいです。
 

企画・制作:IISEソートリーダーシップ「宇宙」担当チーム
文:黒木 貴啓(ノオト) 編集:ノオト

参考文献

・内田 泰.”GPSでケガ減らす、「カタパルト」が支持されるワケ”.日経クロステック.2017年5月19日
・丹羽政善.”後半は打率3割超のイチロー 前半戦と打撃の違いは?”.Sportsnavi.2017年9月19日
・内田 泰.”スポーツを変革する高精度GPSデータ”.日経ビジネス.2017年11月20日
・安蔵 靖志.”ラグビー代表、途上国支援にも貢献する宇宙技術 慶大神武教授”.日経クロステック.2020年10月20日
・前田 成彦.”ラグビー日本代表も箱根駅伝出場校も活用 広がるスポーツのGPSデータで何が分かるのか”.THE ANSWER.2022年8月1日
・DAZN Japan.”『22 Years: 中田英寿 x トッティ』本編特別公開|ローマでスクデットを獲得したレジェンドの二人が22年ぶりに対談!".YouTube.2023年11月10日
・国司 理紗子.”暴れ馬もGPSトラッキングでピタリ捕捉、JRAが10年越しで挑んだ3つの課題”.日経クロステック/日経コンピュータ.2023年12月25日

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