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連載小説『ネアンデルタールの朝』⑬(第一部第3章-3)

3、
快晴の空のもと、雑木林が明るい緑を輝かせている。休日だからか、道路に車はほとんど走っていない。帰還困難区域に入っても、目に映る風景には一見何も変わりはなかった。信号機がずっと黄色で点滅したままであること、そして左右の道路がすべてバリケードで封鎖されていることを除いては――。
将人が言う「面白い場所」とは6号線のことだった。
東京から水戸市を経て仙台に至る国道6号線は、途中、福島の浜通りを通過する。原発事故以降、浜通りの一部の区間は帰還困難区域と重なり交通が規制されていたが、昨年の9月から自動車のみ通行が可能となっている。

「民喜、そろそろガイガーで測ってみてくれ」
帰還困難区域に入ってしばらくしてから、将人は言った。将人の要望を受け、ガイガーを使って車内の放射線量を測ってみる。
1.22マイクロシーベルト。窓を閉め切った車内でこの数値なので、外の線量はさらに高いだろう。
「いくらだった?」
「1.22マイクロシーベルト」
「ふーん」
すると唐突に将人は運転席の窓を開け始めた。
風が勢いよく車内に吹き込んでくる。民喜はギョッとして将人の横顔を見つめた。さっきスマホで調べてみたところ、この区間を通行する際は窓を閉めエアコンも内気循環にするよう書いてあったのに……。
「窓を閉め切ってちゃ、正確な数値が分からねえよ」
何でもないような顔をして将人は言った。慌てて画面に視線を移す。数値がぐんぐんと上がってゆく。
3.74マイクロシーベルト。
ゴクリと唾を飲み込む。背中の筋肉が緊張して硬くなってくるのが分かる。
「いくらになった?」
「3.74マイクロシーベルト」
風に負けないよう大きめの声で答える。
「ふーん。やっぱり窓を開けると高くなるな」
さっきまでの会話の続きのような何気ない口ぶりで将人は言った。
「大丈夫か?」
「ハハッ。大丈夫だ。いっつもここ通っているけど、俺は何ともねえよ」
将人は普段も仕事で6号線をよく利用しているとのことだった。将人は大きな声で、
「駿はなるべくここを通るなっつうんだけど。そう言われても困るべ。こっちは仕事で通んなきゃなんねえんだし、いちいち迂回してる時間も余裕もねえ。規制中は別の道を通らなきゃなんねかったから、大変だったべ」
「駿はなるべくここを通るなって言ってるのか?」
「んだ。でも、駿は気にしすぎだ」
将人は続けて、
「そうやって過剰に不安がったりするから、ストレスになって健康に影響が出るんだ。気にしなけりゃいいんだ」
何か言葉を返そうとするが、のど元がキュッと締め付けられたようになってうまく言葉が出てこない。
窓から勢いよく吹き込んでくる風が将人の短髪を揺らしている。将人の横顔を見つめながら、瞬間、デジャブのような感覚が民喜を襲った。
「もうちょっと先にある交差点から信号にかけての辺りが、一番放射線量が高いらしい。また測ってみてくれ」
将人はそう言うと、急速にスピードを上げ始めた。90キロ、100キロ、110キロ――。
「おいおい、ここは高速じゃねえだろ」
思わず大声で突っ込むと、将人は笑って、
「大丈夫だ。ここは帰還困難区域だから覆面パトカーもいねえ。結構みんな飛ばしてるべ。警察も黙認してるんだろ、この区間はなるべく早く通り抜けろって、てな」
将人はさらにスピードを上げた。130キロ。
「危ねえぞ」
ガイガーを握る手が汗ばんでくる。
「ハハッ。面白いだろ。今までの俺の最高記録は150キロだっぺ」
民喜に笑いかける将人の顔はいつもの表情と違っていた。目は笑わず、口元だけがひきつったような笑みを浮かべている。
こんな笑い方をする将人を見たのは初めてだった。


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