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心的外傷またはお菓子

ガサガサ買い物袋の音が部屋の前でした。
彼女が帰ってきた。多分両手が塞がっているだろうから俺は内側から鍵をはずした。
「おかえり」
ドアを開けてと言うと、彼女はびっくりした。泣き腫らした顔をしていた。
「どうして?」
と彼女は言った。
両手のビニール袋を上り口に乱暴に投げた。重かったのだろう。
「どうして?ってどうして?」
俺は彼女の言った言葉の意味がわからずオウム返しのように訊いた。
「いつもは部屋のドアなんて開けてくれないのに今日はどうして開けたの?変だと思った。どうして?」
彼女はバサバサコートを脱ぎそこらに投げた。
コートみたいなものを纏っているのが鬱陶しくてたまらなかった、という脱ぎっぷりだった。怒りと不安と不満のやり場がなくてコートやら靴下やらを脱ぎ散らかしてしまうのだろう。
「泣いた?」
彼女の顔がいかにも泣きましたという顔だったので俺は思わずそう言ってしまった。言ってから、しまったと思った。大抵そう言うと彼女はますます泣くという事を忘れていた。
彼女は黙って部屋着に着替えてこたつに入って背を丸めた。それから、
「泣きながら帰ってきた…苦しくて苦しくて泣きながら病院からでて泣きながら買い物して泣きながら電車に乗って帰ってきた…」と地獄の底の住人のような低い声で言った。
そしてまた泣き出した。
「うっうっうえぇ〜ん。なっ…なんで…わたしはいつまでも苦しいの…?うっうっなんで?どうして?うあああぁーん」
大変な号泣になっている。
「よしよし。えらいな。ひとりでちゃんと家まで帰ってこれてえらいよ。泣いていいよ。」と俺は優しく言ったつもりだったが、
「だめだよ!」
涙と鼻水でぐじゃぐじゃになりながら彼女は叫んだ。えっだめなの?俺は戸惑った。
「泣くと怒られるんだから!泣くとうっとおしがられて嫌われるんだよ!死んでも泣いちゃだめなの!なんで泣いていいなんて言うの!ばかっ」
ばか…。俺はしばしポカンとしてしまった。慰めることもできないのか。俺は。
俺は気を取り直し、静かに彼女に語りかけた。
「泣いちゃだめってお母さんが言ったの?」
「そう!そう!」
泣きながら彼女はぶんぶんうなずいた。
可哀想に嗚咽を意地でももらすまいと額に血管を浮かせて我慢している。
「お母さんはここにはいないぜ?泣きたかったら泣いていいよ。気が済むまで泣いていいよ。俺はずっとそばにいるよ。俺が嫌がるわけないじゃん。隣の部屋の子供なんか夜中にぎゃんぎゃん泣いてるぜ?」
それでも彼女は息も絶え絶えになりながら嗚咽を噛み殺していた。
彼女は母親にされた仕打ちが心的外傷になっている。そう解釈すれば簡単だがそこからどう傷を癒やすのか。こんなに記憶が逆流して子供の頃の痛みを剥き出しにして、生きることを阻んでいる。母親以外にも学校でいじめにあったり、無神経に決めつけるような事を他人からいわれたり、祖母が過干渉で支配的だったり、父親がアル中だったり、まあ、要するに虐待されていたのだ。
家庭の外でも迫害され常に自分が悪いと思い込まないと生きれなかったのだ。
かわいそうに安心した事がないのだ。
かわいそうに。かわいそうに。
俺はぼんやりしてしまった。
つらいだろうなぁ…こたつあったかいなぁ。
今日は布団干したからお日さまの匂いを嗅ぎながら眠れるなぁ…と考えた。
「そうだ…お菓子いっぱい買ってきた」
泣きすぎて顔がぶくぶくになってしまった彼女は立ち上がる元気もなくなったらしく這って玄関に行った。
そして床に投げといたビニール袋をガサガサ引き摺ってこたつに戻るとこたつの上に次々お菓子を並べた。いちごグミ、ブルーベリーグミ、薄焼きせんべいほたてバター味、さくらんぼ餅にサイダー餅…。
「あ、さくらんぼ餅だ。俺これ好きなんだよ。」俺はなんとなく言った。
「安かったの。19円だったんだよ。19円!」
彼女はやっと笑った。
さくらんぼ餅は食べかけで小さなピンクの餅は6個残っていた。
彼女はその小さなパックを俺にくれた。
「すごーくおいしかった!モチモチして、もっと買ってくればよかったね」
よかったやっと彼女が生気を見せた。
さくらんぼ餅さまさまだ、と俺は思った。

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