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十月と十一月のあいだ

最近行ったところ。
十月の終わり。枯れかけていたけど、一面のコスモス畑はこころの休まる色合いだった。

あじさいも好きだけれどコスモスも好き。何色、とひとことで表せない花びらの色。そういう言語化できない物事に惹かれるのかもと思う。きっと、自分がそういう言語化できないものを抱えているから。「ほら、ひとことで言えないでしょ」と無言で主張しているような。わたしはそういうものを持っているのよ、なんて。そんなにひねくれてないかあ。うん。

ひとことで言えない色、と言えば、先日モネ展を観に行って、同じようなことを感じたのだった。
結構ばたばた忙しかったのに、こころの平安を求めて、がんばって観に行った。平日だったけれど、すごい行列だった。

モネ展に関してはちゃんと感想文を書きたい。

そのまま上野公園を散歩。
履いていたブーツ、途中足が痛くなって何度も休憩が必要だったのだけど、そうやってちょこちょことぼんやりする時間をつくれて良かった。流れるひとたちを目で追って。赤ちゃんが視力検査をするみたいに、ただ目の前に動くものを追従するだけの動き。視界の隅で動いている子どもを見るともなく見る。小さい子はかわいいな、何か月くらいなんだろう。一歳のお誕生日はまだかなあ。がんばってはいはいしているのを、その子の祖父母と思しき男女が手を伸ばしながら見守っている。そういう光景をただ眺める。転ばないようにね、とわたしも見守っていることに気づく。ああ、こうやって、何も考えていないみたいだけど、最低限の人間性みたいなものは失っていない。良かった。なんかわからないけど安堵。

公園内をぐるぐるまわって帰宅。
炊き込みご飯とお味噌汁で晩ごはん。先日新しく買った片手鍋はちょっと重いけど火の通りが早い。炊飯器を手放して長いけど、ごはんもすぐに炊ける。
そういえばどなたかの記事で読んだのだけど、関東では「炊く」という言葉ってごはん(米)のときにしか遣わないのね? 関西では野菜を煮るときも「炊く」って言いますね。当たり前だと思っていた。京料理では「○○の炊いたん」とかあるもんね。京都のことよく知らんけど。

歩きすぎて疲れて、その日は早々に就寝。ひさしぶりに日づけ変わる前に眠った。眠れた。毎日身体的な疲れは感じていると思っているけど、疲労の種類が違うのかなあ。晴れの日に緑の中を歩くのと、室内で立ちっぱなしでいるのと。そりゃそうか、うん。

というわけで、十一月もいいことがたくさんありますように。みんなにも、わたしにも。

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