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わたしの読書

きっと誰の得にもならないし、誰も興味のない話をしたいと思う。
少しだけでもいいので、20そこらの大学生の戯言だと思って見ていってほしい。

さっそく、本題に入る。
簡単に言うとわたしは本を読むのが好きだ。
しかし、机に座って「さて、読みますよ」と気合を入れて本を読むのは、なんだか自分の中で興醒めしてしまう。
「え、それってほんとに本好きなの?エアプでしょ」と思われても仕方ないかもしれないが、わたしは大人しく机に向かい椅子に座って本を読むことができない。

わたしが本を読むときは、基本的に入浴中である。
入浴中に本を読み出したきっかけは、スマホ依存気味であった自分を律するためだった。
お風呂場にまでスマホを持っていって、ジップロックに入れて入浴中にもいじってる自分に、ある日突然、なぜか酷く嫌悪感を抱いた。
「このままじゃダメだ」と気づいたわたしは、まずスマホを自室に置いてお風呂に入るようにした。

ぽけ〜っと見飽きたタイルや天井を眺めていても、なんだかおセンチになっていくだけだった。
もともと好きじゃないのにこのままだとより一層お風呂が嫌いになりそうだったので、気を紛らわすために本を持っていくようになった。
これこそ、わたしが本を好きになったきっかけである。
湿気の多いお風呂、湿った手でページを捲るので、わたしが読んだ本のページは、乾いたあとでそこらじゅうがぽこぽこうねうねしている。だから、友達にも貸せないし売りにも行けない、、、。
でも、好きな言葉やセリフを何度も読みたくなるようなわたしにとっては、それがちょうどよかった。

読み終わった本でも、またあのセリフを見返したいと思った時に本棚から引っ張り出して眺めたり、その本を読んでいた時に抱いていた感情や嬉しかった出来事、悲しかった出来事を思い出したりする。
だからわたしは、本を読みながら気に入ったところのページの端っこを折るクセがある。クセというか、自分が後から見直せるように意図的にそうしている。
もし、わたしが机に向かって本を読み、湿った手でページを捲るような読み方をしていなかったら、目先のお金に囚われて一回読んだ本を売ってしまっていたかもしれない。

わたしの周りには、本を読む友達が1人もいない。
そもそも、わたしの交友関係が狭すぎるのが原因かもしれないが、一般的に見ても本を読むのが趣味ですという大学生は少ないイメージはあると思う。
だから、そんな友達の中で「本を読むのが好き」とアピールに近いような宣言をしたところで「周りとは違うぶってる」とか「えらいね」とか思われたくないし、わたしの読書は2、3畳の湿った空間で完結しているもので、周りの人に共感してもらったり反感を得られたりするためにあるものじゃない。
だから、わたしは友達から聞かれない限り本の話はしないし本を好きと公言したこともない。
さらに言えば、家族の前で本を読むのもなんだか恥ずかしい。
そう考えてみると、実家暮らしのわたしにとって絶対に1人になれる空間がお風呂であり、それも入浴中に読書を好んでしている理由の一つかもしれない。

ここまで、わたし流の読書をつらつらと語ってきた。
おわりに、読書の醍醐味は何かについて今一度考えてみたいと思う。
わたしが本を読むことは、面白いや楽しいという積極的な動機よりも、救われるや負の感情への共感など消極的な動機が大きい。
生きてきて、言葉にできないし周りにもうまく伝わらないような、もやっとふわっとした違和感や悲しみ、痛みがみんなにあると思う。わたしにも数えきれないほどあるし、ネガティブでナイーブな性格上、人よりもそういった経験が多く、しっかりと覚えていやすい。
そんな、何年もわたしの心に鎮座している負の感情を、ふらっと立ち寄った書店でなんとなく手にした本、その著者の紡いだ簡潔で美しい言葉たちが優しく丁寧にえぐり取ってくれることがある。
わたしは、きっとこの瞬間のために本を読んでいる。
もはや、"本を読むこと"はわたしにとって、わたしの過去への鎮魂歌に近いかもしれない。

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