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壊れそうな我が家のはなし

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アルツハイマー型認知症を発症した元職人の実父と、自分も含めた家族の動きをあれこれ書き綴っています。 同じ病名でも、症状は様々かと思います。 しかし、我が家の場合はこんな感じだった…
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#認知症

壊れそうな我が家のはなし(18)

実母が搬送されたのは朝7時すぎ。 息子が学校に行ったのは8時ぐらいで、実父のデイサービスの迎えの車が来たのは9時ごろ。 家の中を片付け、実母と夫の待つ病院に着いたのは10時半だった。 診察の結果、幸い骨折もなく、実母には「脊椎側弯症の急性憎悪」という病名が付いていた。元々状態が良くない中で、実父の介護など無理のし過ぎだ。もう限界なのだ。 入院も手術もする必要はなく、実母を自宅に連れ帰ることになったが、痛みで食欲もなく、当然動けない。床に就かせて、枕もとで話した。 父さん

壊れそうな我が家のはなし(17)

毎年、勤め先の健診を受けている。 検診車も来るのだが、それでは受けず、外部の病院にて健康診断してもらう。というのも、胃カメラをしてもらいたいからだ。もしバリウム飲んで検査してもらったときに何か悪いところが見つかった場合は、結局他の病院で胃カメラを飲むことになる。それならば一度で終わる方がいい。 自分で行きつけの健診先に電話して予約するのだが、会社の掲示板に健診の予約についての告知を見つけてすぐに電話しても早くて夏になる。胃カメラが順番待ちになるため時期が遅くなるのだが、胃カメ

壊れそうな我が家のはなし(16)

ケアマネをしている従妹Yは、実父の妹の一番下の娘だ。 厳格な実父の元に、実父の弟・妹たちはあまり寄ってこず、祖父母の法事の時に「連れてこられる」従妹たちとの交流はなかったので、私自身には彼女と幼いころに遊んだ記憶は全くなく、大人になってからも必要最低限にしか交流しなかった。 それでも、実母は実父の弟・妹たちのことは常に気にしており、ことあるごとに連絡はしていた。 例のクラッシックのコンサートの時、Yが実母に気づいたのも、二人の間にしっかりとした交流があったからで、例えばこれが

壊れそうな我が家のはなし(15)

ダイヤル式の南京錠を破壊し、家を出てしまった実父。 外出するときに着ているポロシャツもズボンもそのまま部屋に残されており、服装は厚手のパジャマ、足元にはサンダルのみだろう。 実母にはとりあえず警察に電話してもらい、私と夫はそれぞれの会社に遅刻、場合によっては欠勤すると連絡。いつもの「行方不明」と同様、私が警察署に向かった。夫と、息子は家の近隣を探しに行くという。 このころは新型コロナウイルスの流行直後で、学校は長期の休み。街も人出が少なく、車で警察署へ向かっている最中も、なん

壊れそうな我が家のはなし(14)

ドアノブにチェーンを付けて以降、アルツハイマー型認知症の実父が夜中に外に出てしまうことはなくなったが、玄関のほうからするガチャガチャいう音で目が覚めることは増えた。 眠りの浅い夫が最初に気づき、私を起こすのがいつものことで、階下に降りると、夫とほぼ同じタイミングで気づいた実母が玄関で、パジャマからポロシャツに着替えた実父相手に、開けろ・開けないで言い争いを始めている。そこで実母の助太刀をする形になるわけだが、その日の実父はとにかく「外に出る」ことに執着していた。 理由を聞

壊れそうな我が家のはなし(13)

実父がアルツハイマーであるとわかっていても、イラっとすることがある。いらついてもしてもしょうがないことだが、感情が追い付かない。 不覚にも、私が怪我をした時の話だ。 出先で足を怪我した。不運なことに連休期間中で病院も連休。救急病院で診てもらって帰宅した。病院で松葉杖を借りたものの、不慣れ故に不安で、四つん這いで移動しているのを実父に見られた。 「おまえ、その足はどうした?」 詳細を話してもしょうがないのは分かっていたので、ざっくりと怪我をした内容を伝えると、かわいそうにと

壊れそうな我が家のはなし(12)

正直、家族の誰もが疲弊していたのは間違いない。 実父は週1度のショートケア通いが週2度になり、3度になり、そのうち午前中のみのショートケアの後、夕方に自分たち家族が帰るまでの6時間ほどを実母ひとりでケアするのは難しくなってきたので、16時近くに送迎されて帰ってくるデイケアに切り替えた。 それでも、帰宅後、夜中でも徘徊する実父の世話はかなりの労力を要した。 帰宅した実父は、冷蔵庫や茶箪笥を開けては、中に入っている食料品を常に口にした。いつでもおなかがすき、いつでものどが渇く

壊れそうな我が家のはなし(11)

認知症の実父のトラブル話をすると、ほぼ「行方不明」の話に終始する。殴る・蹴るなどの暴力沙汰になる認知症もあるらしいので、そこはまだ幸いだったのかもしれない。 この「行方不明」も、タクシーで出掛けるのを防ぐために財布を取り上げると、自転車での徘徊が続き、自転車を処分するに至ったわけだが、この自転車も少々曰くつきだった。 ある時、実父が自転車を購入してきたのだが、それは「クロスバイク」と言われる、ロードレース用の自転車だった。 知人の自転車屋で購入したというが、70代の老人に

壊れそうな我が家のはなし(10)

天気が下り坂になると機嫌が悪くなる実父。 やがて私たち家族は、天気予報を見ては、実父に注意を払う度合いを決めるようになった。 低気圧が近づくと、父はどこかに行きたがる。 それは「墓」なのか「自分の家」なのか。 それはその時によってさまざまだった。 昼間、デイサービスから戻った後、うつらうつらする実父は、夜中になると目が覚めて、家の中をぐるぐると徘徊するのはいつものことだが、それに加えて、天気が悪いとどこかに行きたがる。 その日はうっかりしていた。 連日連夜の実父の徘徊に疲

壊れそうな我が家のはなし(9)

これから天気が悪くなるのを、頭が痛くなったり、古傷が痛んだりでわかる人がいるが、アルツハイマー型認知症の実父の場合、天気が悪くなる前には怪しい行動に出た。 夜中に階下の両親の部屋から何やら大きな声がするので、階段を下りてみると、ポロシャツに着替えて今から外出するような姿の実父と、パジャマ姿の実母が言い争っていた。 実父は今から家に帰るのだと言い、実母は「ここがお父さんの建てた家」だと言い続けている。住んでいる家を建てて20年を超えるのに、そして、住宅ローンも父母で一生懸命繰

壊れそうな我が家のはなし(8)

季節感がなくなる話は以前、4回目の記事に書いたが、ある年の元旦の話。 家の中で父に会った息子が「じいちゃん、あけましておめでとう」とあいさつをしたところキョトンとされたらしい。実父が認知症のせいで、年が改まったことを分かっていないことに気づいた息子は丁寧に、今日は1月1日だと説明したそうだが、すると、自室に戻った実父は息子を呼び、裸銭で悪いが、と前置きして、1万円札をお年玉として握らせたそうだ。 だがその翌日、新聞が休刊日で、私が元旦に届いた分厚い新聞を片付けるのを見た実

壊れそうな我が家のはなし(7)

認知症のことを「多幸症」ともいうらしい。 それにしても、よく言ったもんだ。 つらいことは忘れてしまい、常に楽しそうだ。 父を見ると、つらい現実を記憶の中に沈殿させ、楽しいころの記憶が上澄みとなって残っているのがよくわかる。 父が少し「おかしく」なっていることに、家族が気づくよりも前の話。 両親には地元のクラッシック楽団で演奏する知り合いがいて、地元のコンサートホールでの公演チケットを手にしては、足を運ぶことがあった。行き始めたのは父がまだ現役のころだったので、特段の問題も

壊れそうな我が家のはなし(6)

実父の両親=父方の祖父母に、私は会ったことがない。 正確には、実父の父(=祖父)は私が生まれたころにはまだ存命だったらしいが、私が物心つく前に亡くなっているので、記憶にはない。 実父には異父兄・姉がいる他は、妹がふたり、弟が3人いる。異父兄は早々に家を離れたようで、実父は長男として貧しい家を支えていたようだ。妹・弟にとってとても厳しい兄であった実父は、疎ましく感じられることも多かったようで、同じ市内に住んでいながら、私が幼いころには、父のきょうだいたちが寄り付くことはほぼなく

壊れそうな我が家のはなし(5)

私と夫、息子の3人で出かけていた、初秋の夕方のこと。南方の海には台風がいて、若干風が強いけれども、心地よい時間だった。 ふとした瞬間にスマホに何件かの着信があっていることに気づいて、履歴を開いたら、それはすべて短時間に、実母から発信されたものだった。何ごとかと思い、電話をしてみたら、実母が疲れ果てた声でこう言った。 「お父さんが帰ってこないの」 聞けば、実母がウトウトしていた15時ごろ、どうやら自転車で外出したようで、かれこれ3時間ほど戻らないという。 実父は、アルツハイマ