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壊れそうな我が家のはなし(8)

季節感がなくなる話は以前、4回目の記事に書いたが、ある年の元旦の話。

家の中で父に会った息子が「じいちゃん、あけましておめでとう」とあいさつをしたところキョトンとされたらしい。実父が認知症のせいで、年が改まったことを分かっていないことに気づいた息子は丁寧に、今日は1月1日だと説明したそうだが、すると、自室に戻った実父は息子を呼び、裸銭で悪いが、と前置きして、1万円札をお年玉として握らせたそうだ。

だがその翌日、新聞が休刊日で、私が元旦に届いた分厚い新聞を片付けるのを見た実父は再び孫である私の息子を呼び、裸銭で悪いといいながら、再びお年玉をくれたらしい。

「どうしたらいい?」と息子が困って言ってきて、今回のことがわかったのだが、すぐさま実母と相談して、とりあえず2回分のお年玉は息子に受け取らせ、3回目があったら実母に返すことになった。

その3回目が翌日起こった。
きっかけは、届いたばかりの年賀状の束だった。
3日連続で呼び止められ、お金を握らされた息子にしてみれば、予期していたこととはいえ、かなり戸惑ったようで、実母に返金しながら「いつまでつづくんかな」とぼやいていた。

このお年玉騒動に関しては、翌日ぴたりとやみ、どうしたのかと思っていたら、後日、実母が財布の置き場をかえたことを聞いた。
そうこうしているうちに、年賀状も届かなくなり、正月番組も放送されなくなってきたので、「正月」を想起させることがなくなったからか、実父の正月は終了した。

とはいえ、元の場所に財布を戻すと、今度はいろいろと買い物をしてくるようになった。
実母にしてみると、家長を、一円も持たない状態にしてしまうのは何だか申し訳ない気がして、とのことだったが、実際は金銭感覚を持ち合わせていないので、色々なことが起こった。

調理師の記憶から、近所のスーパーであれこれ食材を買ってくるのはまだいいとして(ただし、実父本人が買ってきたものを使用して、おいしく食べられるものを作るとは限らないのだが)、気が付くとどこかに独り歩きし、出かけた先で財布やお金を失くしてしまっていることもあった。

ある日、実父はふらりとでかけてしまったのだが、疲れてウトウトしていた実母は気づかなかった。しばらくしていないことに気づき、家の周囲を探し、一旦家に帰ったら警察から電話が入った。街なかの繁華街の交番で保護されていた。

実父本人曰く「○○がしとる店に行こうと思ったけど、場所がわからんかった」。
知人の経営している店に行こうとして、タクシーで行ったものの、場所が分からなかったらしい。仕方がないのでタクシーで帰ろうとしたら、今度は家の場所を説明できずに、交番に直行されてしまったらしい。持っていた財布に実母が入れていた連絡先のメモを見て、警察の方は連絡をくれていた。

財布を持っていたから中のメモが役立ち、助かったといえばそうだが、そもそものお金を持っていなかったら、遠くまで行っていなかったかもしれない。実父のことを思っての実母の行為なのだが、少額でもお金を持たせるのは間違いだったと思う。
実際、この後、何度も繁華街に出かけては交番のお世話になることがあった。

以前は、スポーツ新聞を買ってきては競輪の予想をして、少しの車券を買っては楽しむようなこともあった実父。
そういえば、いつからか、スポーツ新聞を買うこともなくなっていたし、当然予想をすることもなくなっていた、と、それに気づいたのはずいぶん後だった。

もっと早くに気づいていれば、更に「病院、行きたがらないからねぇ」と実父を恐れて、この状況を放置しなければ。
家族の無関心も、認知症を酷くしたのかもしれない。

(続く)

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