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壊れそうな我が家のはなし(13)

実父がアルツハイマーであるとわかっていても、イラっとすることがある。いらついてもしてもしょうがないことだが、感情が追い付かない。

不覚にも、私が怪我をした時の話だ。

出先で足を怪我した。不運なことに連休期間中で病院も連休。救急病院で診てもらって帰宅した。病院で松葉杖を借りたものの、不慣れ故に不安で、四つん這いで移動しているのを実父に見られた。
「おまえ、その足はどうした?」
詳細を話してもしょうがないのは分かっていたので、ざっくりと怪我をした内容を伝えると、かわいそうにとおいおい泣かれた。

連休だったので、翌日も同様に家の中を移動していると、同じやり取りが行われ、また泣かれた。この繰り返しっぷりは、長男のお年玉の時と同じだ。
ただ、前回は財布を隠すなどして対応ができたが、今回は隠しようがなく対応したくてもできない。
連休明け、手術ができる病院に行き、入院日程が決まるまでこのやり取りは繰り返され、毎度のことにウンザリした。

しかし、このやり取り中に気が付いたのは、実父にとってその時の私は、どうやら実年齢よりかなり下の「娘」らしい、ということだった。とはいえ、実際は矛盾している。夫は夫できちんと認識しているし、息子のこともきちんとわかっている。しかし、私のことは、息子誕生前よりもはるか前、結婚するよりも前の、若い時分の娘だったようだ。幼い娘が怪我をして、四つん這いになって家を移動するさまは、悲しくてしょうがなかったのだろうと思う。
入院後に冷静になって考えてみて、そのことに気づき、頭を抱えた。

入院は10日間ほどだったが、実父には見舞いに来させなかった。
病院の中で迷うのも困るし、何をしに来たのかわからなくなるのももっと困る。病室でかわいそうと泣かれるのも、4人部屋なのでこれもまた困る。
新型コロナウイルスが流行する前のことだったので、見舞客の往来は自由だったが、家族には、安全な時間を見計らって、入院生活に必要な品を持ってきてもらっていた。

退院後の自宅療養は2週間ほど。手術は済んだとはいえ、退院直後は自由に歩くことはままならなかったため、やはり四つん這い生活をしていたが、二足歩行ができるようになるまでは、なるだけ実父とは会わないように生活をしていた。

この私の受傷~療養生活の期間は、気候の穏やかな時期のことだったためか、実父の奇行は比較的少なく、また、最初の行方不明よりも前のことだったので、泣かれること以外で、実父について特に大変なことはなかった。
(そもそも、この数か月後に行方不明になることがあるとは思ってもいなかった。)
しかし、家族の誰かが病気や怪我などをすると、実父に対するケアの体制が整わない可能性があると、このころ意識し始めた。

(続く)

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