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壊れそうな我が家のはなし(12)
正直、家族の誰もが疲弊していたのは間違いない。
実父は週1度のショートケア通いが週2度になり、3度になり、そのうち午前中のみのショートケアの後、夕方に自分たち家族が帰るまでの6時間ほどを実母ひとりでケアするのは難しくなってきたので、16時近くに送迎されて帰ってくるデイケアに切り替えた。
それでも、帰宅後、夜中でも徘徊する実父の世話はかなりの労力を要した。
帰宅した実父は、冷蔵庫や茶箪笥を開けては、中に入っている食料品を常に口にした。いつでもおなかがすき、いつでものどが渇く。排泄の回数も増え、トイレまで間に合わないことも多くなり、大人用紙おむつに切り替えることにしたが、これも最初はかなり抵抗された。
ズボンを汚すと実母がいら立つからか、ひとりで洗面台で洗い、濡れたままで履いていたこともあった(その場合、紙おむつを履いていないことも多かったので、後々かなりの大惨事が発生する)。
元々脊椎管狭窄症を患っている実母と、仕事をしている私と夫、学生の長男の暮らす家で、実父をはじめとした全員がおだやかに生活することが徐々に難しくなってきた。
「どこか、施設に預けたほうがいいんじゃなかろうか。」
私は何度となく実母に伝えたが、実母は首を縦に振らなかった。妻の矜持だろうか。しかし、自分の思いを貫くのも難しい現状だ。
実母を説得する私にも、実父を施設に入れることについて「棄てる」感じがしないわけではない。毎回話は平行線をたどり、時間が過ぎて終了。
それでも、明らかに限界が近いと感じていた。
以前の記事で両親がクラッシックのコンサートに行くことを書いたが、そこでばったり出会った従妹Y(実父の亡き妹Mの次女)はケアマネをしており、彼女にも何度か相談に乗ってもらったが、実父の年齢がまだ施設(のちに「グループホーム」というと知る)に入るには若い部類に入ること、更に、「キーパーソン」である実母に、施設に入所させるつもりがあまりないことから、そのたびに見送られた。
ある日の明け方。とは言っても、まだ夜明けが遅い時期、周囲は真っ暗な初春のこと。
枕元に置いていたスマホが鳴った。
電話番号の末尾が「0110」。警察だ。
飛び起きると、地元の警察署からの電話で、「お父さんを保護しています」。何が起こったのかわからない。実父は階下の自室、外に出れば実母が気づくはず。昨夜は特段、騒ぎになっていなかったはずと思いながら電話に相槌をうつ。
数百メートル離れた場所に、パジャマ姿の父が立っていたという。
犬を散歩させていたご婦人と、新聞配達の男性が警察に通報して保護されたそうだ。家の場所が分からないという父だったが、自分の名前は言えたようで、そこから2度警察に行方不明を届けた私のスマホに連絡が来た。
警察とのやり取りが終わった後、階下の実母のもとへ。
実母は、疲れ果てて眠っており、実父の「逃亡」には気づいていなかった。
警察から連絡があったというと、大変驚いていた。
玄関と居間の電灯をつけ、家の中がひんやりとしていたので暖房のスイッチを入れる。やがて、パトカーに乗せられた実父が帰宅した。目はらんらんとして、頬が若干赤く、少々上気しているようにも見える。さながら、大冒険を終えた後の興奮状態のようだった。
実母が、パトカーから降りて陽気な実父に呆れた声を出しながら部屋に招き入れ、私は警察官と家を出た経緯などについての確認(と言っても、全員眠っていたので確認すべきものは特にない)をされたが、その時に警察官がドアを見て、簡単に開けられないような何かをしたほうがいいかも、例えばチェーンを付けるとか、内側からカギがないと開かないものにするとか、とアドバイスをくれた。
我が家のドアはレバーの上下にサムターンが2つついているが、その二つとも、簡単に回せる。また、ドアチェーン(ドアガード?)を兼ねた作りになっているので、別途ドアチェーンはついていない。
後日、ドア枠に金具を付け、ドアレバーをぐるりと縛るようなチェーンを購入。すぐには出られないようにした。が、それはそれで、実父を怒らせることもあった。夜中にでかけようとチェーン付きのドアをガチャガチャと力任せに開けようとした。そして、開かないと、顔を真っ赤にして怒る。それでも止めると、こぶしをぐっと握り固めることはあったが、殴られはしなかった。
(続く)
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