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壊れそうな我が家のはなし(6)

実父の両親=父方の祖父母に、私は会ったことがない。
正確には、実父の父(=祖父)は私が生まれたころにはまだ存命だったらしいが、私が物心つく前に亡くなっているので、記憶にはない。
実父には異父兄・姉がいる他は、妹がふたり、弟が3人いる。異父兄は早々に家を離れたようで、実父は長男として貧しい家を支えていたようだ。妹・弟にとってとても厳しい兄であった実父は、疎ましく感じられることも多かったようで、同じ市内に住んでいながら、私が幼いころには、父のきょうだいたちが寄り付くことはほぼなく、私にとっての「いとこ」は、県外に住む母方のほうだけだった。

まだ実父がアルツハイマーを発症するより前の話から書くことにする。

私が20代半ばのころ、父の妹の一人・Mが亡くなったとの連絡を受けた。体が悪かったらしいが、一男二女をもうけた後、離婚してこの町を離れ、同じ県内のかなり離れたところに居を移し、籍を入れてはなかったが、一緒に暮らしている人がいた。通夜の会場に行くと、父の他のきょうだいと、亡くなった叔母Mの子が親しげに話していた。厳格過ぎたことから他のきょうだいから避けられていたらしい実父(と、その娘の私)に対する態度とは明らかに違う様子に、正直、父を恨めしく思った。私のそういう気持ちには当然まったく気づくこともなく、その輪の中に父は無理やり入っていき、きょうだいたちが一気に緊張するのがわかった。そういう場に於いても、「長兄だぞ」という態度で威厳を保とうとする父の言動に、恥ずかしさでいっぱいだった。

翌日の葬儀の席で、きょうだいが欠けたことをきっかけに、年に一度ぐらいはみんなで集まろうという話になった。しかし私は通夜当日のことがいつまでも尾を引いていたことと、当時、土日に仕事をしていたこともあり、親戚が集まる日には家を空けていた。やがて、私自身は結婚し、一旦家を出たのだが、2年後に夫の仕事の都合で地元に戻り、両親と同居を始めた後も、当日は用事を作っては夫と出かけていた。

数年後の夕方。その日は夫の誕生日で、私と夫は飲みに出ていた。すると母から電話が入り、今から出かけるので、家のことをよろしくと言う。なぜかと聞いても答えないので、食事ののちに帰宅すると、少しして両親も帰ってきた。改めて聞くと、下から二番目の叔父・Hが倒れたとのことで、ふたりは入院先の病院からの帰りだった。私との電話で細かく説明しなかったのは、せっかくの夫の誕生日に水をさすのをいやがった母の気遣いだった。

一番下の叔父・Tと、その上の叔父・Hはともに独身で、同じアパートに同居していたが、夕食の時に先に食べ物に箸をつけたTが舌に違和感を感じ、これは腐っているようだから食べるなと弟のHに言った直後に倒れたという。運ばれた先の病院で、叔父Hは、脳幹出血で手の施しようがないという診断を受けた。舌の違和感は、脳幹出血による痺れだったのではということだ。叔父Hは数日後に意識を取り戻すこともなく亡くなった。

不幸ごとは更に続く。翌年の叔父Hの一周忌の法事の日の午後のこと。家を空けていた私は、母から電話で、キャットフードを買ってくるように頼まれた。夕方、遅くなるかもというのだ。家には父のきょうだいたちと、数年前に亡くなった叔母Mの娘家族がぞろりと集まっていたはずだ。理由を聞くと、一番末の叔父Tが法事に来なかったという。叔父Hと一番仲の良かったTが来ないのはおかしいという話になり、今から市外の叔父T(と叔父H)の家に行ってみるという。鍵のかかった家の窓から中に入ると、そこには死後どのくらい経過したかわからない状態の叔父Tが横たわっていたという。事件性はなかったものの、父は短期間に若いきょうだいを3人も亡くしてしまった。残ったきょうだいは、関西に住む異父姉K、同一市内に住むすぐ下の叔母N、関東に住む叔父S。老いていく中で、きょうだいが欠けていくことは当然あることだが、父が中学を出て働き、やがて故郷を離れ調理師になったのは、そのころ幼かったきょうだいを育てるためで、長兄としてはあたりまえと思っていたわけだから(だからこその「厳格な兄」だったのだから)、ショックではあったと思う。定年後、父がアルツハイマーになるとは家族のだれもが思っていなかったころ、父はよく酒を口にしては、若くして逝ったきょうだいのことを悲しんでいた。

しかし、アルツハイマーになってから後、実父の亡ききょうだいたちは、実父の中でまだ生き続けていたらしく、たびたび姿を現す。きょうだいの誰が間もなく来るとか、さっきまで来ていて話したとか、彼岸のかなたに行ってしまったはずなのに、彼らはまだ生きているかのように父の眼前に、そして会話に出てくるのだ。きょうだいだけではなく、娘の私が会ったことのない、父の両親までも、父に連絡をよこすこともある。そして「お金を届けなきゃいかん(=お金を届けなければならない)」「いい魚が入るからさばいて持っていかないかん(=いい魚が入手できることになったから料理して持っていかなければいけない)」と言い出す。母はそのたびに、その人たちは死んだのだとわからせようとして、何度も仏壇の前に父を連れ出し、位牌を見せる。すると、現実を突きつけられた実父がおいおいと泣き出す…。

現実を伝えることが、アルツハイマーの人にとっては正しいことなのかはわからない。「そうだね」とか適当に相槌をうって、父に合わせておいて、少し間を空けて、父が忘れるのを待ったほうがいいのではと母には何度も言った。しかし、日中、仕事に行っている私や夫とは違い、父と顔を突き合わせ続けている母には、気持ちの余裕がまったくなかったのだ。

(続く)

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