【史】条丁目ではなかった頃の札幌/地図も読み物だから(7)
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この記事は、Podcast「にゃおのリテラシーを考えるラジオ」の2022年12月3日配信の書き起こしです。
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にゃおのリテラシーを考えるラジオ
読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書と IT 時代の読み書き、そろばんを中心に様々な話をしています。
今回のタイトルは、
条丁目ではなかった頃の札幌/地図も読み物だから(7)
です。
札幌の古い地図を見ながら話しています。
今読んでいるのはさっぽろ文庫の別冊、札幌歴史地図明治編です。
前回は
前回は、札幌の郊外の地図から北海道開拓に大きな役割を果たした屯田兵のことを考えました。
今回は、札幌の中心部に戻って、その街並みの変化を読んでいこうと思います。
明治初期の札幌市街図
さっぽろ文庫別冊札幌歴史地図明治編には、
明治11年の「北海道札幌之図」
明治14年の「札幌市街概図」
という地図が乗っています。
この地図を見て今と違うと気付くことになるのが通りの名前です
札幌中心部は、当初から道路を碁盤の目に計画しています。
そして、それらは何条何丁目という感じで区切られているというイメージですよね。
地方の名前の通りと開拓の機運
でもこの条丁目表記は、明治11年の明治天皇の行幸を機に改められたそうで、それまでは通りごとに名前がついていました。
その名前には、北海道内の地域名が使われていました。
例えば現在の大通は後志通り、駅前通りは上川通りという感じ。
しかも、大通りから南とか創成川から東は同じ通りでも名前が変わるんです。
これだと場所を探すのに不便すぎますよね? まだまだ小さな町だったので、こういう名付けでもあまり問題がなかったんでしょうね。
でも将来のことを考えると、広がった地域でいちいち新しい名前を考えるのは大変だし、数字で表記するのが近代的という感覚もあって、今の何条何丁目という表記になったのだと思います。
実際、その方が場所を探すにはとても便利ですからね。
でもまあ、無味乾燥な数字ではなくて、何かの由緒がありそうな名前がついているというのもいいような感じがします。
今でも、メジャーな通りには象徴的な名前がついていますよね。
道庁の赤レンガ正面から東に伸びる通りは、札幌通りと名付けられていました。今はそんな呼び方は残っていませんが、ここが中心という感じで、札幌通りという通称を復活させるのも案外いいかもしれないなと思いました。
道路は、遠い地域を結ぶものというごくシンプルなイメージがあって通りに遠くの地域の名前をつけたのかな?なんて想像していくと、北海道開拓に対する人々の気合の入り方がちょっと感じられるような気がします。
次回は、札幌に鉄道が引かれたあたりの話をしようと思います。
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今日もワクワクする日でありますように。
千葉直樹でした。
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