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【史】札幌の西の地域の開拓/地図も読み物だから(6)

聴いてみよう

この記事は、Podcast「にゃおのリテラシーを考えるラジオ」の2022年11月26日配信の書き起こしです。

読んでみよう

にゃおのリテラシーを考えるラジオ

読書と編集の千葉直樹です。

このチャンネルでは、読書と IT 時代の読み書き、そろばんを中心に様々な話をしています。

今回のタイトルは、

札幌の西の地域の開拓/地図も読み物だから(6)

です。

札幌の古い地図を見ながら話しています。

今読んでいるのはさっぽろ文庫の別冊、札幌歴史地図明治編です。

前回は

前回は、札幌中心部の東側にある豊平川のさらに東側の地域の開拓にかかわる地図を読んでみました。

札幌の西側の地域の地図

今回は、今回は、 中心部の西側の地域の地図を読んでみようと思います。

さっぽろ文庫別冊の札幌歴史地図<明治編>には、琴似・手稲地域の古地図が掲載されています

現在の札幌では、西区・手稲区に相当する地域です。

いくつか掲載されている地図には、ひとつの特徴があります。

地図の名前を列挙してみましょう。

  • 「屯田兵司令部 琴似・発寒・手稲・篠路・花畔等 用地の図」

  • 「琴似屯田兵村図」

  • 「新琴似今昔図」

  • 「篠路屯田兵村配置図」

  • 「上手稲村旧白石藩士族入植土地割図」

気づいたと思いますが、屯田兵という名称が出てきますよね。

それと、これまで紹介した地図にも現れましたが、○○藩士族という言葉もあります。

これらの言葉が表すものは何でしょう?

北海道開拓のニーズ

北海道には、割と早くから開けた地域と、計画的に開拓を進めた地域があります。

南西部は、江戸時代から商業を中心に開けていました。

江戸時代の航路は日本海側で発達していました。

幹線と言っていいのが北前船です。

大阪から瀬戸内海を通って北九州を通り、 そこから日本海の各地の港に寄りながら北海道の西東に向かい、遠くは択捉島までの航路が作られていました。

札幌の近くで拠点となる港町は小樽です。ここから北海道の奥地に向かい、 北海道全体の開拓を行うための中心地として定められたのが札幌です。

ということは、 小樽と比べて札幌は後から開発されたことになります。

そして、開拓の当初は、明治維新で職を失った武士階級が新天地を求めて開拓に入りました。

その状況が仙台白石藩や福岡県の士族の土地割り図として残されているわけです。

元武士と屯田兵

その後、国策として北海道の開拓に力を入れることになったわけですが、これには2つの側面がありました。

ひとつは文字通りの開拓です。

もう一つは国土の防衛という側面でした。

江戸時代まで、日本の北東に関心を持つ人は多くありませんでした。

寒い不毛の地というイメージが強かったのだと思います。

しかし、江戸時代の末期には北から当時は謎であった外国人とたびたび接触するようになりました。

それは、ロシア人でした。

江戸時代の幕府は、案外西洋の情報を入手して分析していました。

その様々な情報から、日本の北辺の警備を固めないとまずいという考え方が出てきます。

そこで一部の藩に北海道や樺太・北方領土の調査と警備を命じています。

西洋の列強の動きが決定的になったのを理解したことをきっかけに、明治政府が成立しました。

明治政府は早速北の守りを固めることを決定したわけです。

そこで、開拓を行いながら北辺の防衛を行う屯田兵を入植させることにしたのでしょう。

その原型は元武士の入植で、当初は藩が行っていたものを正式に国の政策として実施することにしたもののようです。

明治維新後には士族は一般の市民となったこともあり、屯田兵は広く一般市民から募集するようになりました。

開拓しながら兵士として戦う訓練も受けていたわけです。

屯田兵村の特徴

そういう背景を理解して地図を見てみると、屯田兵村の特徴が読み取れます。

きっちり区画された入植地の中に拠点となる役所のようなものがありますが、そこには司令部という名前がついていたり、 その側に練兵場があったりします。

今回、話している地域ばかりではなく、北海道各地の屯田兵村はほぼこのような形になっています。

今でも開拓地の名残りがある町並みがあります。

歴史の長い小学校の側には公園があり神社があります。役所の出先や消防、警察関係施設もよくあります。

これらの街並みから、当時の人々がどんな思いで開拓に従事していたのか、想像することができるんですね。

この頃の札幌西部の風景

ちょっと長くなりましたが、明治の終わりの頃の札幌の西の地域の風景について描いた文章で、僕の印象に深いものを紹介します。

空は低く曇つてゐた。目を遮ぎる物もない曠野の処々には人家の屋根が見える。名も知らぬ灌木(くわんぼく)の叢生した箇処ところがある。沼地がある――其処には蘆荻の風に騒ぐ状(さま)が見られた。不図、二町とは離れぬ小溝の縁の畔路(あぜみち)を、赤毛の犬を伴つれた男が行く。犬が不意に駆け出した。男は膝まづいた。その前に白い煙がパツと立つた――猟夫だ。蘆荻の中から鴫らしい鳥が二羽、横さまに飛んで行くのが見えた。其向ふには、灌木の林の前に茫然ぼんやりと立つて、汽車を眺めてゐる農夫があつた。

「札幌」/石川啄木 青空文庫より

これは石川啄木の「札幌」という文章からの抜粋です。当時の景色が頭に浮かんできませんか?

石川啄木は独特のスタイルの短歌で有名ですが、こんな感じの文章も色々残しています。

当時の北海道の様子が想像できるものがいくつかありますので、ぜひ青空文庫で読んでみてください。

次回は、再び札幌中心部の発展の地図を呼んでいきたいと思います。

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おわりに

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今日もワクワクする日でありますように。

千葉直樹でした。

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