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[5/16更新]映画「トラペジウム」鑑賞。描写された違和感を原作から読み解いていく。【ネタバレ有り感想記事】

映画「トラペジウム」感想

自分は去年からポールプリンセス!!という映画や、映画プリキュアオールスターズF、ガルパン最終章4話などをきっかけに、やたら映画館との距離が近くなった人間。後述する作品群などを通っていて、アイドルアニメやガールズバンドアニメを好きになりがちの人間です。
『トラペジウム』の映画化も、昨年の映画館の予告で知ったところだった。映画館で流れる予告はほんとに大事。

自分は乃木坂46のことも高山一実さんのこともほんとに知らなくて、でも、「乃木坂46の人がアイドルの小説を書いて、それがベストセラー」ということだけは知ってて、その“格“を担保に期待してた。
結果ほんとうに良いものに出逢えたのですごく良かった。

この記事では、映画がどんな人に刺さるかを中心に伝えたい。
後半はネタバレになるが、原作小説との大きな違いを述べたい。

[5/16]2回目鑑賞、100億点

原作やノベライズ版、サントラの視聴などを踏まえ、2度目の鑑賞。

ゆう、15歳でこの行動力はやっぱすごいよ
そもそもその前に行動も失敗もして、
原作も冒頭から「馬鹿で勝算のないプロジェクト」って言ってたのに、成る、だけならほんとに叶った。
行き当たりばったりながらほんとにアイドルになった、計画の方針は正しかったんだよな

特に印象的だったのは、冒頭「原作高山一実」の画面から聞こえてる「脈動」が、鮮やかなライブの映像と共に同じリズムで電車の振動に変わってた。同じ演出が中盤のライブの前、電車の音がだんだん「脈動」に変わって、目を開けると舞台裏、頸動脈を抑えてた。

ありがとうクソみたいな感想

映画は前日の予告からして、どうやら思ってたよりギスギスな話が描かれそうな模様だった。お、これは少し期待の方向が変わるかもな、と思ってたところ、ものすごくムカつく感想(他者の人格批判)が流れてきた。

まぁ、そういう感想を呟くとこ自体は否定しない、そう受け取る人はいる、そう呟く人もいる、そして鑑賞した結果なのなら、それを言う権利がある。それも初日に観るほどの熱量。
自分が期待した作品じゃなかったから文句を言う、これは全然良いし、自分の感情に対して健全ですらある。
だが、賛同を得たいがために、ただでさえ言葉足らずな場所で、原作者の属性をあえて叩きに文字数を使うその解像度!!!
受け取り方に正解は無い。

それでも、ダサい!!!

映画は自分が思ってたとおりの結末で感動して泣くだけが「正解」じゃなくて、そうじゃなかった時になんで自分にハマらなかったのか、その意味を自分の中と、外の作品とに理由を求めて、自分の「好き」の輪郭を探すことでわ自我を固めつつ、拡げていくもの。
それが映画鑑賞なんじゃないか。

自分はこの人の解像度の低すぎる感想にちゃんと反抗したくて鑑賞の熱が入ったので、土曜の朝のうちに観ることを決意し、物語的に必要な悪役を引き受けてくれてありがとうの気持ちでブロックした。もはや逆ステマなのでは。
反応を観ると、作品の正しい評価としては認められてない様子で、ほっとした。

鑑賞後

すごい、すごいものをみた。

映画を観たあとは、気づいたら息が詰まりそうになってて、言葉がすごい勢いで溢れてきてどんどん流れてっちゃうのに、それを留めなきゃいけないのに、すごい勢いで流れていった。
1回で摂取するには随分濃いめの情報量だった。
それは枠内の描写もそうなんだけど、
勝手に自分の中の引き出しを開け散らかしてたから、
デスクトップのフォルダを並列に開きっぱにしてめちゃくちゃになった状態で昼休み入った感じ。

わかりやすい言語外の情報の描写がほんとに分かりやすくて、これ多分原作の描写やモノローグをはっきり描いてるんだ、どこまで原作でどこまで映画脚色だ…!?
ってワーキングメモリーをフル回転させてた。

ポカンとしたまま本屋にフラフラ寄って、原作を手に取った。
そのまま感想をなんとか吐き出してみる。

ちゃっかり佐々木李子さん掲載雑誌を買った。朦朧とした頭で買った謎のサブカルミステリー本もある。なんだこれ……。

前提からそもそも違った

当初は、ひょんなことから集まった4人が、「アイドルを目指そうよ!」みたいにいろいろ乗り越えて、デビューして、喧嘩して、アイドルとして成功したり失敗したりを乗り越えた10年をダイジェストで描くみたいな話かと思ってた。

蓋を開けてみると、10年どころか、ほんの短い期間の仲間集めを通して描かれる、アイドルに一度は届いた、東ゆうのアイドルへのこだわりの物語だった。

どこまで前提情報を仕入れて観るかでかなり印象は変わると思う。別に伏せてるわけでもなく、ベストセラーなんだからネタバレというか原作勢が多い中で、
より多くの未読層(だけど原作の存在と映画初日観る期待感を持つ人)に届けるに至っては、後半の生々しさをどの段階で“前提“として開示するか、はあるよね。
公開されてからのこの予告で、「お?」って思わせてくれた。原作未読で初日に観るような人はびっくりした人ろうな。


確かにあらすじに書くには、東ゆうが自分でも自覚できていなかった“妄信“は本編の全容すぎるけど、
あらすじから予想するには思ってた話と違うな…?になりうる作品だった。
この導入とか展開の普段と少し違うバランス感覚が、商業コンテンツでなく、アイドルの当人が業界の中心にいながら、俯瞰して書いた物語…という意味で評価されてるんだと思う。

そもそも、「トラペジウム」という作品が、「東西南北の美少女を仲間にしてアイドルを結成する」というあらすじで紹介されてるけど、物語内でそれが紹介されたのは三章で、カフェでシンジくんに自分の夢を語るとこなのだけど、それはあくまで知ってる前提で映画を観てたけど、意外とその話が出てこないどころか、ほかの3人には伝えない。
あくまでトントン拍子にアイドルになってしまう「巻き込まれ劇」を画策していて、それが翁琉城でのガイドボランティア活動のテレビ出演から、流れるように深夜番組への4人での出演、番組内でのアイドルデビュー、と、東が何もしないでもどんどん話が進んでいくのは、驚くべき「承」だけど、TikTokで突然の大バズりだったり、劇中でもあるような「写真1枚で〜」は当時の橋本環奈さんの登場のことだと思うし、ほんとに今の時代事実の方が小説よりも奇なりってことなのかと。

また、実はアイドルものに見えて、アイドルの描写はほんの結末の手前の「転」に過ぎなくて。
尺や描写的には実は別にそんなにアイドルしてない、本題は女子高生が非日常に巻きこまれてく青春群像劇で…
その後の「結」はとてもキレイな作品でした。

こんな人におすすめ&オタクの勝手な作品こじつけ

自分が通ってきたような骨太アイドルアニメや、女児アイドルアニメを通ってきた人にはぜひ刺さって欲しい。

あるところはかなりWake Up, Girlsだった。
「アイドルはみんなを笑顔にする」に対する「周りのみんなは楽しくない」といえば、WUGを通れば思い出さざるを得ない。

そしてまた、あるところはプリティーリズム・オーロラドリームだった。
「You May Dream」をあれだけ何度も繰り返し描写されたら否が応でも目に入る。劇中歌が「なりたい自分」だし……。
プリティーシリーズでも、競技的なプリズムショーとアイドルとを異なるものとして描いて、芸能界をしっかり描いてたので、重なる領域も多かった。

最後の描写は近年のプリキュア最終回なソレだった。(HUGプリとか)

主人公には勝手にCRYCHICを、祥子と長崎そよを重ねてしまった。
ひとりよがりで、自分のことばっかりで、
おためごかしですわね。

思えば主人公の計画はひとりよがりで自分勝手だったけど、その行動力から、唯一無二の経験を共有できた仲間ができたっていう、すごい財産を得てるんだよな……。

というかバンドの仲間集めに置き換えたらほんとそのままバンドの話になるな???
まるでもうひとつのCRYCRYCHICの結成の物語のようでもあり、そしてMyGOの未来のひとつの在り方、を見てるようだったかもしれない。

なんなら、アニメWUGちゃんの最後が描写されるとしたら、あんな最後がいい、そう思った。というか全部そう、全部あんな風に終わって欲しい、

「一生バンドやる」って、そばにいてくれるだけなら、バンドやってなくてもできる絆もあるんだよなって、燈ちゃんにこの映画観てほしくなった。羊宮さんがいるとそんな期待もしてしまえる。(僕ヤバコラボもあったしね)

さらに、アイドル描写で言えば、ガルパでパスパレ1章を読んでたのかなり正解だった。
アイドルになりたい人がアイドルを集めて、たくさんの人の力でどんどんアイドルにさせられていく様とか、「枠」はかなり近いかった。

中身とかは違うけど、枠組みはかなりそう
むしろその中身はWUGとCRYCHICのごちゃ混ぜ…。

みんな好きでしょ?おすすめです。

[5/16]劇中ライブシーンはまぁ最高

これから見る人に期待を削ぐようなこと言いたくないけど、
ライブシーンに関しては正直、自分の目が肥えてしまっていることが否めなかった。というのも、顔のアップはすごく動きのある作画で描いてるんだけど、合間合間の引きのフォーメーションをCGで動かすところは、
「え!?!?10年前?!?WUGの頃に時代が戻ったみたいだ……」って少しがっかりした。けれどまぁ、そこは映画の見所でもありつつ、実際はそんなに重要ではないので、とりあえずカタチになればいいのかなって。
むしろ、素人の高校生を集めた深夜番組での初ライブ、なのだから、そんなに完璧なカタルシスが得られなくて当然なのかもしれない。それは作り手が意図してることでは無いと思うけれど。

ライブシーン、2回目でめちゃくちゃ泣いたし、すごい良かった。そりゃちょっと引いた時のお人形そのものこ表情は否めないけど、その繋ぎが作画と違和感なく組見合わさってた。とてもいい。よかった……。

原作・パンフレットを読んで

原作、すごいよ、痒いところに手が届く。
大筋は同じだけど、全然違う、ト書や会話がかなり変わってて、これかなり原作と映画が補完しあってる、こういうの大好き、ここまでが映画鑑賞とセット。
小説での内面描写はかなりカットされているものの、映画で補完されている描写も少なくない。
ただ、セリフがなくとも描写できる情報も多くて、かなり見応えがあった。

原作で答えがあるものと、そうでないものがあったり、
あ、そこの違和感は原作から構成変えたからひっかかったのか!ってとこがあったり、
原作でこうなってるけど映画ではこうしたから分かりやすいね!ってとことか………。
それくらい目まぐるしくてギュッと詰まってて、
原作にない行間を描きつつ、原作での描写もうまく再構成してた(パッと見ても細部がかなり違う)。

まず映画冒頭でお嬢様学校の校門を蹴りつけるなかなかな描写のとこ、原作では中指立ててたの最高だった。
そもそもいろいろ違うので、ニュアンスをそのままに上手く再構成してる。

冒頭のテニスのシーン、鑑賞中、えここ飛ばすんだって思ってひっかかったんだけど、これは原作にもなく、特にその描写もなかった。
でも、ここで華取さんがお蝶夫人への憧れのみでカタチから入るけど、実力は伴わない人、っていう描写するなら、「華取さんに負けるくらいの〜」って後から言わせるより、その描写を描けばいいのでは…って思ってひっかかってたけど、まぁそんなことは枝葉で些細なことだった。そのあとも山登りに際して金に物言わせてガチ装備でカタチから入ってたり、でも高飛車ではない優しさが素敵なバランスだった。

ちんこから傍観者にジョブチェンジできた観測者シンジくん

この物語の(4つの星たちの)良き観測者、傍観者的立ち位置だったシンジくん。
登場こそ高専の陰キャオタクで、ファーストインプレッションは「ち、ちんこがしゃべってる!」だった。
だって学校で他校の制服ガン見して「女子高生の制服が好きなんです」って恥ずかしそうに言うとことか、「よ、よかったら連絡先…」ってQR差し出すとことか、激キモすぎた。原作読んだら、東が一方的に電話番号を伝えて、電話番号によるメッセージのやり取り(SMS)をしてるって設定だった。キモさが全然違うじゃん。

でもその後はなんかすごくいい感じの立ち位置にいてた。この男性だけが彼女の計画を知っている、観客の私たちと同じ目線でいてくれてた。
途中で去勢でもしたんかな…。

あらすじで「彼氏は作らない」って言ってる割に、(映画では触れられてはなかった、かな…?)
やたら男と2人でカフェ行くじゃん、って思ってた違和感はあった。そしてこの男が最初こそ童貞キモキモしてたけど、次第に毒がない傍観者となって観客の自分たちの視点でいてくれたのだけど、
これで手を出す害悪だったり勘違い人間だったら余計話がこじれるとこだった。そこには分岐しなかくてよかった。
てか絶対スクープされたりするもんだと思って構えてたけど、全然そんなこともなかったし結ばれもしなくて、いい感じにもならなくてほっとした。

東ゆうの掘り下げ

なるほど、主人公は「東西南北の美少女を集めてアイドルになる」という野望を抱えつつも、それを話さない、あくまで自然と声がかかることを期待して事を進める。
自分で集めたグループがそのままアイドルデビューするなんて、そんなわけがない、なんでオーディションを受けないのか、その答えが明かされたのは、映画でも、原作でもたった一言、一文だけだった。でも、それだけで、主人公の動機と行動力を察するには充分だった。

…と思ったら!OP映像にちゃんとあった……
違和感の答えが、まさかOPに……あったとは…

それいきなり言われても…
描写しておいてほしかったな…の答えが……


[5/12更新]ボランティア・ガイドの描写


原作と映画で違うところは多くあって、翁琉城でのガイドの成功度合いが違う。原作ではおじいさんがマルチリンガルであることから、アイデンティティを賭けて競ってる描写がやたら長いけど、映画ではガイドの番組紹介には思ったように露出できなくて終わってた、結構大きく違う。


原作だと文化祭のシークエンスも全然ちがくて、それもまた驚きだった。くるみ周りに男がもう1人いて、文化祭のバンドをみる話にもう少しボリュームがあった。

車椅子少女のサチと突然文化祭で合流することになって、計画が崩れて困ってたあとだったけど、
東ゆうは自分がアイドルを目ざしてることをひとつも言ってなくて、サチのこの言葉はほんとに嬉しかったんだろうな。小説ではサチが「同じ星の少女」=アイドルに憧れる同じ子として章立てされてて、東ゆうがアイドルを目ざしていることなんて伝えてなかったのに、それを知ってか、アイドルの眩しさと、衣装を授けたのはこのサチちゃんなんだよね……。10年後も元気かな…。

あ!それでサチが原作の章立てだと「同じ星の女」になるのか……

山登りのボランティアでの描写はどう話が転がるのかとヒヤヒヤした。映画では、ボランティアに参加して好感度アピールポイントを将来に向けて残しておく!って意気込んでいたものの、4人での活動ができないと知り塞ぎ込み…。頂上での休憩時も、東は活動がバラけてしまった(四人揃ってこそやる意味がある)ことに異常な拘りを持ってたけど、それを口にしないから、外から見たら、仲良しの友達とはぐれてこんなことをして辛い、と思うのは当然なわけで。

さらに鑑賞後、原作とパンフを経て、美嘉は過去にいじめられて整形までしていたほどの自己肯定感の低いというキャラを知ったあとだと、こんな奉仕的な活動に呼んでしまい、不機嫌なのは自分のせいだと思うはず…という。それはそう。
沈黙、そして食事を一緒にしないで去ってしまうシーン。女の子が一緒に食事をしない選択をする、という衝撃。

さらにこの後の、味噌汁にアリが入っていたので、こっそりもらった味噌汁を捨てるシーンも、衝撃だった。
そしてそれが見つかって…って、ほんとヒヤヒヤした。

味噌汁のシーン、「水死って辛いよな」という、なんというかまるで自分ももがいて今にも溺れそうになってるから、わかるよその気持ち、みたいなアリを気遣う(?)行動をしていて、
それがそれまでの不機嫌と重なってて、意図してない形ですごい悪い子みたいに映るのが、アイドルとして外から見られることを意識してるのに爪が甘い。

山登りのとこで描かれてるのは、映画でも原作でも、東自身が思うように行かなくて不機嫌になってて、周りも自分と同じように不機嫌だって「思い込んでしまって」いるという、誰にでも、というか自分がいつもやってしまう思考で。
ノベライズ版で確認したら、ゆうは美嘉へのイラつきと、くるみと蘭子の「裏切り者〜(全然冗談)」を聞いて、マジレスだと思って「怒ってるんじゃないか」って早とちりしてて、ゆう視点からは美嘉が気まずくて自分とご飯を食べない選択をしたように捉えられるけど、画面外で2人を見つけてご飯に誘ってきてて。だから自分がツラいと思う時「周りもそう思うに違いない」って思い込む描写が、後の「アイドルみんななりたい」問題に繋がると同時に、
それってよくあるはなしだよなって。

あと細かいけど、原作は山登りするまえに味噌汁もらって冷たくなってて、映画で山頂でもらうのとまた話が違くて、いろいろ面白い。

その歪みは全て、「アイドルってみんな口にしないだけでなりたいって思ってて、みんななれればいいなって思ってるもんだから、自然に集まったかわいい4人がそのままアイドルデビューしたらみんな嬉しい!」というあまりにも強すぎる思い込みから始まってて、しかもその夢を3人に伝えずにずっと仲良くしてて…。
それに気づいていながら段々修復できなくなって、後に壊れるくるみちゃん。

普通の人が意図せずアイドルを目指したらどうなるか

何より違和感があったのは、翁琉城での番組出演をドタキャンしたくるみちゃんの理由もそれを問いつめる描写もなかったこと。それ、そのままにしてよかったの…?という違和感。
原作では、ADの人が来てた段階ではくるみちゃんもいたけど、番組の撮影の時にドタキャンしてた。ドタキャンすごい。それを問いつめられずにいたことにも言及されてた。
パンフレットでも随所に、「アイドルになりたい人からしたら嬉しいし耐えられるけど、そうじゃない人には地獄だろうな」という言葉があって。羊宮さんも自身とくるみちゃんの近いところ、違うところとして、「みんなといる時の自分と人前で出せる自分との違いに泣いた日もある。けれど自分はお芝居がしたくて声優になりたくてそのことだけを考えてたから、それ以外はいらないと思って動いてた」とかつての自分を振り返っていて。やはり人前に立つ人は強いと、そう思った。

美嘉の違和感

東ゆうの計画外から突然出てきたこの人も、映画で語られてないバックボーンが、原作では東ゆうの知らないところで描かれてた。
丁寧にも段落を分けて突然「私」という知らない人の過去が序盤で描かれてるし、何より「くるみ」に会いたいという感情まで存在していた。
ナニソレキイテナイ。いじめられてたことも整形してたことも、ちゃんと親に相談してちゃんとやりたくてやったらしい、それならよかった(?)。顔が違うのは整形してるから、というのは謎でもなんでもなく、むしろキャラの紹介ページにそのまま書いてもいいくらいだ。いじめられてたのでボランティア支援センターにいて、整形をしてるって書いてくれてた方が、「そういうキャラなのね」って飲み込みがはやかった。
最初に本屋で会った時にも、「(地元で有名な)くるみちゃんに憧れている」くるみちゃんに会うために会いに来てて、まさかそこに「かつてのヒーロー」がいてくれたことが奇跡だったと。
美嘉は、東が自分で探してるのとは別のところから来て、かつての自分を肯定してくれるキャラだった

ADとの取材の後のぶちギレも不思議な違和感だったけど、この子はキャラクター紹介以上にかなり重いバッググラウンドがあって、さらにそのせいで自己肯定感が低い。整形をするくらいには。それは今でも続いてて、だからこそあの場でのふとした東の発言が気に障ってしまうと…。

デビュー後に突然出てくる男3年ってやばいけど、
え、てか、まぁ、いいひとなんだろうけど、その突然のさ!テコ入れというかさ!物語的に、そういうヒビの入り方するなら、事前に伏線あった方がよくない?ってビックリしちゃった。

原作ではちゃんと、初登場の本屋で「愛に生きない若者たち」という本を読んでたから、と男の気配の可能性を消した、と描写があった。なるほど……。
2回目の鑑賞で確かめよう。

これもまぁ自分の勝手な勘ぐりをすれば、原作者の高山一実さんが実際にそういったすれ違いを体験しているとも思えるので、ふと違和感があるような描写も、むしろその描写をあり書くことが前提に話が組まれてるのかもな、とも思った。
まぁ今回は週刊誌とかのすっぱ抜きでもないけど、やっぱり「そこまでしなくちゃいけないのはおかしい」んだよね

東ゆうのしくじり物語

後半のデビューからの盛り上がり、原作読んだら、あれ?ってくらいすぐ終わっちゃった。
原作読んだら、劇場版での見せ場の初ライブまで忙しいレッスンとかの準備をしっかりする描写を経て、無事にスタジオでのライブを成功させて、そこが華々しいデビューでもあり、物語のテンションのピークだったっていう。のがなくて、原作で「方位自身」が歌われてたのは口パクの1回きり。映画でそこにオリジナルの1曲目「なりたい自分」が生まれてるのが、原作を読んでびっくりした。

ラジオ番組の投稿があって(サチちゃんから)、CDを買って、3人が公園に集まって方位自身の作詞を完成させて歌う…とか、完全に映画オリジナルの神脚色になってる。


原作ではあくまでアイドルとしての夢は一度は潰えてしまった中、再起への足掛けが少し尻すぼみというか駆け足にも感じるのだけど、映画版のノベライズがついに完成したトラペジウムそのものなので、こっちもおすすめ


なんなら「方位自身」の歌詞、原作小説の最後に載ってたから、同じかと思ったら全然違った。
仲間探ししてた本編の後にほんのちょっと付け加えた最後の種明かしというか、描いてたのはアイドルを目指す貪欲な幼い少女の夢への過程の眩しさとその毒にも牙にもなる行動力だった。

1度目の挑戦というか、いわゆるしくじりというか。
その若々しい挑戦と実行力そのもののドラマだったんだなと。四人集めることがあらすじのようで、実はそれこそがこの物語の本編そのものだった。




そのあとに、アイドル活動にいちばん熱心な主人公が「なんもない」ことから少しずつ下り坂になってく。
そして描写されるやたら実写チックな港町の急な坂道あるある。

そして次第に、見逃していた微妙な違和感が積み重なって、崩壊していく東西南北。

確かに、主人公の悪意(というか人間らしさ)が軸にあったから、周りの大人の悪意や意図はそれほど目立って介入してこない、みたいな面白さがあった

あと、「これぞアイドル業界の闇!」っていうほど闇は描いてない。
描いてるのはあくまでアイドルに憧れる1人の高校生と、それに知らず知らず巻き込まれていく女子高生たちの、芸能活動によって私生活を過ごせなくなって、SNSに振り回され始める急落さなので
むしろ大人はあくまで舞台装置の役割。
大人、特にお母さんはほんと優しい立ち振る舞いだった
味方という意味では、親がすごいいいひと
父の仕事でカナダにいたと話があった
日本に戻って母と二人暮ししてると
母が一切物語に不用意に干渉しない、けれど必ず家にいる描写では東ゆうの味方であり、静かによりそってくれるすごくいい人だったのが印象的だった。

でも!乃木坂2人のおじいさん役2人のカメオ出演
あれだけほんとに浮いてた

ちゃんとそういう「分かりやすい遊び」だって事前に把握してなかったら、ぶちギレるとこだったのはある

ゴースト×ドライブの冬映画で永遠にネタやってた竹中直人と片岡鶴太郎のとこと同じくらいムカついたけど、
必要なファンサなのかな…笑
ジジイの声、さすがに被害を最小限に抑えるための苦肉の策かなと思ったんですけど、
ジジイよりもモブとか学校の子の方が良さそうだな…って思いますね……
原作にもいないふたりなので、なんだかな

あと、原作のラストは、シンジくんが「初めて見た時から光っていました。」と結ぶ終わり方になっていて、シンジくんにとって東ゆうは最初からアイドルの光を放っていた。
途中の「人間って光るんだって」に上手く繋がるすごくいい締め方だなと思って。宣伝でもいちばん前に出てくるし、この言葉を放ってこそ、星=アイドルたちの観測者であるシンジくんの役割は昇華されるものと思ったけど、映画のラストは、東ゆうのモノローグによる、夢を叶えた自分への肯定を語るものだった。これは映画単体であれば特に不満は起きなかったが、原作を読んだ今、あ〜これあった方がいいのにな、なんて思ってしまった。

パンフレットの最後にもあったので、読み比べると楽しい。オタクをハチマキハッピの古いイメージで描かない、というこだわりもよかった。

おわりに

もう1回観たい!!!まだ小説もきっちり落ち着いては読めてないので、1週間後だろうか、これで最後!と決めて、心を整理して観にいきたいと思う。i☆Risも観れるといいな。

アイドルアニメ・映画オタクの未読感想ばかり流れてくるが、当然ベストセラーなので原作ファン/乃木坂ファンの人の支持があるはずなのだけど、そういう人の感想は全然流れてこない、そういう人達の解像度の高い感想も欲しい。

その他、自分では出力できなかった有益な感想、視点たちです。

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