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評価に対する悔しさ

社会人生活を送っている中で、どうやっても避けて通れないのが、
社内評価です。評価される事で、モチベートされ、仕事及びビジネスを
より頑張ろうという前向きな気持ちにしてくれたりします。
逆に評価を下げると、会社に対する帰属意識も低くなったりします。

今回、夏季賞与の査定が出ました。私は絶望しました。

それは、昨今のウィルスの影響はあまり関係のないもので、
額ではなく、自分自身という存在の評価に対する理解が追いついていません。

確かに思い当たる節はあって、上司と折が合わなかったりはしたのですが、
あからさまに評価を下げられたので、これは「評価ではなく印象」だな、
と捉える事にしました。
それにしても、悔し過ぎて先ほど涙が出てきたレベルです。

・・・

評価をする場合、まず絶対評価と相対評価が存在するのですが、
絶対評価は、決められた評価基準に基づいて、実績や能力を評価します。
一方、相対評価は、会社などの集団の中で周りと比較して評価します。

この絶対評価と相対評価に関しては、一長一短があるのですが、
私は究極的には「人は人を評価できない」と考えているので、
公平性、透明性を重視した絶対評価の適用を望んでいるのですが、

同じ指標で、営業部門とスタッフ部門を測る事は難しいこと、
また決められた予算の分配で評価を行わなければならない事を考えると、
企業の評価基準としては、相対評価にならざるを得ないのかなと感じます。

・・・

それにしても、もちろん業務内容を書くわけにはいかないので、
なんとも言えないのですが、昨年下期から本年上期にかけての
プロジェクトが、おそらくそれなりの利益を生み出したとは思うのですが、
1mmも評価されずに、むしろ前期より下げられるという結果になりました。

このような状況で、仕事を頑張れと言われても、
頑張ろうなんて微塵も思えないし、利益を享受するだけで、
自分は何も提示しないtakerに向かって、何を言っても無駄なのかなと。

・・・

私は、なるべく縛られない生き方をしようと心掛けています。
それは、企業に対するスタンスも一緒で、家族がいなければ、
明日辞めてもいいと思いながら仕事をしています。

というのは、縛られた生き方をしていると、企業に対しても従属的で
いなければならず、言いたい意見も言えず、ビジネスとしても一定量の
リスクを負えない、つまり結果が出しにくいというデメリットがあり、
フラットに会社を見て、会社と接して、働く事が重要だと考えています。

その為、私は仕事をする中で、自己主張が強く、時には
熱い議論を重ねる事も多くあり、敵も作りやすいタイプだと思います。

しかしながら、成果に対するこだわりも強く、
会社に対して成果という形で報いる事で、社会的貢献をしようと
日々がんばっています。というより、目に見える形にしています。

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今回の夏季評価は、納得のいく内容ではなかったですし、
これから先も同じ上司が続く限り、同じ評価である事を考えると、
若干の絶望しかありません。

ただ、器ではない管理職はいつかバレるので、
正しく評価されるその日まで虎視眈々と潜んで、実績を積んで、
この悔しさをバネにするしかないのかなとも考えています。

・・・

昨今のウィルスの状況で賞与どころか、給与すら出ないよ、
むしろ職自体を追われてしまったよ、という人もいると思います。
そのような状況の方には、こんな話はズレているのかもしれません。

しかしながら、一会社員として、努力が報われる会社になればいいな
と感じさせられました。評価って本当に難しいものです。

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