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「なずなはなさく垣根」とは。松尾芭蕉の句と羊飼いについて。

「春の七草」が好きです。

せり、なずな。ごぎょう、はこべら、ほとけのざ。すずな、すずしろ、これぞ七草。

このリズミカルな韻律や、すっぱりとした草の名前の心地よさが好きで、たまに口ずさみます。一月七日には七草がゆも食べます。

私は最初「なずなすずしろ」というペンネームでnoteを始めました。
春の七草の中から「なずな」と「すずしろ」を選んだのは、他になさそうな名前だったためです。しかし数日後、名前を変えました。
理由は、とある有名な俳句を目にしたからです。

よく見れば 薺花咲く 垣根かな (松尾芭蕉)

「薺(なずな)」のことを、私は「ぺんぺん草」と呼んでいました。
子どもの頃はよく遊んでいたけれど、大人になってからは雑草の一部となり、そう見向きもしなくなっていったもののひとつです。

「ぺんぺん草」は「三味線草」とも言いますが、その由来は、なずなの緑色の果実が三味線のバチに似ていることからです。私が子どもの頃は、果実に続く茎を手折って、でんでん太鼓のように回して遊んでいました。

芭蕉の句に話を戻します。

よくみれば、なずなはなさく、かきねかな。

春の季語である「なずな」が、垣根で花を咲かせる。それは、どういった情景なのでしょう。

なずなの背丈は、高くても50~70cm程度とのこと。
一方で「垣根」は、竹や木の枝で作られた、家と外界との境です。現代ではフェンスなどが使われることが多いですね。
垣根と同じ意味合いで使われる言葉に「生垣」がありますが、こちらは生きた樹木や植栽で作られたもののことです。

垣根の脇や隙間から、にょっきりと生えたなずなの花。もしかしたらそれは、満足に手入れが出来ていない庭のことを表しているのかもしれません。
『覚えておきたい芭蕉の名句200』の解説によると、どうやらこれは、芭蕉の住む草庵の風景のようです。
そして「よく見れば」気づいた、ということは、今まで気にしていなかった、とも読むことが出来ます。

ふと目を凝らした時、はじめて気づいたなずなの存在。
そこで芭蕉は、ふっとゆるむように微笑んだ。そんな心の動きが、見えるような気がしました。

なずなの花は、シロツメクサやタンポポのように、見るからに主張の強い印象は受けません。それでも、目を留めれば「なずなだな」と分かる。
その佇まいが、私は好きです。
そう思い出させてくれた芭蕉の句が、なんだかとても近しいもののように感じました。

なずなは、日本だとどこにでもある花ですが、海外の国ではあまりないのでしょうか。いつも写真をお借りしているUnsplashさんで写真を見つけるのに、少し難儀しました。

英語では、果実の形から「Shepherd’s purse(羊飼いの財布)」と呼ばれているとのことです。

なぜ「羊飼いの財布」なのか?
いくつかのサイトで調べてみたところ、大昔の羊飼いたちは、労働で得た稼ぎの入った財布を、そのまま家族へと預けていたそうです。その財布の形に、なずなの果実が似ているらしい、と。そこから、なずなの花言葉――「あなたに私のすべてを捧げます」という、とても熱烈な愛の言葉が生まれたのだとか。

ただ、その引用元となる書籍が見つけられなかったので、羊飼いに関連する本を探してみました。
そして見つけたのが『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季 (著:ジェイムズ リーバンクス/訳:濱野 大道/早川書房)』です。イングランドのとある地方で、5000年以上前から続けられているという、羊の牧畜方式や興味深い歴史について述べられた名著です。

残念ながら羊飼いの財布に関しての情報は得られませんでしたが、この本もとても面白かったので、別の記事で感想を書きます。

さて「羊飼いの財布」の謎。
羊飼いとは、全く知らない状態で想像してみると、牧歌的でのんびりとした生活のように思えますが、実際のところ全くそうではありませんでした。

牧羊犬に適切な指示をして放牧された羊を集め、毛刈りをし、母羊の出産を手伝い、子羊を育て、病気にならぬよう気を配り、冬のための干し草を作り……。それらは単独で行うこともありますが、広大な土地ではいくつかのファーマー(牧羊農場主)と協力する必要もあり、また作業予定は気候などの諸条件によって簡単に振り回されてしまいます。
昔から全く変わらない生活を続ける羊飼いは、とても実直です。加えて、私は『羊飼いの暮らし~』の筆者(現役の羊飼いです)に、つよく誠実さを感じました。

「羊飼いの財布」の逸話で語られている人物も、そういった好ましい要素を備えた人物であることが伺えます。
雇われ羊飼いとして働いたのか、羊毛を売ったのか、子羊かはたまた種羊を売ったのか……判別はつきませんが、大規模な競売市などでは、そこで一年分の稼ぎを得ることも多かったようです。

そんなずっしりとした財布を手に、羊飼いは帰宅し、そのまま家族へ渡す。実際、羊飼いたちは、羊やその他の動物たちを世話することは出来ても、妻たちを扱うことは容易ではなかったらしく、またファーマー同士の人間関係にも非常に気を使っていました。

財布を預けるという慣習が、今もどこかに残っているかどうかは定かではありません。しかしそれでも「羊飼い」という仕事は、こちらの思慮を超える篤実さが必要なものだということは分かりました。
ぺんぺん草などと呼ばれている他にも、こんな呼び名があったなんて。
まったく、世界は広いです。

さてさて。
「なずな」というひとつの花から、こんな風に話が広がるとは、私も思っていませんでした。

そんなわけで、私はペンネームを「なずなすずしろ」から「なずなはな」へと、変えたのです。
いい名前だなー、と自分ながら思います。

冒頭の俳句を思い返して口の中で呟いてみると、やっぱりすこし、空気がゆるむようです。
何年経っても俳句の面白さを、やさしくあたためるように提示してくれる。松尾芭蕉は、そんな存在です。

はるか昔の偉大な俳人へ、心からの感謝を述べさせて頂きます。

Photo by Katrin Hauf on Unsplash

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