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『福島見聞録』②ーいわき市中心街編

 「お前は、福島県は震災によって、甚大な被害を受けたのだから、団結しているにちがいない。そう決め込んでいただろう?」

 そう、自分に問いかけていた。

 福島県内の避難民を蔑視する避難区域外の人の話を聞き、自分に問いかけていた。

 あれだけの災害の被害に遭われたのだから、復興に向けてみんなの思いは同じだ、と。

 視野が狭すぎた。

 現実と関東で知るだけの福島県との距離は、想像以上に広い。「バイアス」は見事に裏切られた。

 鉛のように重たい、自分のバイアスと、酷に思えた真実が絡み合った心境で、「旅先の友人」とは別れた。

 カプセルホテルに戻る夜中の道中のことだ。
 ナンパをしている20代中ごろの男性がいた。

 どことなく福島県民でないような気がした。

 これは空気感で伝わるものだ。説明のしようはない。「何をしているんです?」好奇心と警戒心から、声をかけた。

 かれは九州圏のどこかの県から旅行に来ていた。目的はナンパだ。どうして、こんなに遠くまで来て女の子に声をかけるのか聞いた。

福島の女はつかまえやすいんですよ

 そうなのか?何を根拠に言っているのだろうか?大災害を受けた地域の女性を軽視した言葉として伝わった。

 思わず「最低だ」と言い放ち、その場を去った。福島県を、福島県民を、見下しすぎではないのだろうか。憤りに近い感情を抱いた。

 同時に、自分もそう言える立場にあるのだろうか、とも疑った。色眼鏡で福島県を見ていたからだ。この男もおそらく色眼鏡で県民を見て、声をかけている。

 ぼくは声をかけやしなかったが「色眼鏡で決めつけていた」のは、この男と共通してやいないか――誰に、何に、向けたらいいのか分からない嫌悪を感じた。

 ムカムカしたままカプセルホテルに戻る気にはなれなかった。もう一軒寄りたいと思った。

 ぶらぶらと歩いていると途中にバーがあった。

 多分値段は高くつく。だが今度は一人でゆっくり呑みたい気分になった。いまだに覚えている。内観は暖色のライトで照らされており、テーブル席は一つもなかった。

 マスターと思わしき男性は、30代中旬〜後半だ。背が高く知的なオーラを放っていた。1杯あたり1,000円ほどだと記憶している。

 ぼくはダイキリを呑みながらジャック・ケルアックの『路上』を原書で読んでいた。

 客がいなくなった。

 そのタイミングにバーテンダーと話をした。

 --関東圏から来たこと。内部分裂があること。原発のことなど。原発問題についていうと東京では当時、学生運動が盛んだった。

 「脱原発」を訴える声が上がっていた。ちょうどぼくは学生運動が盛んな時期に、大学生活を歩んでいたのだ。

 関東圏から来る客は珍しくもないようで、「ああ、そうですか」といった反応。「内部分裂」については、いたく客観的に話していた。 

 「単純なんですよ。避難指定されていない地域で裕福じゃない、あるいは不満を抱く人は、対局にある人たち――つまりは豊かな避難民を責めることで、自分の居場所(コンフォートゾーン)を見つけられますから。低所得者が生活保護受給者を非難することはありますよね?それと同じだと思ってもらえれば。マイノリティの中にマイノリティがあって、融和もすれば対立もするのです」

 ぼくの抱いていた言葉にできない「しこり」。

 それが言語化され得心した。関東から来た客に慣れているのか?まるでマニュアルが用意されているかのように、スラスラと話をした。

 「肯定的に関東圏では報じられているのか分かりかねますが、原発問題は県民を悩ませます。少なくとも、わたしはなんと言ったらいいのか……

 「こっちの脱原発運動を推し進める左派はやや過激ですね。知る限りですが。どこから入手したのかわからないのですが、東電社員の住所のリストを持っています。執拗なまでに家に押しかけ、『賠償をしろ!』と言うって話は聞きました。もちろん誹謗中傷もね。そんな背景もあって、わたしは軽々しくどちらがいいか、決めるのは難しいですね」

 そこからの話をまとめると、原発問題は福島県民の間で「共喰い」する火種になりかねない。

 だから黙っておくのが無難だと。隠さなければいけない本音もあるとーー現地の人の言う話なのだ。

 もしかしたら、「脱原発」は関東のリベラルが都合よく、取り上げているだけで、現地の人たちにとっては、「良し悪し」で語れることではないのだろう。

 「ここはまだ治安のいいほうですよ。福島県内で起こる犯罪率の半分は関東圏の方々によるものって知っていらっしゃいます?珍しくないのです。ゼネコン社員が呑みにくることもあります。福島県民は脱原発運動を目立ってすることもないです。親が東電の社員だったり、自身が東電の社員だったりすると、『内輪揉め』になりますしね」

 あっけにとられた。想像を遥かに越えるほど、いろいろな糸が絡み合っているのだ。重層的である。

 この時だ。ぼくが恐怖によく似た、感情の渦に呑み込まれたのは。

 おそらく、予想に反していると分かった時、恐れやそれに似た「何か」を心に抱くのだと思う。
 
 例えば、山手線が事故か何かで運休になったとする。驚かないし「またか」で終わる。

 対してローカル線が何かの理由で、運休になると立ち往生する人が増え困惑する。普段は運休になることはないと見立てているとする。

 想定外の出来ごとだからだ。

 ローカル線が運休になるなんて、おそらく滅多にないし、相当な理由がないと止まらない。

 意外性が恐怖の種でもあるように思えるのだ。

 「思っていたのと違う」と、現実を受け止めたくない。惨めだ。のちに聞いた話もつけ足す。

 同じ地域に住んでいる人が除染の復興事業に携わった。除染作業はもとより、復興事業も「利権」が絡んでいたようだ。

 大手ゼネコンが入札される。下請けの企業は何重にもなる。層が下にいけばいくほど、やりたい放題になる――社会的にアウトな、フロント企業もが事業に参画する。

 今では、反社という言葉が一般認識され、取り締まりは厳しくなっている。利益供与でもしようものなら、それだけでイエロー、最悪レッドカードだ。しかし、当時はお構いなし。

 とにかく、頂点のゼネコンの利益になるなら、それでよし。

 黙認し、暗躍させる舞台を整えておいて、突然、厳しく締めつける、この国の「ご都合主義」にいら立ちを覚えた。

 数年も前に聞いた又聞きの話だ。正確性は担保できない。11年の「あの日」から復興大臣は変わっていなかった(16年当時)。

 この野放図な状態は上層との癒着によって造作的につくりだされる。分かっていたにもかかわらず、黙認していたという。

 関東人が、福島県の犯罪率のおおよそ半分を占めるのも、当然の結果だ。社会の闇は裏ではなく、表に忍び込んでいたりするのだ。

 内面はうまく整理できていない。一方で、バーテンダーに親近感を抱いていた。余計なことは話さない。だが、こちらの知りたいと思える内容は察知し、教えてくれる。

 そんなこんなで話し込んでいたら、午前2時をゆうに過ぎていた。急ぐ理由もないが、カプセルホテルに戻ることにした。

 道中、到着した時とは異なる気分で、いわき市の中心街を歩いていることに気づいた。

 白黒ハッキリさせるのは、時に危険だ。
 分断を拡げてしまう。

 左派の欺瞞(ぎまん)が福島県民を苦しめているようにも思えて、胸が苦しく引き締められた。

 教えてくれ。何を信じればいいのだろうか?

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