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なぜ人は衝突するのか

・金銭的、あるいは身体的な被害といった実害が無ければ衝突する意味はほとんどない。あるとしたら一方的な期待感とか、そういうやつ。

・どこかで見たが、大して仲も良くない奴とか会って間もない奴に比べて、親しい人の方が衝突に発展しやすいらしい。所謂「なんでわかってくれないの?(これくらい私とあなたの仲ならわかるでしょ?)」ってやつ。


■大体は一方的な期待感と思い通りにならないことの押しつけ

・この人ならこうしてくれるだろうとか、自分のために気を遣ってくれるだろうというやつ。ある程度仲良くなった仲で起こりやすい感情親密で、かつ形式的な関係となっていると起こりやすい。(婚約関係とか、友人関係とか)

自分が好きだから相手は自分の期待に応えてくれるだろうという予測。恋愛でも起こりがちなやつ。恋愛は焦ると空回りすると言うが、そりゃ一方的に色々なものを期待しているんだから嫌がられるわな。

内向的な人(自分の中であれこれ考える)より、外向的な人(他人と関わることであれこれ考える)の方がこの罠にかかりやすい。自分の中で答えを出すのに他人と関わろうとして、結果的に相手とのトラブルを更に悪化させる。

内向的な人からすれば「そんなの自分で考えろよ」って言いたくなるし、外向的な人からすれば「意見を交わさなければ相手の事なんて理解できないよ」と言いたくなるという話。

精神的に未熟なパターンだと、自分の「こうあってほしい」という我儘を我儘だと認識できないまま相手に押し付けるなんてパターンもある。これは文字通りの押しつけ

「お前の我儘を押し付けてくるなよ」と相手に言われてからハッと我に返る場合もあるが、自覚出来たところで実際に改善できるのは10人いて1人いるかいないか。しかも大体が相手が変わることを期待するので、直す気はほぼない
というか、ほとんどは中高生くらいまでの人間関係の衝突や誤りで「こうしたら相手が傷つく」のを理解するので、いい年してこれが理解できてない場合だと相当ヤバい奴のケースが多い

まあ、相手から見た他人であるこちらがどう言ったところで直るのは期待する方が無駄だと思った方が良い。無難にそのままバイバイの方が賢明だったりする。

■「わかってほしい」と「そんなのわかるわけないよ」の押し問答

・「わかってほしい」側の、「少しは空気を読んでこっちに歩み寄ってくれてもいいよね」という感情。自分の都合だけを考えた、安易な相手への甘えだとも言える。親しければ親しいほど起こりやすく、女性に多い印象。

・「そんなのわかるわけないよ」側の、「黙られていたってわかるわけないよ」という感情。上記の「わかってほしい」女性に対して、よく男性が思うであろう感情。
一方的な歩み寄りを求められることへの反感もあるかもしれない。ただし、こちら側が単に気遣いとか相手を敬う気を忘れて好き勝手にしすぎている場合もある話を聞いていないとか、自分の話したいことばかり話すとか。

歩み寄りの問題が大きい。どちらか一方が頑張りすぎても、相手がタダ乗り状態だったら動かす方は大変だ。
優しさも気遣いも相手に対して好意があるから続くもの。お金のように使う分だけ減っていく。たまにこれが無限沸きしていると勘違いするやつもいるが。クレクレは大体嫌われる。

・クレクレするタイプの人間は人が他人のために時間を使っていることを理解していない場合もある。
「テイカー」なんて呼ばれたりするが、要は相手が望んでいることよりも自分の利益を優先していくタイプのこと。悪意がある無いに関わらず、自分がより有益になるように持っていく人間もいる。

一説には極端な甘やかしや過保護などが挙げられるが、たとえそういった環境に置かれていたとあっても、成長しても尚他人を尊重したり他人の時間を奪っていることへの気が向かない時点でお察しではある。

「わかってほしい」人間がメンヘラでかまってちゃんなケースはよくありがちな話だが、その場合においては同じ経験をした人間が共感してくれることは多い。
ただ「そんなのわかるわけないよ」人間の身勝手や一方的な施しをタダで求めるクレクレに散々付き合わされた「わかってほしい」側が無視されることも多い。「甘やかしたあんたが悪い」とかそういうやつ。

大体困っているんだから話くらいは聞いてやったっていいんじゃないかとすら思えるが。
そもそも人の想像力は共感力と経験値に委ねられるので、献身的だったり考えすぎる人の思考回路を他人を気遣ったりしないし苦労を想像しないタイプの人間が分かるわけがない
というか本気で困っている人にそういうことを言える人間は「そんなのわかるわけないよ」側だったりもする。

■勉強ができるから何でもできるわけじゃない

・学歴が良いから人間性も素晴らしいだろうと思って話しかけたら実はヤバい奴だったみたいなケースがある。転じて、学歴が良いと期待してかかったら自分よりも能力が低くて一方的に呆れること。まあ仕事なんて経験年数頼りなんだから最初から期待してかかるのもおかしな話だが。

入社前と入社後で想定していた期待に沿わなくてイライラするケース。イライラした感情を勢いでぶつけすぎてその人を結果的にもっとダメにするパターン。

結果主義だから今できるか今できないかが知りたいだけ。自分の手で育てる気は無いし、何なら勝手に育ってほしいとさえ思ってる。実際に少しなら手伝うが、本人は手伝っていると思っていて実は客観的に見るとそうでもないみたいなこともある。(ちなみにこれは夫婦関係の分業においても同じことが言える)
一方的な期待をかけることが善意であると本気で思ってる場合もある。まあ我が身に降りかかったことだが。

その人の人間性をよく観察したりよく知ろうとする前に、学歴が良いこと、勉強ができることで先にレッテル貼りをする。「この人はきっとできるだろう」という思い込みで突っ走るから、結果的に相手を引きずったりする。

自分が相手の年齢の時にはこれだけできていた(耐えられた)からきっとできるだろうという思い込み。自分の領域を相手にまで広げて、自分のできるレベルを相手にも当てはめようとするから上手くいかなくなる。

・反対に勉強ができて、実際にどうしてそんな考え方をするのかと言いたくなる人間もいる。逆に論理武装をしすぎて共感力や想像力を教室に置いてきた可能性
頭が良いという自覚があってそれだけが自分の虜になってしまうと、かえってプライドだけが高くなって人を見下す、なんてことも起こる。自分に自信が無いことも問題ではあるが。

・だがどうあっても金銭的な関係や実害が発生しうる関係ではある程度の我慢は必要。利をもたらされている限りは多少の我儘を言われても仕方ないところはある。だからと言って何を言ってもいいわけじゃないが。
身体を壊したら元も子もない。(自分の事だが)

■繊細過ぎて攻撃的になる

意外と多い。
「私は繊細だから」
が行き過ぎて、わかってくれないことへの不満が蓄積しやすいタイプ。多くは他人への期待のしすぎと、自分が傷つきたくないことへの執着心の強さ

・自己防衛が行き過ぎて、逆に何もしていない相手に襲い掛かる場合もある。この場合は被害妄想が強いとも言える。攻撃される側からすれば突然キレられるので、一体何のことについてキレられているのかわからないこともある。

「繊細チンピラ」なんて言葉がある。他人がつぶやいた「うれしい・楽しい出来事の報告」に対して「自慢をしている」と受け取り、攻撃する人のことを指すらしい。これも良い感じの被害妄想の例。
実際は自分とは無関係(自主的な行動によってたらされている相手の結果を客観的に見ているだけに過ぎない)なのに、「これは自分への当てつけだ」と勝手に解釈する。そりゃ確かにチンピラだって言われるよ。

・特徴として他人の具体的な行動に対して建設的な意見を言うのではなく、主観的に、また個人的な正義感や価値観、感情に基づいて相手に言いがかりを付ける。「そういうのって良くないと思いますよ」とか「あなたのその言葉に傷つきました!謝ってください!」とか言うやつ。

まあ関わらない方が良い。そもそも人間の数だけ意見があるというのに、自分の主語をわざわざデカくして「みんなもそう思ってるんですよ!」とか言うやつに碌な人間はいない
大体、統計なども取っていないし周りの人間に感想やらを聞き出してもいないのに平気な顔で言ってくるやつ自分の我儘を通したいだけだ。

・わかりやすい例として上記は単純に嫌われる能動的かつ攻撃的な繊細さんだが、もう一つのパターンとして実は嫌われる受動的かつ攻撃的な繊細さんというのもいる。
後者は人間関係に対しての苦手意識を強く持っているケースが多い。嫌われることの具体的な理由については明確化させる気が無いが、とにかく嫌われることは分かっているので人間関係が苦手だという感じ。

このタイプは人間関係の経験値を積むか、人慣れしない限り初対面での判定は難しい。
主な判別方法としては、自意識過剰かどうか。自意識過剰とは、他人が自分をどう見ているかを気にしすぎる状態のこと。「私は~」といった自分が主語・主体となる会話が過剰に多い場合や、とにかく自分の話をしすぎる、もしくは逆に自分の話を極端にしたがらない場合も当てはまる

一見控えめな場合でも、本人は自分の気持ちを自己主張していないつもりで、実は手が勝手に相手を殴っているなんてこともある。
明確に「嫌だ」とか「やめて」は相手からの思わぬ反撃を食らうかもしれないので言わない(自分が傷つきたくないから言いたくない)が、遠回しに反撃しないと気が済まないタイプ

能動的に攻撃するわけではないが、受け身を取る振りをしてさりげなく相手を刺しに行くタイプ
しかしこれにおいてまだ相手に対して愛着や好意があるとかいう矛盾した状態の場合も少なくはなく、その場合は相手を攻撃しているというつもりがなくそうしていることも割とあるので注意が必要。まあ自覚があるにせよ無いにせよ、相手を傷つける行動をしている時点で人間性としてお察し案件だが。

これを「受動的攻撃行動」と言う。
相手に自分の意志をはっきりと伝えずに、相手を拒んだりすること期待されていることをきちんと行わないことで、相手に対して反撃すること。かなり質が悪い。
そもそも人が嫌いだから人を寄せ付けたくなくてそういったことをする輩もいる。その場合はかなりキツめの繊細チンピラの可能性が高いので、どんなにその人の持つ魅力や能力が良くても絡むのはやめておいた方が無難。

・ただし上記に当てはまらない例として、義理堅く人に優しい人が敢えて受動的攻撃行動を取る場合もある
その場合はシンプルにこちらに非があるとか、自分が気づけなかっただけで実は相手を傷つけていたとかはある。申し訳なく聞き出して教えてもらえれば万々歳だが、そうでなかったら素直にごめんなさいと謝るしかない。

■自分が正しいと思うことがそもそもの間違い説

・大体前提として自分が正しいと思うから、相手が間違っているという判断を下しやすいと感じる。第一に自分、第二に他人がいるとそれだけで「なんだこの偉そうなやつ」と疎まれる。

・すべてに当てはまるわけではないが、中にはフラットな態度で振舞っているように見えて実は最初に否定から入るやつもいる。この場合は想像力と共感力が足りていないが、まあ話を持ち掛けた側としては萎えるので長続きはしない。

・理想は自分も相手もフラットな状態に置くこと。「アサーティブコミュニケーション」なんて言われたりする。
アサーティブ・コミュニケーションとは、自分の意見を飲み込んで我慢をしたり一方的に自分の主張を押し通したりせずに、相手を尊重しながら自分の気持ちを伝えるコミュニケーションらしい。

・聞き上手は好かれるなんて話がよくあるが、それは話をよく聞いてくれる=親身になってもらえている=受け入れてもらえているという感じ方によるものなので、当然と言えば当然。

自意識や自己愛が強すぎても自分の事ばかり気にしてしまうので、結果的に目の前の相手を置き去りにしがちだったりする。大体「自分が!自分が!」って言っている人間の話なんて誰が聞きたいと思うのだろうか。

・男女関係なく、恋愛においても片方が突っ走ったり、自分が好きだからこの気持ちに応えるべきなどの感情はほとんど迷惑でしかない。相手が自分を好きならまったくもって問題ないんだろうが。

これとは別に友人関係においても、相手と親しくなりたかったら自己主張するより相手の事を知ろうとする態度を見せる方がずっと好かれたりする。まあそれでも相手に興味や関心を持たれなかったら終わりだが。
自分の正しさを信じて相手にぶつけると反感を買うのは当然だろう。

■衝突したら距離を取りたがる人と、話し合いしたがる人

・結論から言えば、どちらか一方でも感情的になっているなら距離を取った方が良い人間は感情(主に怒り)がコントロールできていない時、何をしだすかわからないからだ。

人は外部情報でしか人を判断できない。言葉とか態度とか表情とか。
大切な人であればあるほど、より重要な話をするならば距離を置いて冷静な時に話した方が良い
感情的になっている時は自分の気持ちに焦点が当たっている時なので、相手の気持ちを汲み取る余裕なんてそもそも無いからだ。

感情的になっているのに無理にでも話し合いをしたがる人は、正直言って碌な人間ではない可能性が高い
この場合は「話し合いしよう」とか言いながら、内面ではキレ散らかしているので「相手を黙らせてこっちの意見を通してやろう(言い負かしてやろう)」が魂胆にあるケースが多い

大体、相手に対して好きだとか大切にしたいと思う感情があったなら、この人のためなら折れることも視野に入れる場合だってある。
それなのに怒り狂った状態で「話し合いをしよう」は、大体「自分の言いなりになってくれるよね?」の脅しであるから、「距離を取ろうよ」に対して待ってくれないのはその人の人間性がマズいか、単にせっかちすぎているかのどちらかである。

というか行き過ぎたせっかち(せっかちすぎて相手を引きずり回すレベル)も自己中心的な性格のそれなので、良いかと言われたら良くはない。

■まとめ

・主に人間関係で失敗する例は人間関係そのものに対する経験値が少ないとか、単に相手の立場や環境を考える想像力が足りないとか、相手の気持ちを考えて理解しようとする共感力が足りないとかそういう感じ。

意図的に悪意を持ってそうしていることもあると言えばあるが、元からそういう力に乏しいタイプもいるにはいる。なので本格的に困ったら病院に行って診断してもらうのもアリだと思う。

・人間関係を真面目に考えすぎるのも良くないが、だからと言って相手の事を考えないのもそれなりに問題がある。

・繊細が行き過ぎると他人への攻撃性になるので、繊細さを自覚するなら人と距離を置いて接するなどの工夫をしてみることが大切。
あとは自分の警戒心が解けそうな相手を選んで声をかけてみるとか、気長に待ってくれる人を探してみるとか。幾らでも遣り様はある。

・間違いないのは、感情の起伏が少ない人が望ましいということ。
全く感情の起伏が無くてロボットみたい…とかであるならそれはまた違う問題になってしまうが、すぐに感情的にならなかったり、疑う前にきちんと話を聞いてくれたり質問してくれる人が望ましい。憶測だけで決めつけてくる人間は精神衛生上良くない。

・IQ云々が合う人が良い…とかの話は詳しくないので分からないが、強いて言うなら価値観や考え方、物事に対する感じ方が近い人が良いだろう。

趣味は仲が深まるのにいいきっかけになるのに過ぎない。完璧を求めすぎても良くないので、趣味仲間はこの人、相談はこの人などと広く浅くが丁度いいのかも。
まあ、中には一人の人間に色々と自分のアレソレを持ってほしいタイプもいるだろうが。好かれている内は良いかもしれないが、好意や愛想が途切れた場合に真っ先に「重いやつ」と思われるのは覚悟した方が良い。というか持たせる方も持たせる方だが…。

・何と言っても自立している人は良い。寄りかかってほしい人もいるにはいるが、人は基本的に自分の足で立つのがやっとなことが多い。
自分のすべきことややるべきことを相手に任せる奴も良くないだろう。自分にとっても相手にとっても。

・というかそもそも人に対して厳しく当たる方がデメリットの方が多いので、よく考えている人であればあるほど人を尊重する傾向があると思う。

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