思い込みを手放す
わたしは、
「こうゆう風に生きたいから、そう生きる。」
「そうしていいんだ。」
と自分に、自由を与えてあげられる。
わたしは、
今まで、いろいろ検査を受けてきて、
結構引っかかってきて、
その度に、
めちゃめちゃ沈んでいた。
もう、何年も、検査が怖くて、
病気が怖くて、死ぬのが怖かった。
でもね、怖いっていう思い込み、捨ててみようと思います。
死ぬことがさ、例えば、何か別の、もしかしたら、例えばだけれど、ジブリ映画のような夢想的な場所への入口だとしたら、どうだろう。
誰も知らないことが、嘘ではないのだから。
病気がさ、実は、思い込んでいた怖いものでなく、それは心地よさの鍵だったとしたら、どうだろう。
検査はさ、嫌なんだけど、嫌っていう感情のエネルギーを、そこで発散できる機会だと捉えられないかな。
普段抱えていた、見えない、奥に押し込められた、嫌、っていうエネルギーの出口だとしたら、自分を救っている。
一見、本当に厄介で、
自分を苦しめるもので、
これさえ無ければいいのに、
と思っているものが、
お月様と同じくらいの高さから観察したり、
深海の底の光から照らしてみると、
総じて、
すごく、
ありがたいモノだったりするんじゃないかなあ。
私は、怖がりで、怖がりで、怖がりで、
よく泣いていました。
だからこそ、
こわい、こわいの、
思い込みを、捨てる。
思い込んでいただけ。
思い込まされていた。
だから、今からはね、
反対の考え方を採用して、
楽に、自由に思っていく。
それで、いいじゃない。
それが、いいじゃない。