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輝く星じゃなくても

地面に寝転んで星を眺めたことがある。

一度目は十代最後の夏、高校の同級生たちと訪れた地元のキャンプ場近くの堰堤で。
道路から川に向かって降りていく通路や、ガードレール際の細い舗装部分に思い思いに横たわって、偶然その日だったという流星群が予想外の頻度で四方八方に流れる様子に何度も歓声を上げた。
わたしには高校時代、恋愛感情は全くないのに(お互い恋人は他にいた)長文の手紙を時折やりとりしていた男の子がいて、当時の自分たちなりに、わかったようなつもりで「心とは」とか「信頼とは」みたいな小難しいテーマをこねくり回したものだったけれど、卒業して半年ぶりにあった彼の隣で、その晩は何故か夜通し夢の話(将来の夢ではなく、眠っているときによく見るという夢の話)を聞いた。

二度目は大学を出た年の春、研修生として所属していた劇団が公演のために滞在していた北陸の小さな村でのことだ。
その日の作業を終えて建物を出ると、周囲が驚くほど真っ暗で、嘘みたいな量の星が空いっぱいに広がっていた。
研修生仲間と笑いながら我先にと道路に寝転んだ。始めは苦笑していた数人も結局隣に体を並べた。
北陸の春は我々の体感ではほとんど冬で、フリースの上着越しに感じるアスファルトはしんしんと冷たく、ニットの帽子からはみ出した耳たぶがちりちり痛んだ。
笑い声は次第に収まって、何やらしんみりした雰囲気が流れたけど、丘を降りてきた車のヘッドライトで満天の星がかき消されるまで、わたしたちはしばらくそのまま空を眺めていた。

二つの思い出には共通点がある。
「寝転んで星を眺めた」というできごとの内容ではない。
わたしはそのとき「このことは一生忘れないだろうな」と思ったのだった。

◆◆

あの頃は毎日が星のようにきらきらしていてかけがえがなく、このまま全てを覚えておくことができないのが惜しいと思っていた。
時間の経過とともに記憶から細部が溢れ落ちていくことが悔しくて、ある酒席で酔って半泣きになりながらべそべそ訴え、「日記でもつけてみたらいいんじゃないか」と言われたことがある。
そういえば当時は自分のホームページというものを持つのが流行っていて(ブログやSNSが登場するよりも前の話。トップページにカウンターを設置して、キリ番を踏んだら掲示板に書き込む、古き良きインターネットの時代のことだ)、コンテンツのひとつとしてわたしも日記を書いていた。
書いて残しておきたいできごとが多すぎて、日記はいつも実際の日付から大幅に遅れをとった。

現在小学生の長女が幼稚園の年長さんだった夏休み、「もう同じ一日は来ないのか」と訴えて泣くようになった。
朝から晩までめいっぱい楽しく過ごして、満足して眠りにつくはずのタイミングでしくしくと泣き出す。
「今日が本当に楽しかったので全てを覚えておいて再現したい。一分一秒違えたくない」というような内容をたどたどしく主張しながらしゃくりあげる彼女に、かつての自分を見る思いだった。
ママ友に相談したら「絵日記を書いてみたら」とアドバイスされ、書かせてみたら日付に追いつけなくなったところまで同じだった。
長女は次第に絵日記に自分の服装を再現するファッション画のようなものに夢中になり、「全ての思い出を記録したい」という妄執はいつのまにか消えた。

◆◆

Twitterを始めたのはもう少し前、長女がお腹にいたときだ。
予定日の近いアカウントを中心にフォローの繋がりを広げながら出産を終え、子どもの月齢が低い頃は育児情報の収集や親どうしの交流に大いに活用した。
子どもが大きくなるにつれ、わたしは「うちの子の可愛いところ・面白いところ」を発信することに夢中になった。
子どもの毎日は思いがけないことや新しい発見で溢れていて、書きたいことは尽きなかった。
起こったこと・気づいたことを脊髄反射のように呟いていたので、Twitterは詳細な育児記録にもなった。
「初めて歩いた日」「1歳のときの好物」などを振り返る必要があるとき(例えば子どもが学校の課題で、そういうものを調べてくるように言われたりする)、Twitterのログを検索すれば、母子手帳よりもよっぽど詳細な情報が残っている。

きらきらしたかけがえのない日々を残しておきたかった頃のわたしに、Twitterがあればよかったのにと思う。
毎日子どものことばかりツイートしているわたしだが、実は、いったん呟いてしまうとエピソード自体はあっさり忘れてしまうことが多い。
子どもの成長はめまぐるしく、いつでも「次」がふんだんに用意されている。
振り返りたいときにはログをまとめて遡る。
わたしは今では日々を忘れることが怖くはない。

その一方で。

次第にわたしは自分が空虚だと感じるようになった。
実際には「空虚」などという高尚な単語ではなく、こう思った。
「わたし、つまんないやつになっちゃったな」

書き残しておきたいようなできごとは子どもに関することばかり。
多くのものを投げうって追い求めた夢も、努力して手にした資格と職業も、ここまでの道のりでわたしは全て諦めてしまった。
仕事は生活のためのパートタイムで特段のやりがいもなく、家事をクリエイティブにこなすようなスーパー主婦でもない。
あいつ子どもの話しかしなくなったな、と昔からの知り合いには呆れられているんじゃないだろうか。
圧倒的なエネルギーを発して輝いているのは子どもだけで、自分はその周りをぐるぐる回って記録をとる衛星のようなものに感じられた。

◆◆

そしてわたしは140字小説に出会った。

Twitterに収まる140文字で小説を書くというこの面白い試みを知ったのは、やはりTwitterが繋いでくれた偶然の縁だった(話が横道にそれるので、偶然の中身はまたいつかの機会に)。

この文章は140字小説のPRも兼ねているので、「軽い気持ちで書いてみて、意外な面白さにハマった」と述べたいところなのだが、軽い気持ちでは全く始められず、第一作を書くのに1ヶ月以上かかった。
執筆に1ヶ月かかったのではなく、小説を書くという新しいチャレンジをすべきかどうか、自分の中に書くべきことがあるかどうか(何しろわたしは前述のとおり自分を空っぽだと感じていたので)迷うのに1ヶ月かかったのだ。

それでもわたしは、何はともあれ始めようと思った。
今思ってもあれは英断だった。

これがわたしが初めて書いた140字小説になる(ツイートの日付は創作アカウントを分離したときのもので、実際の執筆は2015年の秋)。
仕事の昼休みにスマホで一気に書いた。
お気づきのとおり少々暗い。
暗いことはさておき、この作品はかなり個人的な感情について書かれている。
これまでずっと感じてきて、人には打ち明けられずにいたこと。
抱えこんで過ごしてきたもやもやしたものが、こんな形で作品にできることにわたしは驚いた。

◆◆

140字小説執筆の面白いところを訊かれたときは、「文字数に入りきらない情報は切り捨てるしかないところ」と答えている。
少ない文字数に詰め込まれた物語は、いきおい抽象度を増して、読む側の創造の余地を広げる。
つまらない人間のつまらない感情が、ここでは物語になり得る。

いや、つまらなくはないな。

わたしは、自分の中にも語るべきものがあったことに気づき始めた。
日常生活や家庭とは切り離された場所で、自分が何ごとかを物語れるということにのめりこんだ(のめりこんだわりに筆が遅くて寡作なことはとりあえず勘弁してください)。

「家庭とは切り離された」と言ったが、子どもや夫への気持ちから着想した作品は、実はかなりよく書いている。

わたしという人間の現在の心の拠り所はやはり家庭にあって。
それを記しておこうと思うのは自然なことだった。
子どもの話題しかないつまらない人間という呪縛から抜け出してはじめて、自分が家族へ抱く愛情というものを少し俯瞰して眺められるようになった気がする。

今のわたしの生活は、寝転んで星を眺めたあの思い出たちのようにはきらきらしていないし、日々を鮮明に覚えておくことは(おそらく加齢により)難しくなるばかりだけれど、平凡な生活の中で感じたあれこれを、これからも少しずつ残していきたい。

まずは次にキャンプに出かけた時にでも、家族で星が見られるといい。


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