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選択肢の多い時代にロールモデルはいらない

大学生のころ、私は女性のロールモデルになりたい!というかなり意識の高い学生でした。

そんな思いから早9年。来年30歳になろうとしてる私は、そんなことを思っていないし、あとにつづく女性のために!という鼻息荒い行動を取ってきませんでした。

ロールモデルっていたらありがたいけど、選択肢が多い時代にはロールモデルって言葉すらも違和感があるというか…。Instagramが出て来たことで、ライフスタイルに憧れる人はいる、くらいなんじゃないかな?って。言葉にはできないけど、なんか悶々としていたんです。

そしたら昨日読んだ本で、ロールモデルはいらないんじゃないか?と思ったので、その理由と共にメモ書き程度にシェアします。

夢や目標は旬である

この本の最初に、夢の棚卸しシートというのがあります。小学生、中高時代、大学時代、20代前半、現在という年代毎に「夢中だったこと/趣味」「好きな芸能人」「好きな食べ物・店」「なりたい、やりたいこと」と書くシートがあります。

私だったら、小学生の時はアイドルとかギャルになりたかったけど(笑)、大学生の頃は大企業に入ってバリバリ働いていたいとかで。せいぜい一貫していたのはTVが好きってことと、ずっとSMAPを応援していることくらい。結局、ギャルにはなってないし、大企業にも入っていない。ロールモデルになりたい!と思っていたのにそれにもなっている気はしない。で、気付いたんです。

夢とか趣味とか目標はどんどん変わっていく

これって当たり前じゃん?って思うし、だいたい年始の目標は6月くらいには変わってたりするわけでしょ?笑

で、その変わることをこの本では

夢は人生折々の旬

という言葉で表していたんです。「旬」て言葉にすごい腑に落ちたんです。選択肢が多い時代に、夢とか目標にも旬があるんだから、ロールモデルがいるって変なのではないか?って。

そりゃ選択肢が多いからこそ、この選択をするとどういう人生になるのかわからないから不安になるっていうのはあります。夢とか目標に合わせてロールモデルがいればいいけど、そうではない。

で、このクランボルツって誰だよって思ったかもしれないけど、「計画的偶発性理論」というキャリア教育のなかでは基礎中の基礎っていう定理を提唱している人なんですね。

これは、「キャリアの8割は予想しない偶発的なことで決定される」って言っているんです。だいたい夢の多くは偶然的な出会いから生まれているわけです。だけど、その偶然は計画的に引き起こすことができるよって考え方。(ここではさらっとなので、気になった人は本読んで)

人生は連続している

私が大学生の時に「大企業でバリバリ働きたい!」という夢は、途中で「ベンチャーで働いて役員になりたい」とか思っていた時代もあります(笑)

私の人生はこうあるべき!と思っていたので、そういう風に早くに決めてしまうとそのギャップに苦しむって、元意識高い系出身なら結構あるあるだったりしませんか?

つまり、目標としているロールモデルがいることで、逆に人生が狭まる。

ロールモデルが「いる」とか「いない」とかじゃなくて、自分の人生の夢とか目標は変わっていくのだから、ロールモデルはいらない、と思って生きていった方が自分の旬に合わせて豊かな人生を歩んでいけるのではないかな、という気付きでした。

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