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報道の自由を守るのはダレか。

 世界66位。

 何のランキングかといえば、国境なき記者団(Reporters Without Borders)が世界報道自由デー(5月3日)の前に、2020年4月19日に発表した「世界報道自由度ランキング:the World Press Freedom Index」における2020年の日本の順位である。このランキングは180の国と地域を対象に、記者や人権活動家などの専門家が各国と地域の報道体制や自由度を評価し、まとめたもの。 評価基準は、多元性、メディアの独立性、立法上の枠組みの質、記者の安全性など50の項目があるそうだ。2002年からスタートし、国連や世界銀行などがこのデータを利用している。
 国境なき記者団(設立:1985年、パリ)は、世界各国の報道機関の活動と政府による規制の状況を監視することを主な活動とする。世界で拘束された記者の解放や保護を求める運動、殺害された記者の家族に対する支援など、幅広い活動が展開されている。UNESCOによると、1993年以降、これまで1387人以上の記者が「職務中」に、または単に記者であるというだけで殺害されている。最近では、COVID-19、パンデミックの取材に対して、沈黙または犯罪が起きているという。ちなみに2020年はこれまでに、10名の記者と1名のメディア・アシスタントが殺害されたという。

 なぜ、記者は命を狙われるのか。ジャーナリズム(報道機関)の役割をみると、例えば「自由なジャーナリズムは権力に対する番犬となり、社会正義の実現をはかる。民主主義に不可欠な公的情報を社会に伝達して民衆の『知る権利』に応え、地域から地球まで環境を監視する」(原, 1997)とある。ある権力者たちにとっては都合が悪い存在なのだ。
 記者が殺害される、あるいは取材を妨害されるなどの「報道の自由」が阻まれるような国や地域では、『知る権利』が失われることになる。知る権利が奪われれば、社会にある課題に気付けず、協力することもできず、問題を解決することも、改善していくこともできず、社会の腐敗を放置することになり兼ねない。命の尊厳を守る事ができなくなる。
 こういった状況に対して、5月3日は、各国の政府に対して報道の自由を尊重する必要性を思い出させ、報道の自由と職業倫理の問題についてメディアの専門家間で反省する日であり、報道の自由の抑制や廃止の危機にあるメディアを支援する日でもある。また、真実を追い求めて命を落とした記者たちの追悼の日でもある。
 わたしたちがどんな社会にしたいか、どんな暮らしをしたいか、どんな風に生きたいかを自分たちで決めるためにも、報道の自由は欠かすことができない。新聞倫理綱領(日本新聞協会)には、以下のようにある。

 「国民の『知る権利』は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
 おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである」

 報道の自由が世界66位という日本。果たして、この順位は高いのか、低いのか。日本における報道の自由に対する評価について、世界報道自由度ランキングには以下のようなことが書かれている。

 「世界で3番目の経済大国である日本は、概してメディアの多元主義の原則を尊重する議会制君主国である。しかしながら、記者は、因習と企業利益のために、民主主義の番犬としての役割を果たすことが難しい状況が認められる。記者は、2012年に安倍晋三が再び首相に就任して以来、彼らに対して不信感を露わにしてきた。
 『記者クラブ』のシステムは、フリーランス記者や外国メディアの差別を続けている。ソーシャル・メディア上では、ナショナリスト(国家主義者)のグループが、政府を批判したり、福島第一原子力発電所事故や沖縄での米軍の駐留などの ”反愛国的な:antipatriotic” テーマを扱うジャーナリストに対して嫌がらせをしている。
 政府は『特定秘密保護法:Specially Designated Secrets』についての議論を拒否し続けている。この法律の下では、特に秘匿が必要な安全保障に関する情報を『特定秘密』として指定され、その取扱い業務に従事する公務員、ジャーナリスト、ブロガーがこれらの情報の漏えいに及んだ場合、最高10年以下の懲役が課せられる」(著者訳、間違いがあればご指摘を)。

 日本のランキングは、民主党政権下の2009年は17位、2010年には11位とランキングを上げていた。「民主党政権誕生以降、政権交代の実現という社会的状況の変化や、政府による記者会見の一部オープン化が評価もあり、2010年には最高の11位を獲得している」(福田, 2015)。これが2012年には22位、2013年は53位と下がり続け、2016年には72位にまで下がった。2019年は67位、今年は66位であるため、少しずつ上向いていると言えなくもないが、G7の中で比べてみても日本以外で最も低い米国が45位。20以上も差がある。

 「報道の自由」は報道する側にとっても、情報を受ける側にとっても、あるいは取材される側にとってもその存続やあり方をより良い方向へと導くために不可欠である。私たちの『知る権利』が脅かされないように日本における報道の自由は守られているだろうか。66位では怪しそうだ。。しかし特に今、新型コロナウイルスの発生により、「報道」というものがいかに重要であるかを、誰しもが実感しているのではないだろうか。
 繰り返しになるが、新聞倫理綱領にはこう書かれている。「おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである」。ここに書かれた内容は、新聞以外のジャーナリズムも含めて再確認する必要性がある。なぜなら、このパンデミックが、ジャーナリズムの役割を一層厳しく問うているからだ。
 ただし、ジャーナリズムは、公共のインフラと同じく私たちの日々の暮らしに欠かせないものであり、記者やジャーナリズムだけのものではない。私たちにも報道の自由を守る責務がある。私たち一人ひとりが「正確で公正な記事と責任ある論評」をジャーナリズムに対して求め続けると同時に、より開かれた透明性のある情報を権力に対しても求めていきたい。
 ジャーナリズムは時に大きな力に迎合しているように見える。自らの使命を忘れては、結果として自らの首を絞めるだろう。ジャーナリズムは民衆の敵だろうか。「マスゴミ」などと揶揄されることも多いが、ジャーナリズムはわたしたちに守る役割がある。なぜって、持続可能な社会を実現するための重要な道具だから。私たちの社会を映し出す鏡を磨くのは、私たち以外、他にはいないのだから。


<引用・参考>
・Reporters without Borders, 2020, "The World Press Freedom Index"
・UNESCO, 2020, World Press Freedom "Day 3 MAY 2020 : Difference Day"
・UNESCO, 2020, "Journalism, press freedom and COVID-19, Issue brief in the UNESCO series: World Trends in Freedom of Expression and Media Development"
・一般社団法人日本新聞協会「新聞倫理綱領」(2020年5月3日閲覧)
・大石裕, 2014, 『メディアの中の政治』, 勁草書房
・原寿雄, 1997, 『ジャーナリズムの思想』, 岩波書店
・福田充, 2015, 「『報道の自由度』ランキング、日本はなぜ61位に後退したのか?」, 日本大学大学院新聞学研究科HP(2020年5月3日閲覧)

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