「五戒」の「怒るな」について(2)
前回に引き続き、レイキの「五戒」にある「怒るな」という言葉を深掘りしていきましょう。
「怒り」をコントロールすることは、とても重要なことです。
これができたなら、他のことは簡単だと思えるでしょう。
なので、一部繰り返しになりますが、詳しく書いていこうと思います。
怒りは強力なエネルギー
「怒り」というのは、非常に強力なエネルギーです。
私が子どものころ、母が一緒に遊んでくれないので、気を引こうとしておもちゃの空気銃で撃ったことがありました。
すると父と母が大変怒って、それから2時間も説教されてしまいました。
父は私の素足を空気銃で撃ち、「どうだ!痛いだろう!?お前がやったのは、こういうことだぞ!」と怒鳴りました。
弁明のために言うと、私は母の服の上から撃ったので、痛いはずはないのですけどね。
でも、考えてみるとおかしな話ですよね。
「疲れてるからもうちょっと休ませて」と言って一緒に遊ぶのを拒否してたのに、それから2時間怒りまくることができたのです。
それができるくらいなら、最初から1時間でも一緒に遊んでくれたらよかった。
そんな見方もできると思いませんか?
怒りという感情が湧いてくると、疲れもそっちのけで活動することができます。
他からの圧力を跳ね飛ばして、自分に正直であろうとする力として使えば、とても効果的なものになります。
ですから、先に引用したように、「神との対話③」にはこう書かれていたのです。
「怒りは自然な感情だ。「ノー」と断るための道具(ツール)だ。必ずしも無礼なものとは限らないし、決して他者を傷つけるものではない。」
怒りを抑え込んではいけない
「怒るな」と言われると、怒るのを我慢してしまう人がいます。
しかし、表面的に怒りを抑え込んでも、それは意味がありません。
いえ、それどころかもっと悪いことになります。
そのことも、先に引用した「神との対話③」にかかれていました。
「抑圧されつづけた怒りは、憤怒になる。非常に不自然な感情だ。人びとは怒りのために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ。」
私も、怒りを溜め込むタイプでした。
ですから、表面上はいつも穏やかで、ニコニコしていました。
けれども内心では、いつかこの怒りが抑えきれなくなって爆発したら、人殺しくらいやってしまうと感じていました。
ですから、怒りの感情は溜め込まずに、表現することが重要なのです。
ただ「表現する」と言っても、相手にぶつけるということではありませんよ。
それでは火に油を注ぐことになりかねませんから。
感情は感じ切ることが重要
「「怒り」が消える本」では、まず「怒り」の役割を知ることが重要だと言っています。
「痛みを感じることは悪いことではなく(不快なことではありますが)、その「原因」に気づくチャンスを与えてくれるものです。
怒りも全く同じで、怒りを感じることが悪いことなのではなく(不快なことですが)、その「原因」に気づくチャンスを与えてくれるもの、と考えると、「怒り」の感情と前向きに取り組んでいくことができると思います。
怒りのこうした役割を知ることが、怒りをコントロールする第一歩となります。」(p.28)
そして次は、「怒り」に限りませんが、感情に「気づく」ことが重要になります。
感情に気づいたら、次は受け入れることです。
前に紹介したように、次のように独り言でいいですから言ってみることです。
「あー、自分は今、怒っているんだなぁ。ふ~ん。」
自分がどんな感情を感じているのか、それさえ気づかないことはけっこうあるものです。
ですから言葉に出すこと(言語化する)によって、気付きを明確にします。
さらにそれを否定せずに客観視することで、その感情が起こったことを受け入れるのです。
次にその感情に浸ります。
つまり、感情に気づいて、受け入れて、それから浸ります。
この順番が非常に重要ですからね。
多くの人は、最初から浸ってしまう(本当は否定している)から、感情に翻弄されてしまいます。
怒りを制御できない人は、こういうタイプですね。
浸り切るためには、自分の背後から自分を眺めているような、距離感が必要になります。
私は、自分が怒っている時に、誰かが一緒になって怒り出すと、妙に冷静になれるという体験を何度もしました。
その人が、自分と同じように怒っていることを、距離をおいて眺めていると、自分が冷静になるのです。
これと同じことを、自分の中でやってやればよいのです。
怒りの理由を知って変える
次の段階は、「怒り」の理由を知ることです。
先に、「怒りは「助けてくれ~!」という悲鳴と同じだ」と言いました。
つまり、自分にとって重要なことが、自分ではどうにもならないから、相手に何とかしてもらいたいと思っているのです。
先ほどの、おもちゃの空気銃で撃った私に対して、両親が激怒したのもそういうことです。
親に対して銃を向けるような子どもをこの家から出すなんてとんでもない。それでは自分が世間に顔向けできない。
つまり、両親が世間に対して顔向けできるようにするためには、私が良い子である必要があり、それができるのは私だということです。
だから両親は悲鳴を上げたわけです。「何とかしてくれよ~!」と。
※もののたとえですからね。必ずしも私の両親がそう考えたわけではありませんから。
前に怒りは第二感情だと言いました。第一感情は悲しさだったり、寂しさ、恥ずかしさだったりします。
その第一感情を感じたくなくて否定するから、第二感情が起こります。
私の両親の場合は、世間に顔向けできな恥ずかしさがあったのでしょうか。
仮にそうだとして、「恥ずかしい」は「悪い」ことではありません。
ですからまずはその感情に気付き、受け入れ、浸ることが重要です。
そして考えてみるのです。
「なぜ恥ずかしいと感じるのだろう?」
こうすることで、その感情を感じた理由、つまり無意識の信念に気付きます。
「良い子を育てるのが当たり前」「良い子を育てなければ親として一人前ではない」「親は一人前でなければいけない」「一人前でなければ他の人から評価されない」「他の人から評価されることは他の人から愛されること」
そんないろいろな信念が出てくるかもしれませんね。
しかし、これらの信念は本当でしょうか?
そうでなくてもよいものや、そんなことはないよと思えるものもあるのではないでしょうか?
そこに気づいたら、その信念を書き換えることです。
要らないものはもう要らないと捨て、他の信念が自分らしいと思うなら、それを採用すればいいのです。
たとえば、世間体を気にすることは意味がないなあと考えることもできます。
世間体より、自分の子どもが幸せかどうかを優先する方が自分らしいじゃないか、と思うこともできます。
そうすれば、その信念をベースにした感情は、もう湧いてこなくなります。
現実は同じままでも、自分の体験が変わるのです。
怒りから学ぶ
私は、とても短気な性格です。
瞬間沸騰湯沸かし器だと、自分のことを言っていました。
しかし、その怒りを他人には見せず、自分の中に溜め込んでいました。
爆発したら、それこそ通り魔殺人でもやりかねない。
「あの温厚な人がねぇ」と周りから言われるであろうタイプです。
そんな私ですから、この「怒り」をどうすればよいのかということを、ずっと考えてきました。
怒っている状態で幸せではいられません。
どうすれば幸せでいられるのかを考えてきました。
その集大成が、私がオンラインでやっている「幸せ実践塾」です。
ここでは、そのエッセンスを書きましたが、まだまだ充分とは言えません。
もっと詳しく知りたい方は、どうぞ私のブログやメルマガなどをお読みください。
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