お盆

おばあちゃんが
亡くなる経緯を生前から
口にしていた私

今おばーが入院してる所から
別の病院に移るはずだから
移ったその日、子供たちが
“おばーの状態も安定しているから
帰ろーね”って言って帰った時に
亡くなったって電話くるはずよー

って本当にその通りになった

私はそれが悔しくて悔しくて

何で私はそんな事わかるんだろう
何で口に出していながらも
何もできなかったんだろう

そんなって自分を攻めてきました。

おばーがなくなって  
数年後の今思う事があります

私はおばーの病室に行った時に
今まで育ててくれてありがとう
ご飯食べさせてくれてありがとう
想ってくれてありがとうーね
って伝えたかったんだって

それなのに私は
おばー死ぬの?頑張って!

って沢山頑張ってきた
おばーにもっと頑張れって言ってなぁって

あは、
私は霊魂んが肉体から抜けるとときを
知ってしまってた事じゃなくって

おばーに素直に想いを
伝えられなかった事で自分を攻めてたん
だなぁーって思うと

たまに目に見えない物が見えたり
なぜかわかったりするのは
それ自体を受け入れられない
自分の気持ちにあるんだなぁーと
気付かされました。

お盆
遠く離れてるけど
おばーに伝えました

今までありがとう
沢山苦労して養ってくれて
ありがとう
字も読めない•字も書けないおばー。
生きる為に働き詰めだったこと
本当に感謝してもしきれない

だから私は
全てを受け入れて自分の成長のため
そしてなにより
素直に生きる事や素直に感謝を
言葉にできる人間になりたいと
強く思っているよ

ありがとうね

ゆっくり休んで

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