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カルテット 僕らの四重奏

 春が終われば、夏が来る。夏が終われば、秋に続いて冬が来る。それでまた春が来てお別れだ。気温はまだまだ高いが、もう季節は神が昆虫や動物たちに死を告げる秋に入っている。夏に音楽を奏でたあのキリギリスたちはそのヴァイオリンと共に草むらの中で果てた。熊は冬ごもりをするために動物や人間たちを暴力的に食べ始めている。生命の循環。地球の公転。今季節は命の弦楽四重奏の第三楽章の途中を奏でている。

 ベートーヴェンのあの完璧な四重奏曲にさえ終わりがあるように、僕らのカルテットももうすぐ解散しなければならない。卒業まであと一年あるが、四年になったら能天気に四重奏なんて奏でている暇なんてなくなる。僕らはそれぞれ音楽家として旅立たなければいけないからだ。この彼女たちとの奇跡もあと少し、ほんとにあと少しで終わる。悲しいことだがそれは真実だ。

 僕ら四人が出会ったのは奇跡的な符号だった。入学式が終わり新入生全員が講堂を退出しようとした時たまたま列に僕ら四人が並んだのだ。僕は自分の自分のそばに立っているキュートな女の子たちを見て胸が高まった。こんな女の子たちと一緒に風の歌を聴いたり、ノルウェイの森の中であんなことやこんなことをしたいなんて、素敵すぎるにもほどがあることを考えた。

「君もしかして」

 といきなり活発そうな女の子が僕に声をかけて来た。

「ヴァイオリニストの前川貞子さんの最後のお弟子さんの杉山春男君?」

 そうだよと僕は答える。すると他の二人も目をキラキラさせて僕に話しかけて来た。

 僕らは一瞬で意気投合した。みんな弦楽器を習っていて、しかも自分たちの楽器で四重奏が組めることが出来るからだ。

「いっそ私たちでカルテット作らない?」

 と例の活発そうな女の子が提案してきた。僕らはすぐさまその提案に乗った。

 こうして僕らのカルテットは誕生した。僕杉山春男と例の活発な女の子の瀬見山夏美はヴァイオリンで、広葉秋子はヴィオラ、城山冬香はチェロだった。僕らはカルテットを組むと大学だけでなく外でも演奏しまくった。路上でのストリートカルテット、公園での無料ライブカルテット、そして初めての有料演奏会のカルテット。僕らは将来への不安なんか関係ないって感じで思いっきり弾きまくった。弾きまくりすぎてベートーヴェンの四重奏曲なんか深遠さもクソもなくなってしまったほどだ。

 僕らは見事なまでに個性的だった。書き割りみたいな春樹的主人公の僕。活発な夏美。愁いを感じさせる秋子。十二月の冬風のようなツッコミを入れる冬香。そんな僕らがこのカルテットで一つになって音の円を作りだしてゆく。僕は一生彼女たちとこうやってカルテットしたいと思った。僕らの関係は音楽だけでは到底収まらない。村上春樹の小説の主人公は黙ってたってモテるし、女の子は必ず裸になってくれる。だから僕も彼女たちが自分からそうするぐらいに関係を深めたい。そんな事を考えていた。

 だが三年生になった頃から、僕らの間に妙な軋みみたいなものが生まれてきた。なんだか演奏が合わなくなってきたのだ。僕はいつもの村上春樹フェイスで君たち調律を合わせるのは楽器だけじゃないよなんて冗談を言ったが、彼女たちはろくに僕の言葉を聞いていなかった。やっぱり三年になって現実を知ったのかい?ビーチボーイズの悲しげなストリングスが流れる『キャロライン・ノー』みたいにこのカルテットの夢とお別れをするのかい?僕はおぼろげな別れの予感を感じて悲しくなった。

 そして僕が学食を食べに食堂に入った時だった。僕以外の三人が大きな声でこう喋っていた。

「ねえ杉山についてどう思う?夏美正直に言いなよ」

 こう夏美に聞いたのは秋子だ。

「う~んと」と夏美は言葉をためらう。僕はその夏美の表情にドキッとした。キュートすぎるガール。でも君だけを独占しちゃ秋子と冬香がかわいそうだ。

「はっきり言えよ夏美。アンタが言えば私たちもさっぱりするんだから」

 活発なくせにいざとなると尻込みする夏美。僕は緊張して彼女の言葉を待つ。

「……二人がそんなに言うなら、私も思いっきりぶっちゃけるよ。春男ってハッキリ言って思いっきりヴァイオリン下手だよね。最初は前川貞子さんの最後の弟子っていうからどんなにうまいのかって思ってたら、ありえねえぐらいド下手でやんの。あいつのヴァイオリン聴くたびにそのキモさに背筋がゾッとしてたんだけど、前川貞子さんの弟子だからきっと私の耳が間違ってるんだと思ったけど、三年やってやっぱりキモいわって思ったわ!私のヴァイオリンだってアイツの下手糞さに夏でもないのに伸びあがってたから。あのさ、アイツ首にして他のうまい子と代えない?あんなキモいド下手な奴とこれ以上付き合っていたら耳が腐ってオーケストラ全部落ちるよ。早くそうしようよ!」

「やっと言ってくれたよ夏美!私たちもずっとそう思っていた!あいつ殺人的に下手だよね!もうノイズだらけの酷い演奏!どうして演奏会に誰も来なかったのかようやっとわかったわ!全部アイツのド下手な演奏のせいだったんだ!私のチェロなんて冬みたいに凍ってたもの!」

「私、あの子の演奏聴いてると演奏どころじゃなくて死にたくなった。ヴィオラなんかカルテットの最中ずっと死にたいって泣いてたから……」

「あ、あの僕ここにいるんだけど……」

 この僕の言葉に三人は口をそろえてこう言い放った。

「だからなに?私たち大事な話してんだからあっちで食べてね!シッシッシ!」


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